地震学の揺籃期(4)2016年04月23日 10時32分56秒

地震発生から1週間。

常ならぬ事態への対処と並行して、普通の日常を取り戻すための努力も、既に始まっていることでしょう。その一方で、「もうあの日常は決して戻ってこない」という思いを抱いている方もいらっしゃると思います。周囲の日常が回復するほど、増す悲しみもあります。いろいろな心に思いをはせたいです。(これは被災地に限りません。)

   ★

多くの工夫を凝らして地震計が完成し、据付けも終わりました。
地震発生とともに、地震計の針がピピピと揺れ、記録紙に波形が記録されました。
さて、それをどう読むか…? というのが、実践家が直面する大きな課題です。

このことは本書の「第四編 地震観測法」、特に「地震記象」の章に、詳しく説かれています。記録用紙の波形を前にした観測者は、いろいろ補正を加えつつ、その継起時間、周期、振幅などを計測するのは当然として、その前に一つ大事な作業があります。

それは「相を取ること」です。
地震記録は、最初ピピピと揺れた後、ツーと波が収まり、再びピピピ…ツー…ピピピ…と、間欠的に波形が記録されるのが常ですが、それぞれの波がいったい何を表わしているのか、つまり「波の意味」を読み解くことが、すなわち「相を取ること」に他なりません。

地震のP波S波という用語に聞き覚えのある方も多いでしょう。
Pは「primary」の略で「初期微動」、Sは「secondary」の略で「第二波」。
P波の本態は縦波(疎密波)であり、横波であるS波よりも進行速度が速いために、両者同時に発せられても、P波の方が先に到達するわけです。

(震央まで2千キロ未満の近地地震の波形例。震央付近では、特に「オルツベーベン」と称しました。定訳は不明ですが、“現地震”といった意味合いです。)

(震央距離=2千~5千キロの中距離地震の波形例)

「相を取る」上で、このP波とS波の区別が、まずは基本作業です。
さらに観測地点と震源の距離が遠くなると、S波が地面で一度、二度と反射した波や、地球内部の層状構造の境界面(いわゆる不連続面)で反射・屈折した波、さらに地球を一周ぐるりと遠回りして到達した波などが入り乱れて、それぞれ記録されるので、その読み取りには、高度の技量が要求されます。

「この相を取ることは可成りの熟練を要するものにして震波の速度、地震計の性能等に対する智識経験を必要とす。故に此処に詳しく述ぶることを止む。之等は経験者に指導を受くるか或は永らく観測に携はりて自ら会得さるるものなればなり。」 (p.166)

と、その実態たるや、まさに口伝・奥義の世界でした。さらに、

「此処に注意したきは種々の相をとる場合には公平無私なる態度ならざるべからず。其の間牽強付会して自己の独断に陥らざることなり。」 (同)

と、地震波を読み取るためには、厳しく己を律することが求められたのでした。現在ではその辺がどう変わったのか、あるいは変わっていないのか、詳しいことは分かりませんが、当時の測候技術官養成所(現在の気象大学校の前身)では、そうした鍛錬が日々行われていたのでしょう。

(震央距離=1万キロまでの遠地地震と、さらに遠い最遠地地震の波形例)

このように地震波をコード化することは、現在も行われていますが、その体系が当時と今では異なるようなので、参考までに当時の表記法を掲げておきます。(pp.170-171)




   ★

地震国・日本。
地震とはこれからも縁が切れないでしょうが、そのわりに地震学のあれこれが、国民の共通知識とはなっていないように見えます。今後の課題かと思います。

(この項おわり)

コメント

_ S.U ― 2016年04月23日 13時42分29秒

今はどうだかわかりませんが、この初期微動継続時間(PS時間)から震源の距離までを推定するというのが、かつては高校入試の最頻出問題の一つだったように思います。今でもそうならぜひ押さえておいていただきたい。Pがプライマリ、Sがセカンダリと憶えておけば、順番を間違うことはないですね。

 この縦波(疎密波)の定義が難しいですよね。縦というのは上下のことかと。縦というのは進行方向の意味で、地震の場合は上下のことも左右のこともあり得ますが、体感的には、ビビビビビと来るだけで向きはよくわかりません。どう感じるべきなのかはっきりとした説明は聞いたことないように思います。単に縦揺れと憶えていると感覚と合わないように思います。ちゃんと体感と合致する教え方を工夫してほしいと思います。

 では、ここで、関連問題です。化学の原子の電子軌道で、1s軌道、2s軌道、2p軌道 というのがありますね。なぜ、これは、sが先で、pが2番目なのかご存じでしょうか。ちなみに、pの次はdです。

