明治地質学の精華(3)2016年04月28日 07時06分05秒


(地質図の部分拡大。フォッサマグナを含む中部地方。フォッサマグナのことは『説明書』の中で、「日本を南北に区画する大鴻溝」として言及されています。)

(同じく、東北・北海道。目立つ黄色は新生代・第三紀層)

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例の『説明書』を前に、明治地質学の精華をぞんぶんに味わおうと意気込んだのですが、どうも難しいです。地質学や地質学史の素養がないので、そもそも何をどう味わうべきかが、よく分からない…というのは、味わう前に気づくべきでしたが、実際口に入れたらそんな塩梅でした。

ただ、読んでいて強く感じたのは、地質学を日本に移入するのが、いかに大変だったかです。もちろん、地質学に限らず、どの分野でも近代科学を摂取するのは大変だったと思いますが、地質学の場合、端的に「モノの違い」が、大きな困難をもたらしていました。

これが天文学ならば、空に浮かぶ星は、ヨーロッパも日本も同じですし、機材が整えば、まったく同じ現象を観測し、論じることができます。動・植物学にしても、そこに生息する種類は違うように見えて、ユーラシア大陸の東と西で生物相は似ていますし、たとえ違う種類でも、標本を直接並べて研究することができます。

しかし、地質学ではそれができません。
岩石ならばいいのですが、岩石の集合である岩層、地層、山塊というのは、直接持ち運ぶことができませんし、何よりもその土地の成り立ちによる個別性が高くて、単純な比較ということが、はなはだ困難です。

その辺の事情は、ちょっと考古学と似ています。
石器・土器・青銅器の発達順序を研究し、さらに苦心してその絶対年代を決めたとしても、その知識がよその文化圏にも当てはまるかといえば、大いに参考にはなるでしょうが、ストレートには当てはまらないものです。

地質学の場合も同じことで、欧米で確立した地層区分を、そのまま日本に持ち込むことはできません。できるのは異国で編み出された「方法論」を学び、独自に足元の土地に応用することだけです。一口に「欧米」といいますが、現に、飛び離れた土地である「欧」と「米」の間で、そうした応用が可能だったのですから、日本だってそれができないわけはありません。

とは言え、これは言うは易く、行うは難きことです。

 「欧米諸州に於てはカンブリア、シルリア、デブヲン、石炭、二畳の五系を区別し、各岩層には各特有の古生物を蔵するも、本邦に於ては其石炭系下部に相当するものの外、完全なる化石を発見せず、是を以て彼に於けるが如く古生物に基きて古生大統を分類する能はざれば、単に層位及岩質に従ひて全岩層を細分するの外なし」 (pp.58-59。原文はカナ書き)

…という次第であり、

 「此方法たるや遠隔の地層を比較するに正確なる能はざれば唯、本邦に頒布する岩相の分類に止り、海外既知の地方と時代を比較するに足らず、此理由により本邦古生大統は之を五大系に区別するに由なく一括して秩父系となせり」 (p.59)

…という辺りで、満足せざるを得ませんでした。
カンブリア紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、二畳紀(ペルム紀)、こうした耳慣れた用語も、明治時代には「名のみあって体無し」の状態で、全部が「秩父系」の名の下に包摂されていたわけです。

大雑把と言えば大雑把ですが、御維新以来の30年間で、まがりなりにも全国的な地質調査を終え、こういう形でデータ整理できたのですから、明治人の奮闘は大したものです。

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明治の大地質図を作成した「農商務省地質調査所」の後身は、現在の「産業技術総合研究所・地質調査総合センター」で、同センターの「日本列島の地質と構造」のページには、「これまでに提案されてきた日本列島の構造区分を総括したもの」として、以下の図が掲げられています。


『大日本帝国地質図』の刊行以来、さらに110余年を経て、日本の地面の素性もずいぶん明らかになったことが分かります。

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 「エドムンド、ナウマン氏嘗て本邦古生大統を古期新期の二に区別したることあり、原田博士に従へば其所謂古期なるものは即小仏層にして、秩父系上部の一部分は(に?ママ)過ぎず、ナウマン氏は其古期なるものを以てカンブリア並にシルリア系を含むものとせるも、層位上より論ずれば日本弯の片麻岩帯の外に結晶片岩帯あり、秩父系あり、小仏層は更に其外に位し…」 (p.59)

ナウマン博士の教えを受けて歩み始めた日本の地質学が、その先師をも乗り越えて、独り立ちしようとする清新さが、その筆致から感じられます。

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新生代の地層についても、当時の悩みと戸惑いが露呈しているので、そちらも引用しておきます。

 「欧米諸国に於ては第三系は更に細別して始新、漸新、中新、最新の四統とするも、本邦に於ては之に含有せらるる化石頗る夥多なるに拘はらず、近接の諸外国と比較して研究するを得ざるを以て未だ判然たる区別を確立する能はず、而して中新、最新の二統に相当するものの存在はナトホルスト其他学者の研究によりて明かなるも是亦岩石、層位等の関係複雑を極むるを以て地質図上に其区別を示す能はず」 (p.134)

事情は古生代とまったく変わりません。

ときに、ナウマン氏は「氏」が付いているのに、ナトホルストは呼び捨てなんですね。自ずと親疎の情が現れているようで興味深いです。ナトホルスト(ナトールスト)については、以下に登場しましたが、これも明治の地質学の興味深いエピソードでしょう。

木の葉石と木の葉化石園のはなし(1)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/03/05/5724596

(ナウマン氏はどこでもナウマン氏)

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最後に大地質図製作スタッフの名前を掲げておきます。


当時の地質調査所長・巨智部忠承(こちべただつね、1854-1927)以下、日本の地質学を文字通り身を張って築いた先人たち。湯川秀樹博士の実父、小川琢治(1870-1941)の名も見えます。

(この項おわり)