再びレーニン号2016年07月22日 06時16分39秒

ついでに、レーニン号の絵葉書も載せておきます。


星のまたたく暁の空(それとも夕暮れ?)。
砕氷船レーニン号と、軍艦のシルエットから照射されたサーチライトが、ソ連のロケットを真一文字に照らしています。
何か政治的プロパガンダなのだろうと想像はつくものの、こういうのは背景が分からないと、何を表現しているか、さっぱり分からないですね。


絵葉書の下に書かれたロシア語をグーグルに尋ねたら、「Glory to the October!」の意味だと教えてくれました。すなわち、1917年に勃発した十月革命を讃える言葉だそうです。そうは分かっても、依然謎めいた感じは残りますが、おそらくソ連の技術力と軍事力が新しい時代を照らし、かつ切り拓く…みたいなイメージなのでしょう。


裏面には1961年の消印が押されており、これまた「熱くて冷たい」冷戦期の空気を今に伝えています。

まあ、強権政治の暗い記憶はそれとして、この砕氷船と青い星空の取り合わせには、たしかに涼味を感じます。

コメント

_ S.U ― 2016年07月22日 20時32分58秒

>当時のソ連の人の意識というか、まなざしはどうだったんでしょうね
 勝手ながらスレッドを替えさせていただいてこちらに持ってきました。
 これについては私は少し不思議に思うのですが、ここ25年間の経験では、あまりロシアの人がソ連崩壊時の感慨を語ったのを聞いたことがありません。買い出しの行列がたいへんだったとか、個別の政治家や公務員がけしからんかったとかそういう話はあるでしょうが、共産党独裁の体制がなくなったことの感慨はあまり聞かないように思います。もしかするとロシア人にはそういう抽象的な感慨はなく、そういうことを思っているのはむしろ日本人やアメリカ人なのかも、とそんなありそうもないことまで考えてしまいます。

>レーニン号~「Glory to the October!」
 私は子どもの頃、ソ連の宇宙開発のファンで、鉄のカーテンの向こうからの「栄光の発表」を心待ちに暮らしていたのですが、そのなかで、レーニンの誕生日(4月)と革命記念日(グレゴリオ暦では11月だけどロシアではユリウス暦なので十月革命と覚えさせられました)は一応のタイムマークでした。というのは、今の北朝鮮のミサイル発射ではありませんが、当時は、ソ連がこれらの記念日に合わせて宇宙開発の偉業を成すとか重大な計画発表をするとかそういうウワサが事前に本国やら西側やらから流されたからです。ですが、実際に、レーニンの誕生日や革命記念日に偉大な達成が成された記憶はほとんどありません。ソ連の宇宙開発はこの間、偉大な進歩があったのですが、これらの記念日と結びついているものは少ないと思います。
 単に計画が遅れたり憶測がはずれたりなどだったのだと思いますが、おおむねこういう記念日に絡めるのはただの国内向けの景気づけに過ぎなかったのではないかと今では思っています。

_ 玉青 ― 2016年07月23日 07時23分45秒

東欧諸国の人は政府や党に抑圧され、国そのものもソ連に抑圧され…の二重抑圧だったので、ソ連崩壊と冷戦終結はとても大きな意味があったでしょうね。
ソ連でも抑圧は普遍的だったでしょうが、一方では抑圧する主体でもあったので、その辺でアンビバレントなものがあるのかも。そしてまた、今のロシアでも新たな抑圧は絶えず生じており、さらに社会の変化から零れ落ちた人の中には、旧体制を懐かしむ思いも強いらしいので、なんだかんだで「めでたさも中位なり」になっているのではないでしょうか。
(他国の人から見たら――あるいは普通に考えたら――抑圧的な「戦前回帰」を志向する日本人も相当奇怪な存在ですが、まあそれと似たようなものかもしれません。)

ときに、S.U少年は堂に入ったソ連通だったのですね。(^J^)

連想で自分語りするのをお許しいただきたいですが、私が子どもの頃は、ちょうどBCLブームで、モスクワ放送と北京放送が、互いに相手を口汚くののしるのを聞いていました。で、べリカード欲しさに受診報告書を送る際、「どちらの言っていることが正しいのですか」と質問をしたことがあります。小学生の私は、「もちろん我が方の主張が正しく、相手の言うことを間違いだ」という答えを予期していたのですが、ベリカードに同封されていた手紙には、「世界にはいろいろな考えがあります。それぞれの言い分を聞いて、よく考えることが大切です。世界の人は仲良くすることがいちばん大事なことです」といったことが書かれていて、己の浅薄さを大いに恥じました(その返事をくれたのが、モスクワか北京かは忘れました)。小学生に妙なことを吹き込まず、大事なことを伝えようとした、あの担当者の方には今でも感謝しています。

_ S.U ― 2016年07月25日 13時51分02秒

 玉青さんの「昭和の小学生平和外交官」のお話しすばらしいと思いました。
当時の社会主義国はプロパガンダも盛んでしたが、歴史が体制の正しさを証明することによってそれが世界に広まっていく、というまっとうな弁証主義が彼らの信念にあったのではないかと思います。当時の社会主義は多くの問題を抱えていましたが、この点では、現在の刹那的市場主義よりは良いところもあったわけで、現在、国家体制や意見の違いを超えて、見習うべきところは見習っていただきたいものです。

 私の「ソ連通」は、モスクワ放送も情報源の一つでした。が、もっぱら、宇宙開発の情報のみが目的でした。そういえば、モスクワは北京のことを「修正主義」と呼んでいて、この「修正」というのが悪罵の意味で使われているらしいのが面白かったです。それからブレジネフ「書記長」がコスイギン「首相」より偉いらしいのもヘンな感じがしました。

_ 玉青 ― 2016年07月25日 21時11分41秒

顧みれば、もう40年以上昔の話ですね。
泉下に赴くまで、天下国家のこと、そして人間そのものについて、今しばらく歴史に付き合って、省察を深めてみようと思います。

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