南極の海をゆく(1)2016年08月06日 14時39分50秒

さて、めげずに南極です。

「南極」というのは、本来「南極点(South Pole)」を指す言葉でしょうが、ここでは広く「南極大陸(Antarctica)」や、その周辺も含めた「南極地方」の意味で使うことにします。

「南極地方」の定義も様々ですが、大雑把に言えば、南緯60度の線で囲まれたエリアにあたります。分かりやすく北半球に置き換えてイメージすると、北緯60度線は、アラスカ、グリーンランド、フィンランドをすっぽり含み、シベリア北部を横断し、カムチャッカ半島の付け根を通る線になります。

南北で大きく違うのは、北半球だと、60度線以北にも人がおおぜい定住していますが、南緯60度以南は、南極大陸と、いくつかの島がポツポツ存在するだけで、ほぼ無人の地域だということです(これは端的に言って、南緯60度の方が、北緯60度よりも寒いせいです)。

(南北の60度線)

本書、『南極洋水路誌』が記載するのは、ここでいう「南極地方」よりもさらに広く、南米、アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドの南端を結ぶ線と、南極大陸に囲まれた海に関する情報です。

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この本を読んでいて、「なるほど」と思わず膝を打つことが、いくつかありました。

(1909年、シャクルトン隊を迎えるニムロド号。シガレットカード「極地探検」シリーズより。ジョン・プレイヤー社、1915年)

例えば群氷、すなわち群れ成す流氷に関する以下のような記述。
(以下、原文の漢字カナを漢字かな表記とし、適宜改行、句読点を補いました。)

「群氷を通航する方法は、船舶の種類に依り大差あり。
氷に対して特に設計したる木造船は、氷に挟まれ、又は閉塞せらるる危険ある場合と雖も、強圧する群氷内に故障なく進入し得べく、斯かる場合、鋼船は氷との接著に対する防護あるものと雖も、甚しき損害を蒙るべし。」 
(p.31)

低温の海では、鋼鉄船は木造船よりも氷に弱かった…というのは、金属の表面は氷結しやすく、氷に容易に捉えられて、身動きがままならなかったからでしょう。

さらに、「又、船首の尖鋭なる鋼船は氷中に突入の際、楔の如く締め付けらるるに反し、船首水線下部豊かなる船舶は、此の場合却って氷を排除し得べし。」 (p.31-32)

いかにも氷を断ち割りそうな尖った船首はダメで、ずんぐりした形の方がよい…というのも、実際に経験してみないと、なかなか会得しがたい点です。そして、「群氷通航の金言は」――と、本書は厳かに宣言します。「絶えず動く」ことなり」。

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あるいは群氷の只中で、より進行の容易な、氷のない水面を察知するにはどうしたらよいでしょうか? こういう場合、海面にじっと目を凝らしてもダメで、空の色を見ろと本書は教えてくれます。

「開放せる水域又は広き水路ある方向は、水平線上の暗き空色に依り知り得べし。」 (p.32)

氷が存在する海の上は、氷の反射光でボンヤリと明るいからで、これは群氷を事前に察知するのにも応用できます。

「未だ視界に入らざる群氷の存在する第一の兆は、水平線上に生ずる白色反射光なり、是氷光(Ice blink)として知らるるものなり。」 (p.31)

さらにまた、

「氷に覆はるる陸地に近接する際、陸影を認むるに遠く先〔さきだ〕ちて屡〔しばしば〕黄色を帯びたる朦朧たる陸光(Land blink)を見ることあり」 (p.33)

とあって、氷というのは実に明るいもののようです。

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そして南極の氷といえば、美しく且つ恐ろしい氷山。
その恐ろしさの理由の1つは、海上において氷山は群氷と異なる振舞いを見せ、しばしば我々の予想を裏切るからです。

(ジョン・プレイヤー社の同シリーズより。「氷山の形成」)

「群氷中の氷山は、風の影響を受くること少きを以て、群中他の氷塊と異りたる速度を以て移動すとは、常に称せらるる処にして、他の氷塊より移動遅きを常とす。氷山は水面下の流の為、群氷が風に流されある際、之と異方向に移動することあり、氷に固著せる船舶に対し、氷山が最も危険なるは、斯くの如き状態に於てなりとす。」 (p.27)

氷山はできるだけ早く察知し、危険を回避しなければなりませんが、氷は上述のように明るいので、視界良好ならば、暗夜でも察知に困難はありません。

「晴天の暗夜に於ては、1-2浬の最短距離に於て氷山の視認に殆ど困難を見ざるべし。此の際、氷山は白色又は暗黒の物体の如く見ゆるも、全力航行時と雖も、何等不安を感ぜしめざるべし。」 (p.33)

しかし、ここに思わぬ魔物が潜んでいます。それは月です。

「月は其の月齢及び方位の如何に依り、氷発見に最も有力なる価値を発揮し、又は著しき妨害と為るべし。月に向へば氷山は発見困難と為り、月を背にせば時に昼間に於けると同様遠方より認め得べし。」 (p.33-34)

月は氷山の存在を明らかにし、同時におぼろにもする曲者です。

「甚しく雲多く、月其の間に出没する際は、氷発見特に困難なり。
時として走雲の集団は物体を朦朧たらしめ、船首に認めたる氷山も再び正横か或は正横後に認むる迄、全く見失ふこと屡あり。同様の夜に於て、羊毛の如き積雲及積乱雲は、屡氷山よりの氷光の観を呈することあり。此等想像氷山は、甚だ困惑を生ぜしむるを以て、速力を減じ、甚深の注意を払はざるべからず。」 (p.34)

大海に浮かぶ雲と氷山、そして月。実に夢幻的なイメージですが、船乗りにとっては一瞬の油断もできない、魔の時間であったことでしょう。

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本書冒頭の「第1編 総記」の章は、南極と南極の海の気象条件、海流、地形、動植物、その探検史を倦まず講じて、氷海をゆく心の準備を与えてくれます。
こうして予備学習が済んだところで、いよいよ実地の海に乗り出します。

(この項つづく)