新しい朝2016年07月11日 06時46分21秒

切に忍びないです。
EU残留を志向したイギリスの人の気持ちがよく分かります。
しかし、歴史の転換点に立ち会うというのは、愉快かどうかは別にして、とても興味深いことです。

悪者さがし…というのとは、ちょっと違うんですが、今回の選挙の「立役者」は何といってもマスコミで、ネットの普及でマスコミの衰退が言われて久しいですが、まだまだマスメディアの影響力は健在なことを知りました。そして、マスコミを掌握するとは、これほど効果があることなのか…ということを実地に学び、「ナチスの手口に学べ」と言った麻生氏の先見の明に、改めて感服しました。

これから先、我々は(というか私は)さらに多くのことを学ぶでしょうが、その授業料はずいぶん高いものにつくでしょう。

   ★

呑気が取り柄の「天文古玩」も、この先どうなることでしょう。
ここで、10年前に自分が書いた記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/05/)から、天文趣味が持つ或る可能性について、先人の言葉を引いておきます。


 「およそ知性ある者、美しい光景に心を動かす者であれば、たとえ貧弱きわまりない望遠鏡であれ、起伏に富んだ白銀の三日月が、紺色の空でうち震える様をひと覗きすれば、すばらしい喜びに感極まり、今や地上の俗生活を離れて、宇宙旅行の最初の停泊地を訪れているのだと感じるのではあるまいか?

 およそ思慮深い魂ならば、4つの衛星を従えた壮麗な木星を、神秘の環で囲まれた土星を、はたまた緋色とサファイアブルーに輝く二重星を無限の夜空に眺め、しかも驚異の念で心が満たされぬということがあろうか? まさに然り!

 もし人類が――野良仕事のつましい農夫や、都市で苦役につく労働者、教師や自立できるだけの資産を持ち、今や富と名声の絶頂にある人々、果ては浮薄この上ない社交界の女性に到るまで――どんなに深い内的な喜びが、宇宙を眺める人々を待ち受けているかを知ったなら、そのときこそフランスは、いや全ヨーロッパは、銃剣ではなく望遠鏡で覆い尽くされ、世界の幸福と平和は大いに増進するに違いない。」


フランスにおける天文趣味の偉大な指導者、カミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、1880年に自著に記した言葉です。

たしかに、現実の歴史はフラマリオンの期待を裏切ったことを、我々は知っています。
しかしそれでもなお、時々首をぐっと反らせて、自分の頭上に広がる無限の空を眺めることには深い意味があり、自分を豊かにすることだと思います。

このブログでは、そのことを倦まず語っていきます。
心を無限の空で満たして、また歩き出すとしましょう。
そして、「銃剣ではなく、望遠鏡を!」と、何度でも口にするのです。

コメント

_ ハイパチ ― 2016年07月11日 07時44分16秒

玉青さん 御無沙汰しています。

 イギリスの国民投票が教訓になればと願っていましたが、、、

   ” 新しい朝 ” がやってきました。

   「銃剣ではなく、望遠鏡を!」、、  はい、私も、また、歩き始めます。

_ うるう日 ― 2016年07月11日 07時47分08秒


いつも美しい文をありがとうございました。

世のいやしい流れは
こころにもかけずにいようといつも思っていますが、
今朝は、ダメでした。
新聞のいやらしい大見出しを目にしてしまい、
下劣さにガッカリしていました。

けれど、天文古玩さんの
うつくしい言葉に涙がでました。

下劣な伝統には目もくれずに、
うつくしい心の伝統にみずからをつらねる努力を
わすれずにいたいと、大げさですが、
思いなおすことができました。
ありがとうございました。

_ Nakamori ― 2016年07月11日 15時15分49秒

心を静めるために時々遠くから拝読させていただいております。

ただ今回は、賛同の声をあげさせてください。

望遠鏡を納戸にしまって久しいですが、時々は取り出して、

アルビレオの方角にレンズを向けなくてはなりませんね。

_ S.U ― 2016年07月11日 18時45分42秒

>フラマリオンの期待

 ある意味では、現代の日本において、フラマリオンの期待はより重要になったとも言えると思います。

 自然や外国に余剰資源がいっぱいあって、誰もが働く以上の利益が上げられた時代なら、政治は、法律と知識と技術だけですんだかもしれません。また、武力や革命で物事を決していた時代も、それはそれでハッキリしていたことでしょう。

 しかし、現在の日本では、専門家の計算や政治的な駆け引きだけで、多くの難問が解決するわけではありません。あちらを立てればこちらが立たず、凝った政策が裏目に出ることも多いです。税負担をどうするか、若者と年配の人のシェアをどうするか、原発再稼働をどうするか、これらは、短期の算盤勘定が最適解であるはずもなく、個人の生命とはなにか、家族とは、国家とは? 人類文明の進歩を地球、宇宙との関係に照らして千年単位で考えることが必要になるでしょう。哲学を離れてはどうにも答えが得られない時代になったと思います。国民がそれぞれ哲学を持ち、ゼロに戻って政治家に問い質すことが必要ではないでしょうか。

 そういう意味で、フラマリオンの期待も、まことに達見であると存じます。そろそろ、国民こぞって、望遠鏡で天を眺めて、原発再稼働を、子育て支援を、税制を、金融緩和を考える、というのが、やってみる価値のあることではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年07月12日 23時13分07秒

○ハイパチさま

お久しぶりです。
思えば、お互い長くなりましたねえ。
歩みが長ければ、自ずといろいろなことも経験するわけで、これも歴史のしからしむるところでしょう。とにもかくにも、今は前へ!

