浮沈子の虚実2016年06月01日 20時06分34秒

タルホ界から帰り、ちょっと一服していました。
その間に暦は6月に替わり、名実ともに夏の始まりです。

涼を求めて、ガラス棚を覗き込むと…


そこに「何か」がいます。


む、これは…


上は以前登場した、島津製作所のカタログに掲載された「浮沈子」。
ガラス製の道化やタコや気球が、水入り容器の中で浮いたり沈んだりするのを観察して、圧力の勉強をするという理科教材です。
 
先日、この愛すべき理科室の住人を手にしました。
それが即ち上の「何か」です。

(身長は約63mm)

「え、全然違うじゃん」と思われるでしょう。
私も見た瞬間そう思いました。

(足元は、青ガラスを融着した「とんがり靴」を履いています)

でも、これはどこかの小学校の理科室放出品に混じって出品されており、出元が一緒であることはほぼ確実です。…となると、旧蔵校は正規の教材業者を通して購入したはずで、島津のカタログに載っていたのも、実際にはこんな妙チキリンなものだったんじゃないかなあ…と想像します。

(変な顔)

羊頭狗肉といえば羊頭狗肉だし、何だかカタログの隣にいるタコとあまり変わらない気もしますが、手吹きで一個ずつ作るなら、この程度の完成度でもやむなしです。

それでも、こんなガラスの人形をプカプカ浮き沈みさせたら、ちょっとは涼も感じられるでしょう(最近では大きなペットボトルで簡単に実験できるようです。)

赤い星2016年06月04日 08時03分20秒

仕事帰りに家路をたどっていたら、坂道のてっぺんに大きく赤く光る星が見えて、「ああ、火星だ…」としみじみ思いました。目が衰えたせいで、もう眼鏡をかけても星像は定かに見えないのですが、あの朱のように濃く鮮やかなオレンジは、はっきり目に残りました。

火星接近のニュースに接しても、実際に空を見上げる余裕を失っている自分を哀れに思いますが、それだけに、ちょっとした出会いがとても嬉しく懐かしく思われます。

…というわけで、何か火星にちなむものが欲しいと思いました。
それが届く頃――きっと世間の関心が、火星から地上の闘争に移った頃に、またこの隣人の話題をすることにします。



Around the Shelves2016年06月05日 15時34分01秒

さて、何を書こうかな…と、ちょっと筆が止まっています。

あれも書きたいし、これも書きたい。でも、あれもつまらないし、これもつまらない。
そんな風に気持ちが中途半端で、なかなか文字が書けないときがあって、今もそんな感じです。もちろん、何の義務も課せられてない個人のブログですから、書けなければ、書かなければいいのですが、何かこうモヤモヤします。

   ★

何かモノについて書くときは、最近手に入れたモノをまず取り上げたい気がします。それは、買ったときの感興がまだ湯気を立てており、書こうというモチベーションが働きやすいのと、モノ自体のデータが記憶に残っているので、文字にしやすいからでしょう。

これが昔手に入れたモノだと、何だか正体が分からなかったり、正体は分かっても、時代や国やメーカーなどの詳細を忘れていて、改めて一から調べ直さないと書けないので、なんだか面倒です。それに時間が経つうちに、モノが背景に溶け込んで「無徴化」し、そもそもその存在すら意識に上らないことも多いです。

だから、書くべきモノはたくさんあっても、上のような次第で、実際とりかかるとなると、心理的ハードルが高いです。でも、このままだと棚も頭の中も未整理のまま、モノだけが堆積していくので、この際脈絡は無視して、無理にでも書いた方がいいのです。

そういえば、この4月にも一時そういう気持ちになって、棚のモノを手当たり次第記事にしていたのを思い出しました。あの試みは、例の熊本地震で中断したまま、さっきまで忘れていたので、実にお粗末な記憶力です。これはやっぱり書けるうちに書いておいた方が良さそうです。

   ★

(Domenico Remps 作のだまし絵 『好奇心のキャビネット』、17世紀後半)

というわけで、再び棚を徘徊します。

疾走する太陽の光2016年06月06日 07時01分38秒



いつもの棚から窓辺に移された砂時計。


モノ自体は、木枠に収められた、何の変哲もない砂時計です。
しかし、この砂時計はある「事実」を表現しており、それ自体シンボリックな存在です。


木枠に刻された文字。
In this time: sunlight reaches Earth

太陽から地球までの距離は、光の速さで約8分20秒。
すなわち、我々が目にする太陽は、8分20秒前の姿です。
その8分20秒という時間を、砂時計で表現したのが、この「太陽の光の砂時計」なのでした。

