タルホ的なるもの…ステッドラーの鉛筆(2)2016年05月06日 06時32分20秒


(画像再掲)

ステッドラー社製コッピー色鉛筆。
「コッピー」とは「コピー」のことです。

(Coloured Copying Pencils No.406 Lilac)

その説明は、GGG13さんの以下の記事をご覧いただければと思いますが、要は水分を含むとインクのように消えなくなる特殊な鉛筆で、コンニャク版という素朴な印刷技法とともに、かつて複写用途にも用いられたので、その名があるようです。

SANFORD「NOBLOT INK PENCIL 705」レビュー
 (テーゲー日記 〜文具と万年筆のブログ〜)

 http://blog.livedoor.jp/omas1972/archives/2014-05-29.html


箱をそっと開けると、中から出てくるのは、この上なくタルホ的な紫色の鉛筆たち。


その一本一本に、金色の三日月マークが光っています。
黒地に金の「J. S. Staedtler」の書体が、ひげ文字風なのも好感度大。


もちろん紫色は衣装ばかりでなく、芯まで濃い菫色です。
今ではその色が、周辺の木部にまで染み出ていますが、コッピー鉛筆は、芯に染料を練り込んであるので(それがインクのような働きをします)、長年月のうちに軸木にも色移りしたのでしょう。

   ★

「ザ・タルホ」的な、月じるしの色鉛筆。

この品は、連載の冒頭で述べたような、私が独自にタルホっぽいと感じる品というよりも、足穂作品からのダイレクトな引用に過ぎませんが、彼が言うところの宇宙的郷愁の例示にはなります。

再び、「僕の“ユリーカ”」からの引用。作品全体の結語です。

 「僕が何時か貴女と語り合っていたのかもしれない遠いクレータ島の夜、やはりこうして語っているのであろう、月の破片が赤道の天に大円環となって懸っている未来の夜、同時にそれは何処か他の星の都会のことなのかも知れないところの夜とは、実はたった今のこれだったのです、ねえ――」

無限の過去・未来、無限の彼方を含む、あらゆる時間と空間。
それが実は「今・ここ」と重なっているという感覚。
―それこそが、彼の「宇宙的郷愁」の中核部分です。それは現代の宇宙論をも飛び越えた、彼の直覚的確信といえるもので、宇宙論は単にそれを語るためのダシに使われた形跡もあります。

仮にタルホからの連想がなくても、この鉛筆は、ちょっとカッコイイ品ではあるのですが、そういう途方途轍もない想念が、何気ない一本の鉛筆にひそんでいるところに、この品のカッコよさはある気がします。

(この項つづく)


【おまけ】

この鉛筆の製造年代は、文具マニアなら型番から判別できるのかもしれませんが、今は「たぶん戦前のもの」という以上のことは分かりません。ただ、ステッドラー社のシンボルマーク(マルス神の横顔)は、途中何度もデザインが変わっており、それを手掛かりに判断すると、1925~52年の間に作られたもののようです。