○うるう日さま

コメントを、大切に拝読しました。
私の方こそ、うるう日さんの言葉に涙がこぼれる思いです。
私の拙い文が、うるう日さんの美しい心根に触れて、そこに澄んだ音色を奏でたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
思うに心は絶えず揺れるものですから、いろいろ波立つことも多いですが、そうした折には、変らぬもの、遥かなもの、大きなものを見つめることが大切ではないかと、常々思っています。

○Nakamoriさま

賛同の声をお寄せいただき、ありがとうございます。
まさに同志を得た思いです。
アルビレオはこれから徐々に見ごろを迎えますね。
夏の夜空に高々と浮かんだその姿を、ぜひ再びご覧いただき、思いを新たにしていただきますように!

○S.Uさま

見ること、考えること、感じること。
フラマリオンを偲びつつ、星を眺め、世界を眺め、人の心を眺めることにしましょう。

_ うるう日 ― 2016年07月13日 09時07分35秒

あたたかいコメント、ありがとうございました。
こころはゆれるものだから、
はるかなもの、大きなもの、かわらぬものをみつめることが
大切 とのこと、
とてもドキリとして、本当に心にひびきました。
大事にさせていただきます。

これからも、すてきな文章を楽しみにさせていただきます。
はるかで大きな、かわらぬものの見方を
いつも教えていただいております。
本当にありがとうございました。

_ TOKIWA ― 2016年07月13日 22時57分30秒

世界が今よりもっと美しいもので満たされれば、
争いや憎しみも少なくなるだろうと思っていました。
けれど何もしなくたって空には美しい光が溢れていて、
ただ空を見上げるだけで・・・私も望遠鏡が欲しいです。

_ 玉青 ― 2016年07月14日 06時52分02秒

○うるう日さま

こちらこそお礼を申し上げます。
今後も永くご縁が続きますように!
またお気軽にコメント等お寄せいただければ嬉しく思います。

○TOKIWAさま

ナチスの将校には芸術愛好家も少なくなかった…などと聞くと、いろいろ思いは乱れるのですが、そういう事例こそ、以前「閑語」と称して書いた「人格の解離」がポイントになっているのかもしれません。
一人の全体として感じ、全体として感動できるようになれば、そのときこそ争いはなくなる…と思いたいですが、人の心の闇や謎はさらに深いかもしれず、この点はこれからも考えていきたいです。――これぞ、空を見上げて考えるのに相応しい問題かも。(^J^)

_ S.U ― 2016年07月15日 07時35分16秒

>ナチスの将校には芸術愛好家
 関連する別欄で私がコメントを差し上げたとき、御ブログが「総合芸術、総合哲学」であると書きましたが、このときに、ちらっとナチスの持ち上げた「総合芸術」を思い出しました。
 表面上の意味するところは違っていて、ナチスのは1つのパフォーマンスとしてのマルチメディア芸術のようなもの(ワーグナーのオペラ)を指し、私の言うのは芸術文化の総合体といった意味ですが、これでも哲学的な根拠を求めればさほど差はないのかもしれないようにも思えます。ナチスや強権下のソビエト、中国政府がめざした学芸運動がリベラルアーツであったのか(政府が押しつけた段階でリベラルではないのですが、ここでは、個人の思想、嗜好に落とし込んだ状態においてどうかということを問うています)は、いずれも、それによって個人が世の中を総体的に評価できるという点で共通していて、一筋縄ではいかないというふうに感じます。
 それでも、単一民族主義のような偏狭なものかそれとも少数者にも寛容なものかということで区別を付けることは可能ですし、宗教や政治体制との関連なども指標になります。そのそれぞれは「人の心の闇」ではどのように処理されているのか、・・・結局、星空を眺めないとわからないのかもしれません。

_ 玉青 ― 2016年07月16日 14時11分34秒

遠い昔、芸術と宗教は切り離せませんでした。政治と宗教もまた然り。
∴ 政治と芸術が混然一体となっていた時代もたしかにあったのでしょう。
旧共産圏やナチスのプロパガンダ芸術は、そのリメイク版なのかもしれません。
人間、なかなか性根は変らないものです。そこに闇があり、謎があるのでしょうね。

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