   ★

この品は、有)リビングワールドhttp://www.livingworld.net/)から2008年に発売され、今も売られている現行商品です。

太陽の光の砂時計(木枠版)
 http://www.livingworld.net/shop/sol_frame/


サラサラと落ちる白い砂。


二つの世界を結ぶ通路を滑り抜け、砂は「こちら」と「向う」を行き来します。

これは時を測る実用品ではなしに、それを見て何かを感じるための品です。
それは太陽の存在であったり、宇宙の大きさであったり、長大な空間を越えて光が走る姿であったり、人によって様々でしょうが、たしかに人はそれを見て何かを感じます。

   ★

私がこれを購入したのは2009年11月、今から6年6か月前のことです。
あの日太陽を出発した光は、今やケンタウルス座α星やバーナード星といった、太陽に最も近い恒星たちを越えて、さらに遠い旅を続けているはずです。

そして、それは太陽の光だから、そんな壮大な旅をしているわけではなくて、部屋の窓から洩れる微かな灯りも、やっぱりそんな途方もないスピードで、宇宙空間を駆けているに違いなく、そんなことを思いながら、この砂時計を眺めると、たしかに何かを感じます。

反覆する世界…カレイドスコープ2016年06月08日 05時20分22秒



木味に魅かれて手にした万華鏡。
世紀の替わり目に、丸善で開かれた万華鏡の展示即売会で見つけました。


サインが入っていますが、記録を残さなかったので、作者は不明。


この万華鏡は、球状レンズが捉えた外界の景色を、三面の合わせ鏡によって視野いっぱいに増殖させるもので、オーソドックスな万華鏡とは異なり、筒を向ける対象によって、見えるものの形も色も、バリエーションは文字通り無限です。

   ★

万華鏡は19世紀の初め、異能の科学者、デイビッド・ブリュースター(Sir David Brewster、1781-1868)が発明し、「カレイドスコープ(kaleidoscope)」の名も、彼の創案です。語源はギリシャ語の「カロス(美)」と「エイドス(形)」、それにスコープを組み合わせたもの。

写真の万華鏡は、特に「テレイドスコープ(teleidoscope)」と呼ばれるタイプで、1970年代に登場した新顔だそうです。しっかり調べたわけではありませんが、おそらく「遠く(tele)のものを像として取り込むカレイドスコープ」の意であり、テレスコープとカレイドスコープの合成語でもあるのでしょう。


こちらが接眼部。


よーく見ると、その中では光と形の饗宴がすでに始まっています。


カメラのレンズと覗き穴の距離が離れているため、写真には一部しか映りませんが、実際に覗くと、視野いっぱいに像が反復され、圧倒されます。


何ということもない光景も、このスコープを通して見れば、まったく新しい顔を見せてくれます。


これは色形の面白さを楽しむ玩具であると同時に、平凡な日常を異化する道具でもあるのです。


花が好きなら花、石が好きなら石、歯車が好きなら歯車、この筒さえあれば、お好みのままに、自分の愛する世界に沈潜できます。この筒を空に向けたことはありませんが、無限に居並ぶ月の群れを、今度眺めてみようと思います。

プロキシマ2016年06月10日 06時39分05秒



銀の小口を持った本。
先日の砂時計の記事の中で、「ケンタウルス座α星」という単語を書き付けたら、この美しい本のことを思い出しました。

(『PROXIMA』、銀河通信社、2001)

西暦2000年に、三菱地所アルティアム(福岡)で、小林健二氏の展覧会「プロキシマ:見えない婚礼」が開催され、それを記念して出版された本です。内容は、小林氏の過去の作品や文章、インタビューを再構成し、そこに上記展覧会の内容を添えた写真文集。

「プロキシマとは星の名です。

 ケンタウルス座のα星の伴星の1つで、主星が明るいため見つけにくい星であります。またこの星はNearest Star(最近星)と言われ、地球に最も近い恒星として人間に知られていて、地球からの距離は約4.27光年で、27万天文単位、つまり地球から太陽までの距離のおよそ27万倍という事になります。この少し想像を超えてしまうような遠方の星が、地球人にとって最もプロキシマ(すぐそばの意)な星なのです。そしてこのプロキシマのあたりは、地球型の生命系の存在が最も期待されている場所でもあるのです。
 
