機械仕掛けの水族館2016年08月17日 06時34分27秒



昭和戦前のエンゼルフィッシュ時計(金魚時計)を模したリプロ製品。
現代の中国で大量に作られているものです。

オリジナルのエンゼルフィッシュ時計は、機械部分がカバーされていて見えませんが、リプロの方は、あえてそれを見せることで、一種の景色を作っています。


仔細に見れば、たしかにいろいろ弱点はあります。
手前のごつい歯車は、単に見かけだけで、時計としては機能していないように見えますし、


上部の3つの歯車は、安手のプラスチック製です。


それでもゼンマイを巻けば、上の2匹は秒針代わりに回旋を始め、


下の1匹は盛んに身をくねらせて、時の流れの中を元気よく泳ぎだします。

   ★

緑の色ガラスも涼し気で、全体のチープさは玩具めいた気安さに通じます。

カルピスを飲みながら、あるいはガリガリ君を齧りながら、こんなものをぼんやり眺めて一日を過ごす…というのが、正しい夏の過ごし方ではなかろうかと思います。




コメント

_ S.U ― 2016年08月17日 08時09分18秒

>戦前の金魚時計
 そういうものがあったとは知らなかったので、画像検索してみましたところ、歴史的な物は、ふたの部分がゼンマイと指示器を含む器械になっているようですね。
 ゼンマイ時計と言えば、振り子かテンプが必要だと思うのですが、これは2匹の金魚がテンプの役割をなしているとは思えません。
 現在のクォーツ時計にも飾り物の振り子がついているのがあります。飾り物の動きをもって時計の機構を「象徴する」という工夫は、かなり昔からあったのですね。

_ 玉青 ― 2016年08月18日 16時46分21秒

まあ、こういうものはあまり深入りせず、どうぞボンヤリ眺めてください。(^J^)

_ S.U ― 2016年08月18日 20時37分19秒

>あまり深入りせず
 あぁ、そうですね・・・ 夏の金魚ですからね。これは一本取られました。

 でも、私は、ゼンマイ時計だけは、ダメなのですよ・・・ 
私は幼児の時にゼンマイ時計を分解するという趣味があったらしく、成長してから親に「お前にはいくつ時計を壊されたかわからん」と言われました。記憶にあるのは最後のほうの2つくらいだけです。上のは三つ子の魂のコメントでした。

_ 玉青 ― 2016年08月19日 21時55分01秒

そして今や神の作ったゼンマイ時計を分解することに熱中されているわけですね。(^J^)

_ S.U ― 2016年08月20日 08時14分13秒

>神の作ったゼンマイ時計を分解することに熱中
 おぉ、 これは、ちょっと「畏れ多い」表現ですね。

 すみません。また脱線ですが・・・ 

 生物学で、遺伝子を分解、再構成して新種を作るというのは、禁止はされていませんが、宗教上倫理上の立場から問題にする人はいます。(人間の遺伝子操作での細胞分化については倫理委員会をパスしない範囲は禁止ですが、これは、倫理と言いつつ、実は広い意味での人体実験、人権問題になるからで、一応、別問題だと思います。)

 化学や工学で、原子や原子核を分解して再構成するのは、宗教上、倫理上の問題が指摘された例をしりません。もちろん、核兵器の製造などは倫理上の問題ありですが、これは物質の操作自体の問題ではなく、大量破壊兵器の製造、あるいは、処理が困難な物質の拡散に繫がるから問題があるのでしょう。

 今のところ、素粒子物理学や宇宙科学において、その究極の詳細を分離して研究する(素粒子や天体の隠れた内部構造を解明することが目的で、実用化は含まないとします)ことに際して、宗教上倫理上の問題は指摘されていません。

