天文古書に時は流れる(2)…印刷技術のはなし ― 2016年09月14日 06時39分31秒
話の腰がすっかり折れましたが、ひとまず前々回のつづきです。
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1860年、1883年、1900年、1923年。
およそ20年間隔で並んだ4冊の「同じ」本。
そこには、本づくりの基本である印刷技術において、目立った違いがあります。
およそ20年間隔で並んだ4冊の「同じ」本。
そこには、本づくりの基本である印刷技術において、目立った違いがあります。
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1860年というと、日本はまだ江戸時代の安政7年で、桜田門外の変により、大老・井伊直弼が斃れた年…と聞くと、ずいぶん昔のような気がしますが、実際そうに違いありません。
1860年版の『星界の驚異』を開いた印象も、「古風」の一語に尽きます。
その「古風」の正体を一言で述べれば、「黒々している」ということで、まあ黒々していることにかけては、後のエディションもそうなのですが、こと1860年版に関していうと、徹頭徹尾黒いです。
その「古風」の正体を一言で述べれば、「黒々している」ということで、まあ黒々していることにかけては、後のエディションもそうなのですが、こと1860年版に関していうと、徹頭徹尾黒いです。
たとえば巻末の天球図。
(1860年版)
これを後の版と比べると、その「黒さが違う」ことの意味がお分かりいただけるでしょう。
(1923年版。この天球図は1883年版以降共通です)
そしてこの黒さは、即ち「版画の黒さ」です。
1860年版の特徴は、まだ挿絵に石版が登場していないことで、すべて金属版――銅版ないし鋼版――か、木口(こぐち)木版です。
木口木版は、金属版と違って凸版ですが(だから活字と同じページに組んで、同時に刷ることができます)、目の詰んだ堅木をビュランで彫ったその線の質感は、普通の木版(板目木版)よりも、むしろ金属版に近いものがあります。
よくインクの乗った、黒々とした月面図。
その濃淡は線の疎密で表現されており、これは「線の芸術」と呼ぶべきものです。
その濃淡は線の疎密で表現されており、これは「線の芸術」と呼ぶべきものです。
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(1883年版表紙)
これが1883年版になるとどうか?(ついでに言えば、1883年は明治16年で、鹿鳴館がオープンした年だそうです。)
そこに登場したイノベーションが、「石版」と「写真」です。
上は、最初期の天体写真家である、イギリスのウォレン・デ・ラ・ルー(Warren De la Rue 、1815-1889)による月面写真。もっとも、デ・ラ・ルーの写真自体は、1860年の時点ですでに存在したのですが、当時はまだ写真のテクスチャーを、そのまま印刷で表現する術がありませんでした。1880年代に入ると、それが石版によって可能になったわけです。
そして、石版が本の世界にもたらした“革命”が、多色図版の大量印刷です。
それまでカラー図版といえば手彩色に頼っていた本の世界に、石版は鮮やかな「色の世界」をもたらし、その印象を一変させました。
それまでカラー図版といえば手彩色に頼っていた本の世界に、石版は鮮やかな「色の世界」をもたらし、その印象を一変させました。
1883年版の口絵。
天文台の上空をかすめる火球を、淡い青緑の色調で描いた図です。
天文台の上空をかすめる火球を、淡い青緑の色調で描いた図です。
図の右下に見えるように、この絵はフランスのギユマンの『Le Ciel(天空)』からの転載で、こういう繊細な絵柄と技法が、フランス生まれの新趣向として、当時のドイツで大いにもてはやされたのでしょう。
あるいは第3版が出る前年の1882年に観測された日食の図。
キャプションには「5月15日」とありますが、これは5月17日が正しく、傍らに見えるのは1882年のグレート・コメット(C/1882 R1)で、彼がまだ真の大彗星になる前の姿です。
こうした多色図版の登場が、どれほど当時の人の目を喜ばせたか、そして本の世界を一変させたかは、想像に難くありません。
ちょうど1993年と2016年の文化状況がひどく違うように、1860年と1883年の出版文化も、大いに様相を異にしていた…と言えると思います。
(この項、ふたたび間をあけてつづく)
【付記: 文中、なぜか1883年と1880年を取り違えている箇所があったので、修正しました。】
コメント
_ Nakamori ― 2016年09月16日 12時50分20秒
_ 玉青 ― 2016年09月18日 15時28分59秒
Nakamoriさま、お返事が遅くなり失礼しました。
コメントを拝見し、「グリザイユ的」と「アラプリマ的」という用語を初めて知ったのですが、大層興味深く思ったのは、この区別が単なる絵画の描法にとどまらず、以前別の本(養老孟司・布施英利、『解剖の時間』)で読んだ、人間の視知覚形式の区分とピタリと対応していることです。
私なりに考えると、グリザイユ的は同書で言うところの「輪郭的思考」に対応し、アラプリマ的は「階差的思考」に対応しています。後者は光の当たり方によって無限に変わりうる対象の見え方の<一瞬の姿>を切り取ったものであり、いっぽう、輪郭線を描出するというのは、光の当たり方によらない、その対象の<時間を超えた本相>を抽出しているのだ…というような議論が、そこではなされていました。
そういう視点から1860年版に載っている2つの月面図を見比べると、この2枚の図の間にもまた相違があって、下の図はまさにグリザイユ的かつ輪郭的思考の産物であるのに対し、上の図は、Nakamoriさんが挙げられたハロルド・ヒルのスケッチ同様、アラプリマ的かつ階差的思考の産物の例といえそうです。
上掲書によれば、西洋の解剖図も、中世までは輪郭線中心だったのが、ルネサンス期以降は輪郭線を欠いた明暗表現に移行し、さらに19世紀になると再び輪郭線のリバイバルがあったのだそうです。これは解剖図という、かなり特殊なテーマについての論ですが、天文学を含む科学スケッチ全般に一般化できるものかもしれません。
『星界の驚異』の図版を見ながら、そんな「科学美術史」の一端を垣間見る思いがしました。そこに目を向けていただいたNakamoriさんに改めて感謝いたします。
コメントを拝見し、「グリザイユ的」と「アラプリマ的」という用語を初めて知ったのですが、大層興味深く思ったのは、この区別が単なる絵画の描法にとどまらず、以前別の本(養老孟司・布施英利、『解剖の時間』)で読んだ、人間の視知覚形式の区分とピタリと対応していることです。
私なりに考えると、グリザイユ的は同書で言うところの「輪郭的思考」に対応し、アラプリマ的は「階差的思考」に対応しています。後者は光の当たり方によって無限に変わりうる対象の見え方の<一瞬の姿>を切り取ったものであり、いっぽう、輪郭線を描出するというのは、光の当たり方によらない、その対象の<時間を超えた本相>を抽出しているのだ…というような議論が、そこではなされていました。
そういう視点から1860年版に載っている2つの月面図を見比べると、この2枚の図の間にもまた相違があって、下の図はまさにグリザイユ的かつ輪郭的思考の産物であるのに対し、上の図は、Nakamoriさんが挙げられたハロルド・ヒルのスケッチ同様、アラプリマ的かつ階差的思考の産物の例といえそうです。
上掲書によれば、西洋の解剖図も、中世までは輪郭線中心だったのが、ルネサンス期以降は輪郭線を欠いた明暗表現に移行し、さらに19世紀になると再び輪郭線のリバイバルがあったのだそうです。これは解剖図という、かなり特殊なテーマについての論ですが、天文学を含む科学スケッチ全般に一般化できるものかもしれません。
『星界の驚異』の図版を見ながら、そんな「科学美術史」の一端を垣間見る思いがしました。そこに目を向けていただいたNakamoriさんに改めて感謝いたします。
_ Nakamori ― 2016年09月18日 20時16分50秒
ご返事ありがとうございます。
科学スケッチ全般について、描き手の技法と当時の印刷技術の関わりとその変遷を辿ることができれば、素晴らしいですね。
青玉さんが言われるように、線で対象を捉えるには某かの飛躍が必要のような気がいたします。「時間を越えた本相を抽出する」って、カッコイイ表現です!!
個人的には、エッチングやペン画という「一定の制限が加えられる技法」で描かれた図像を眺めながら、描き手の創意工夫を愛でるのが好きです。
科学スケッチ全般について、描き手の技法と当時の印刷技術の関わりとその変遷を辿ることができれば、素晴らしいですね。
青玉さんが言われるように、線で対象を捉えるには某かの飛躍が必要のような気がいたします。「時間を越えた本相を抽出する」って、カッコイイ表現です!!
個人的には、エッチングやペン画という「一定の制限が加えられる技法」で描かれた図像を眺めながら、描き手の創意工夫を愛でるのが好きです。
_ 玉青 ― 2016年09月19日 09時49分01秒
「博物画」の歴史というのは、成書が何冊かあったと思うのですが、より広い「科学画の歴史」というのは、これまで目にした記憶がありません。各時代の描法、思想、美意識、複製技術、供給する層と受容する層…そうしたものを通史にして眺めてみたら、興味深いでしょうね。まあ、通史は無理にしても、そういう視点から今後もいろいろ覗き見をしてみようと思いますので、どうぞ一つお付き合い願います。<(_ _)>
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http://www.cambridge.org/ua/academic/subjects/astronomy/amateur-and-popular-astronomy/portfolio-lunar-drawings?format=PB
Haroldのスケッチと『星界の驚異』のスケッチとは描き方が異なることに気づきました。
絵画には「輪郭法=グリザイユ的」と「色彩デッサン法=アラプリマ的」の二つの描き方がある、という見方もできるそうです(『水彩学』(出口雄大著))。
その点から言うと、Haroldはアラプリマ的。スケッチに線は登場せず、ドットによるグラデーションと陰の黒によって描かれています。
それと比べて『星界のー』のスケッチはグリザイユ的。境界は線で描かれていて、さらにグラデーションまで線で表現されています。
どちらが好みかは人によって異なると思われます。どちらも素晴らしいです。ただ、線による描写には力強さが感じられます。どこか装飾的な、美しい月面です。