 ある日、宇宙から見ればそんなに近くの、そしてそれほど遠い方向から、ぼくは1通の幻をもらった気がしたとしてください。」   
(『PROXIMA』 序文より)

太陽系の隣人である「ケンタウルス座α星
この三重連星の中で、地球に最も近い恒星「プロキシマ」。
プロキシマは、主星の回りを100万年かけて、ゆっくり公転しています。
さらにプロキシマの周囲を回る六番目の惑星、「ナプティアエ」(「婚礼」の意)。

ナプティアエの地殻は、厚さ60kmに及ぶ無色の無水珪酸から構成されています。
その内部に形成された晶洞は、透明な天井を複雑に屈折しながら届く、プロキシマの緑の光、さらに茜色と水色に輝くもう2つの太陽の光が満ち、そこに鉱物質の生命「亜酸性鉱質膠朧体」が息づいています。

彼らは7つの性を持ち、27種の核酸基によって生き、1プロキシマ年(2740地球年)に、2度花を咲かせます。まさに我々の想像を超えた、「侵しがたく、また静かなる神秘の都」。

   ★

(『PROXIMA』の1ページ)

小林氏の作品は、こうした不思議で美しい「幻」から生まれました。
そして、ナプティアエは小林氏が創出した多くのイマジナリーな世界の1つに過ぎないのでしょうが、氏にとっては、確かに大きな意味を担った世界のようでもあります。

以下、本書のあとがき(「PROXIMA/奇蹟の場所/Miracle place」)より。

 「ぼくは子供の頃から、鉱物や恐竜などが展示してある自然科学の博物館に行くのが好きでした。そしてまたぼくが思い出せないところまで自分の記憶を辿ってみても、そうしたものを物心がつく頃より好きだったと思うのです。その他にもぼくのお気に入りは、クラゲやゼリーのように、あるいは硝子や石英のように透明なもの、また鳥や飛行機のように空を飛ぶものや電気などによって発光する淡い光、蛍や夜光するものたち、星や宇宙の話、そして闇に潜む目に見えない霊と言われるものたちの事。また、ときにひどく醜いかも知れない悲しみを背負った怪物と言われるものたちすべて、等々です。」

 「プロキシマという天体に興味を持ったのは、子供の頃プラネタリウムに行っていた時「ケンダウルス座のα星辺りに生命がある兆しが発見されそうだ」といったようなことを聞いたからだと思います。もちろん聞き違いだったかも知れません。でも、今でさえどこかの星の上で、地球とはまた異なる世界があることを考えると、何か言い知れずわくわくしてくるのです。」

プロキシマは、氏の幼時の思い出と深く結びついています。
透明なもの、空飛ぶもの、光るもの、妖しいもの、そしてその全てであるところの星の世界。それは我々から遠い存在のようでもあり、すぐそばの存在のようでもあります。
小林氏の作品は、そうした間(あわい)から零れ出たものたちです。

鉱物もまたそうです。
それは透明で、光を放ち、妖しく、我々から遠く、近い存在です。
そして当然の如く、鉱物は氏の子供時代から関心の対象であり、後に人工結晶という形で、氏の「作品」ともなりました。

 「このプロキシマの世界についてまず思ったのは、結晶の世界のことでした。それはここ数年、結晶を作ることにとりわけ興味があることと関係していると思います。」

 「地球上のいたるところで今まで数多くの鉱物結晶が発見発掘されてきました。しかし他の見知らぬ天体では、いったいどのような結晶世界が繰り広げられていることでしょう。生命現象の確認が困難でも、地球型の惑星であるなら必ず鉱物は存在するからです。地球とは異なった組成や地学的運命によって創成される出来事は、どのようなものなのでしょう。」

鉱物はさすがに空を飛ばないだろう…と思われるかもしれません。
でも、それは溶液中を無数のイオンとして飛び交い、互いに引かれ合い、ついには想像を絶する巨大な(イオンの目からすれば、です)幾何学的構造物をつくるに至るのです。

 「結晶が成長していく様を眺めていると、そこはかとなく不思議な世界へといざなわれてゆくのです。一日のうちに0.5ミリでもその成長が見える程なら、実はその物質のイオンは1秒あたり数百の層を結成していることになるというのです。観察者にとっては何千何万年の時間の流れを見るかのようです。いかなる天然の摂理が導くのか、それぞれの成分はその姿を顕わなものとしてゆきます。どのような力が、あるいはまたどのような想いが促すのか、人間には計り知れないと思える世界を、ただ只、まのあたりにするだけです。そんなときにぼくの中に浮かんできた言葉が「見えない婚礼」というものでした。1つ1つ光量子やイオンの世界から極大な宇宙に至るまで、何か人間の目には見えにくい方法があって、それらが知らず知らず了解し合うような、まるで聖なる婚礼のような…。」