 しかし、潜在的にはそのような問題の観点や問題意識がまったく無いわけではないと思います。将来、何らかの問題が出てくるのかどうか、密かに気にしています。

 でも、まあ、世の中の権力者によって、宗教戦争や人権蹂躙が大手をふってまかり通っている現在ですから、細かいことにいちいち宗教だ倫理だと気にするほうがおかしい、ほかに先ず解決すべきことがあるだろ、という気もします。

_ 玉青 ― 2016年08月20日 18時17分50秒

人が人を創造し、改変することへの畏れ。
人が宇宙を創造し、改変することへの畏れ

この両者はパラレルかもしれませんね。
そんなところに、今後は「物理倫理学」や「素粒子倫理学」が生まれる可能性も大いにありそうです。

人はいつか「宇宙の種子」を手に入れて、実験室で別の宇宙を作り出すことができるようになるかもしれませんし、物理的宇宙ではなしに、強力な計算技術によって、宇宙進化のシミュレーションを自在に行なえるようになるかもしれません(その萌芽はすでに見られますね)。そして、仮想宇宙に生まれた仮想生物が経験する仮想の苦痛に対して、人間はどこまで責任を有するのか…とか、難しい問題にも直面することになるのでしょう。

そうなると、人間のやっていることはまさに神と同じですが、残念ながら神ほど透徹した目を持っていない人間には、いささか荷が重いことでしょうね。

_ S.U ― 2016年08月21日 07時21分06秒

>「素粒子倫理学」
 現在、人類は、原子炉や加速器で、自然界にはほとんど存在しない物質であるプルトニウム、反陽子、ボトムクォーク、トップクォーク、ヒッグス粒子など生産できるようになりましたが、それらは自然法則を利用した「工業製品」と同等なので、大量破壊につながらない範囲では倫理問題は生じないのでしょう。しかし、光速やプランク定数などの宇宙の自然定数を操作したり、おっしゃるように別の宇宙が作れるようになると倫理問題が生じてくるでしょうね。タイムマシンもできたら実用上は相当問題があると思います。

>いささか荷が重い
 医学とか生物学で「倫理規定」の設定がありますが、これは看板に偽りありで、これらの分野でも現在のところ、本当の自然哲学から来る倫理上の制約というのは机上の議論だけで、実際の社会に適応されているのは、社会の治安の維持と人権の擁護くらいのような気がします。研究の妨げになったり、国際協力に余分の議論を持ち込むことを忌避しているのではないかと思います。この程度の「政治判断」ではヒトラーのような人が出てきたらどうなるのか、危うさを感じます。そうでなくても、先端医学で人間がものすごく長生きできるようになると、倫理的な問題が生じてくるでしょう。

 いっぽう、本当の倫理のほうは、机上の議論であっても、現代科学の進歩が古来の自然哲学の思索を人類全体において前進させていることは、肯定的に捕らえられると思います。そういう意味では「素粒子倫理学」も歓迎できます。

_ 玉青 ― 2016年08月21日 12時09分40秒

倫理の諸問題の根本にあるのは、私の見るところ、
「善悪は多数決では決められない」vs.「善悪は多数決でしか決められない」
の対立のような気がします。そして、人間の根本的な弱さは、この2つの意見のどちらが正しいかを決するには、結局多数決に頼るしかないところではないでしょうか。

唯一神的な神様が、人間に比べて圧倒的に有利なのは、まさに唯一の存在であるがゆえに、多数決に頼らず、何でも自分で決められるところでしょう。神様はおそらく倫理の問題で悩むことはないはずです。(それでも人間のような存在を生み出したのは、神様もちょっと心細くて、参考意見が欲しかったのかもしれません。)

_ S.U ― 2016年08月22日 08時40分30秒

今や科学の研究は、東洋も西洋もイスラム教国もない共同で発展することになっているので、唯一神の神様にすがるわけにもいかず、人間の孤立無援状態となりました。金権至上主義はさすがに具合悪いので、まあ多数決でやむを得ないか、というところではないかと思います。もうちょっと知恵がほしいところですね。

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