ライト&レフト2016年07月09日 11時44分43秒

今日は閑語ではなく、真面目に書きます。

明日の選挙は、改憲との絡みで、歴史のターニングポイントになる選挙である可能性がきわめて高いです(与党がその争点化を必死に回避していることから、逆にその意図が透けて見えます)。

繰り返しますが、私は現政権にはっきりと反対の立場なので、野党に投じるつもりですが、こういうと「あいつはサヨクだな」と反射的に思う人も出てくることでしょう。

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このウヨク、サヨクという言葉。

時代の閉塞感が増して、社会の右傾化や、戦前回帰を憂える声も強いですが、戦前を振り返るとき、私はそこに少なからず違和感を覚えます。
私の目に映る現今の世相は、むしろ右翼の衰退です。

今のウヨクは、「保守、体制、資本主義」などのタームと親和性が高くて、「革新、反体制、社会主義」のサヨクと対立するイメージですが、これは21世紀の日本という、かなり限定された状況での理解ではないでしょうか。

昭和戦前の右翼には、「革新、反体制、反資本主義」という、現在とは真逆の主義主張がありました。血気盛んな彼らは、はっきりと反資本家の立場であり、右翼革命を志向していたのです。一人一殺主義を掲げ、政財界の要人を狙った、例の「血盟団事件」を想起すれば、この点は明らかでしょう。

昭和維新を呼号した人たちにとって、時の政治家や資本家は、いわば江戸時代の「幕閣」であり、自分たちこそ筋目正しい尊王の志士だ…というヒロイズムがあったのだと思います。彼らは為政者にとって、きわめて危険な存在として、目を付けられていました。

今のネトウヨ的な人々は、資本家の走狗となって、反資本家勢力を叩きのめすのに力を注ぐ「愚連隊」に近い存在で、戦前の右翼の衣鉢を継ぐ者とは、到底言えません。

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ここで思い出すのは宮沢賢治のことです。

賢治が故郷岩手を出奔して、出入りしていた「国柱会」というのは、その名前から想像がつくように、はっきりいえば日蓮主義を掲げた右翼団体です。血盟団を組織した井上日召も日蓮宗の僧籍にある人でしたが、日蓮の思想はファナティックなものと結びつきやすく、日蓮主義を思想的バックボーンとした右翼団体は、当時いろいろありました。

賢治は抒情の人であるとともに、民衆愛の人であり、反権力の人でしたから、現代の区分でいうと、サヨクと親和性が高いと思いますが、昔の物差しでいえば、はっきりと右翼です。

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もちろん、私は戦前の右翼を支持しているわけではありません。
左右どちらの看板を掲げていようと、私はあらゆる全体主義に反対です。
そしてまた「自由主義」の名で行われる不正義にも反対です。

おそらく、今の「ウヨク vs. サヨク」の図式から欠落しがちなのは、権力者 vs. 民衆(貧者)」のテーマです。お奉行様と越後屋が結託して民衆をいじめる…というのは、何も時代劇の世界ばかりではなくて、今目の前で起こっている事態は、まさにそういうことです。

おそらく今の為政者が警戒しているのも、「権力者vs. 民衆」の対立軸が、露骨に可視化することではないでしょうか。そういう語り口が、今は世間の表面から巧妙に隠蔽されていますが――あるいは、目くらましとして身近な「小金持ち」や他国に対するルサンチマンを刺激して、権力者への怒りをそらしていますが――でも、こういうことは、もっとあけすけに語った方が良いのです。そうでないと、とにかく民衆からは搾れるだけ搾ってやろう…という普遍的な悪だくみが、またぞろ繰り返されることになります。

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一人一殺は過去の悪夢です。
今はぜひ一人一票を。