(プロキシマ展に並んだ、小林氏の人工結晶「プロキシマ系鉱物」)

   ★

プロキシマ、近くて遠いもの。
人は小林氏の目と耳と口を借りて、その世界を覗き見ることができます。
でも、小林氏の手わざは持たないにしろ、もしそれを望むならば、誰もが自分だけのプロキシマを自分の内に持ち得るのだ…とも思います。

プロキシマ系鉱物2016年06月11日 09時08分22秒

プロキシマは遠いようで、たしかに近い。


現に、プロキシマで採取された鉱物が、ここにこうしてあります。


プロキシマ系鉱物、2種。


硝子壜の中に固定された、細く鋭角的な両錐の結晶。
透明な基質の中に、ライムグリーンとぶどう色が広がり、涼し気な味覚を感じさせます。

   ★

「アーティスト・小林健二氏」とは別に、氏が制作・デザインしたアイテムの頒布を担っているのが「銀河通信社」です(http://aoiginga.shop-pro.jp/)。

このプロキシマ系鉱物は同社から届きました。


銀河通信社に問い合わせをすれば、返信があるし、商品を注文すれば、たしかに届きます。発送元を見れば、それは東京の町中にあると自己主張しています。
しかし、本当にそれは「在る」と言えるのかどうか、ちょっと自信が持てません。
銀河通信社自体、何となく氏の作品のような非在感が伴います。


皆さんは、今単なる液晶の揺らぎを眺め、その向うに、硝子壜に封じ込められた美しい結晶が実在すると信じているでしょう。でも、そのことと、その結晶がプロキシマ由来のものであるという事実を対比させた場合、その「事実性」において、両者にいかほどの懸隔があろうか…と、ぼんやり考えます。

これについては、いろいろな答があるでしょうが、いかに事実性の認定にシビアな人でも、現実のプロキシマ、観測されたプロキシマ、推測されたプロキシマ、思念されたプロキシマ、憧憬のプロキシマ…等々が、この世界でどんな風に折り重なって存在しているかを考えれば、やっぱり頭がぼんやりしてくるのではないでしょうか。

緑と白2016年06月12日 08時03分11秒

もうじき夏至。
梅雨入り後、急に暑くなって、電車に乗るとエアコンが入っていたりします。
そんな蒸し暑い日におすすめしたい、銀河通信社の逸品があります。


銀河通信社の話題が続きますが、私は別に同社の回し者でもなければ、小林健二氏の手の者でもないのです。先日から「around the shelves」と題して、棚に置かれたモノを順番に取り上げるという、一寸ものぐさな試みを続けていますが、今、たまたま同社の品が並んでいる位置にさしかかった…というに過ぎません。(そもそも、さっき確認したら、この品は売り切れなので、ここでいくら長広舌をふるっても、同社の売り上げには寄与しません。)


…と弁解しつつ、改めてどうですか、この「薄荷結晶」「冬緑松針油(とうりょくしょうしんゆ)」のセット。見るからに、清涼感に富んでいるではありませんか。


薄荷の主成分はメントールで、これは化学式 C10H20O の有機化合物であり、無色透明の結晶となります。


いっぽう「冬緑松針油」は、小林健二氏のオリジナル香油で、その製法は不明ですが、名前から察するに、松葉の精油をベースとしているのでしょう。松精油の主成分はピネン(松=パインに由来する名)で、こちらは化学式 C10H16 の有機化合物。(以上はネット情報のつまみ食いです。)

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私は昔から緑色が好きで、歯ブラシの色も緑と決めています。
だから何だという話ですが、まあそれぐらい緑が好きだということです。


ですから、この品は色合いだけでもう十分で、あえて封蝋を解く気になれません。


緑と白のコントラストの何と爽やかなことか。
これさえあれば、エアコンなしで夏を乗り切れる…とまでは言いませんが、身近に置けば涼味が増すこと請け合いです。

棚の隅の昆虫記2016年06月13日 07時02分39秒

現在徘徊している「棚」というのは、私が坐っている机のすぐ左手の本棚のことで、本を並べた手前の空きスペースに、いろいろモノが置かれているのを、漫然と眺めている…というのが、最近の続き物の中身です。