_ 玉青 ― 2016年04月24日 09時23分13秒

「縦波」という言い方は本当に分かりにくくて、子どもは絶対に誤解しますよね。
調べてみると、縦波はlongitudinal waveの訳で、そう聞くと、文字通りlongなもの、長く伸びたものの延伸方向に沿って生じる、ばねの伸縮のような波のことだと合点がいきますが、それにしても日本語の「縦」とはすぐには結びつきにくいです。

対する横波は「transverse wave」の訳で、延伸方向に対して、それを横切る方向に生じる波…というイメージでしょうか。さっき地学事典を見たら、「地面に平行な成分をSH波、それに直角な成分をSV波と区別することがある」とあって、このHとVはそれぞれhorizontalとverticalの意味と思いますが、この区別の方が、日本語の「横」と「縦」にしっくり合う感じです。

さて電子軌道の話。
もちろん、その答を知る由もなく、さっきウィキペディアを見て、「s軌道のsはsharpに由来」、「p軌道のpは「principal」に由来」、「d軌道のdは「diffuse」に由来」と知ったような次第ですが、これは語源に統一性がなくて、分かりにくいですね。明日になったらたぶん忘れてしまうでしょう。

   +

ところで、検索の過程で、「s波、p波」の区別が、偏光にもあることを知りました。入射面に垂直(senkrecht)なのがs波、平行(parallel)なのがp波だそうで、これは素直に「縦波」「横波」として良さそうですが、でもそうすると、地震波とは縦横が逆になってしまい、いっそう混乱しそうです。

_ S.U ― 2016年04月24日 12時40分34秒

(1)>「縦波」という言い方は本当に分かりにくくて、子どもは絶対に誤解
 玉青さんの説得力のあるご議論を伺いまして、この用語は断固、少なくとも小中高生向きには、今からでも変更するべきだと思いました。「縦波」、「横波」は使うべきではありません。使っているのは物理学者、工学者の怠慢によるものです。
 何と呼べばいいかは難しいですが、longitudinal, transverseの訳語としては、「縦」「横」ではなく、「進行方向」、「直交方向」という意味で、「進行方波」、「直交方波」はいかがでしょうか。ゴロが悪くわかりにくいですが、「縦波」、「横波」よりも科学技術用語としては百倍は優れています。

(2)>げげっ、Wikipediaの記述は私が物理の先生から習ったのとは違う・・・。 私は、sは spherical、pは polar、dは dipolarの意味と習いました。たぶん、私が教えてもらったのが間違っているのでしょう。
 s軌道は丸い、p軌道は特定の軸方向に局在しているのでここまでは憶え方としては適切だと思います(先生はこう憶えよという意味で教えてくれたのかも知れません)。でも、dipolarは少し怪しく、l=2は普通は2重極というよりも4重極(quadrupole)と呼ぶべきだと思います。

(3)>「s波、p波」の区別が、偏光
 偏光のs波、p波については初めて聞きましたが、これらはどちらも「横方向」の直線偏光ですね。ややこしいです。これは、「垂直」「平行」とでも訳してほしいところです。偏光についてはさらにスピンの問題があって、これは(1)と似て非なる問題ですが、大学の専攻の学生でも研究者でも間違えます。
 偏光は光子のスピンと考えられますが、スピンの向きと回転の向きは縦横が反対です。たとえば野球やサッカーのボールの場合に、「縦スピン」というとどちら向きに回っているのでしょうか。たぶん回転軸が立っている状態ですね。「ボールの横回転」というのはどちらでしょうか。回転軸が立っているのか、それとも、寝っ転がってゴロゴロ転がるような状況か、ああまったくよくわからなくなりました。おそらく、野球やサッカーのコーチも身振り手振りで説明する必要があるでしょう。物理の研究でも、光子の偏極の問題では、こういう意思の不疏通がしばしば起こります。

_ 玉青 ― 2016年04月25日 07時10分56秒

やや、これは思わぬどんでん返しが…
どうも波にまつわる用語は油断ならんですね。

すでに波問題も縦横に語り、論点がかなりはっきりしたように思いますが、日頃は縦の物を横にもしない怠け者ですので、これ以上に深めることはちと難しいです。

ただ、P波、SH波、SV波については、熟慮の末、それぞれ「ミミズ波」、「ヘビ波」、「シャクトリ波」と呼ぶのがいいのではないかと思案しました。

_ S.U ― 2016年04月25日 13時01分50秒

>それぞれ「ミミズ波」、「ヘビ波」、「シャクトリ波」と呼ぶのがいいのではないか
おぉ、これは分かりやすい名称!

 バーが縦の「連子窓」から、シャクトリムシは浸入できるがヘビは浸入できない、横向きの「ベネチアンブラインド」ならその逆でヘビが有利、というふうに説明すれば、説明しづらい偏光フィルターの働きもたちどころにイメージできます。

_ 玉青 ― 2016年04月26日 06時40分15秒

では、ここは一つ小動物の手を借りて、科学教育の進展を図ることにしましょう。(^J^)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック