タルホ的なるもの…光楼と夜の飛行者2016年05月25日 19時49分58秒

下は大正頃のマッチラベル。
先日、摩天楼の月が登場しましたが、新大陸に築かれた巨大な建築物が、同時代の日本の想像力をいかに刺激したか、このマッチラベルはその好例ではないでしょうか。


頂部からだんだらの光を放つビルヂング。
そして、誘蛾灯に集まる虫のように、その周囲を舞い飛ぶ飛行機、飛行船。


Air Light」とは、「拡散光、大気散乱光」の意。
それにしてもスゴイ絵柄です。


しかも、高楼はさらにズンズンと成長を続け、今や空の頂点を極めんとする勢い。

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このマッチラベル、夜空をゆく飛行機や飛行船だけでも、十分タルホ的です。

さらに、こうした「夜空に光を放つ高楼」のイメージが、足穂の脳髄とペンを刺激し、そこから「ポン彗星の都」や「パルの都」のような幻想都市が産み落とされたことは、以前も記事にしました。

(画像再掲。1915年、サンフランシスコで開かれた「パナマ太平洋万国大博覧会」の光景)

■円錐、彗星、光の都(後編)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024548

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高楼建築は、単なる土地利用の経済効率から生まれたものではない…というのは、たぶんその通りで、バベルの塔のように、人間が自らの力を誇るシンボルとしても、また早くに失われた東大寺七重塔のように、人智を超えた存在を賛嘆し、それに捧げるものとしても作られ続けてきました。

そうした感覚は今も濃厚にあって、一国の市民が自らの繁栄を誇りたいと思えば、超高層ビルをにょきにょき建てて、それをことさらニュース映像の背景に使ってみたりするものです。それは単なる物理的構造物を超えた、人間の想念の世界に生きる存在のようでもあります。

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かつて讃岐の沖合に、高さ30丈、すなわち100メートル近くもある巨大な玉(ぎょく)製の塔がそびえ立ち、その中には光を放つ明珠が祀られていました。唐土より贈られたその珠を、竜宮の民から人間の手に取り戻すため、そしてそれによって我が子に幸をもたらすために、自らの命を投げ捨て、壮烈な最期を遂げた一人の海女。

…というのが、能・「海士(あま)」のストーリーです。

少年時代の足穂は、父の命によって仕舞(能における舞だけを独立させたもの)を習っていましたが、彼が2番目にならった曲が「海士」です。足穂少年は、その頃海女さんの救命綱が切れるという現実の事件に偶然接し、この曲はことさら彼の脳裏に残ったといいます。

そして謡曲の舞台「讃州沖」は、同時に足穂の故郷・明石の沖でもあって、後年の追想記『明石』では、允恭紀に引かれた「赤石海底有真珠」のエピソードと、少年時代の「海士」の思い出を結びつけて書いています。

(観世流仕舞教本より、「海士・玉之段」の一節)

足穂がどこまで自覚的だったかは分かりませんが、彼がパナマ太平洋万国大博覧会のシンボルタワー、宝玉塔(Tower of Jewels)」の絵葉書を見せられたとき、この「海士」の潜在記憶が刺激され、その作品にも影響を与えたのではないか…というのが、私の想像です。

もしこの想像が当っているなら、足穂にとって「光を放つ高楼」は、その非情な相貌とは裏腹に、何か母性を感じさせるものだったかもしれません。