その実際の状況はというと、こんな感じです。


この棚に並ぶ本とモノは、基本的に天文と関係がないので、話の内容も天文からちょっと遠ざかりますが、もうしばらくお付き合いください。
今日の話題の主は、上のファーブルのボトルキャップです。

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覚えている方もおいででしょうが、これは2005年、セブンイレブンがペットボトル飲料の販促のため、店頭で無償配布していたものです(ペットボトルを買うとオマケに付いてきた)。


こうして写真に撮ると、すっかり埃にまみれ、いささか草臥れた感じですが、でもこの品、オマケにしては大変よく出来ています。原型を作ったのは、例によって海洋堂さんで、当時の製品紹介ページは以下。

食玩:ファーブル昆虫記 http://kaiyodo.co.jp/products/fabre.html

 「だれもが子供の頃には昆虫に対してあこがれや、興味、情熱を持っていたのではないでしょうか。そして、そのころ学校の図書室や教科書の中で「ファーブル昆虫記」という物語に出会ったはすです。

  「ファーブル昆虫記」から特に印象深い物語の主役達をフィギュア化。ファーブルが行った独自の観察・実験や、 虫たちの生態描写、なんとファーブル自身までもフィギュアなって登場しております。多くの人が人生で最初に出会うであろう、上質の博物学「ファーブル昆虫記」をフィギュアでお楽しみ下さい。」
 (上記ページより)


「裏庭の猛獣」キンイロオサムシと、「聖なる昆虫」ヒジリタマオシコガネ


「麻酔針を持つ狩人」アラメジガバチと、ランドックサソリのダンス。
食玩のラインナップとしては、ほかに「羽化するトネリコゼミ」、「遠来の求婚者・ヒメクジャクヤママユ」、それに梨玉作りに励むヒジリタマオシコガネが入ります。


それと昆虫ではありませんが、ファーブル先生自身。
ミツカドセンチコガネを観察するファーブルです。

『ファーブル昆虫記』には、糞虫類の記録がたくさん出てくるので、どれがどれだか私も記憶がごっちゃになっていますが、ミツカドセンチコガネは、タマオシコガネのようないわゆる「フンコロガシ」ではなく、替わりに土中に長い縦穴を掘り、そこに獣糞を蓄積して子育てをする種類です。トンネルの長さは約1.5メートルに達し、ファーブルはその観察に大変苦労しました。

フィギュアになっているのは、その最初の観察装置で、結局これでは上手く行かなかったので、その後2番目の装置を作り、ようやく観察に成功しています。

(右が最初の装置、左が2番目の装置。出典:『ファーブルの写真集・昆虫』、新樹社)

ともあれ、いずれも『ファーブル昆虫記』を読んだ人には、深い印象を残した虫たちで、ただのオマケとはいえ、ファーブル好きには嬉しい企画でした。(この品は、今でもその手の店で―ヤフオクやアマゾンでも―売買されているので、手に入れるのは簡単です。)

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『ファーブル昆虫記』とフィギュア。
ある意味、たいへん日本的な光景だともいえます。

瑠璃色の虫2016年06月14日 07時00分34秒

いかに海洋堂のフィギュアがよく出来ていても、本物のオサムシの繊細さを全て表現することは望むべくもありません。


オオルリオサムシ
東急ハンズでも見かける、ネイチャーサイエンス社(札幌)の壜入り昆虫標本です。


何度見ても美しい衣装。
緑好きの影響はこういうところにも及んでいて、ショーケースに沢山標本が並んでいる中でも、ついこの色に目が向きます。

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ネイチャーサイエンス社http://naturescience.jp/)は、北海道生まれの教育雑貨ブランドで、その主力商品が、こうした壜入りの昆虫標本です。

パッと見、その値付けを高いように感じたのですが、これは技術料込みであるのと、完品のみ扱うことによる歩留まりの低さも影響しているのでしょう。一頭一頭、きちんと採集データが記載されているのは良心的で、社名に恥じぬ配慮です。

ここでさらに注目されるのは、同社代表の八戸耀生さんのことで、八戸さんは航空写真家として、熱気球からの空撮で、その方面では有名な方だそうです。八戸さんからすると、熱気球カメラマンがご本業で、昆虫標本の販売は副業ということになるのかもしれませんが、いずれにしても何だか不思議な方であり、そういう生き方に羨望を感じます。