天文古書に時は流れる(3)…天体写真と宇宙のイメージ2016年09月18日 15時14分00秒

何だか、ひさしぶりの休みのような気がします。

記事の方も、こう間延びすると何を書こうとしていたのか忘れてしまいがちです。
予定では、印刷技術の面から、1883年版に続いて、1900年版と1923年版の特徴を挙げようと思ったのですが、あまり上手く書けそうにないので、要点だけメモ書きしておきます。

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1883年版には石版の月写真が登場しました(前回の記事参照)。
それに続く印刷技術の大きな変革がハーフトーン(網点)の出現です。1900年版に載っている、この↑月面写真もハーフトーン印刷ですが、これによって天文古書は、我々が見慣れた表情にぐっと近づいてきます。


そして、1923年版↑となれば、天体写真の技術も大いに進歩し、星団や星雲など被写体にも事欠かず、印刷メディアを通して、宇宙の名所は多くの人にとって身近な存在になる…という変化をたどります。

このような天体写真の一般化と、印刷による複製技術の進歩は、我々の「宇宙」イメージを前代とは大いに異なるものとし、『銀河鉄道の夜』に出てくる次の一節も、そうした背景の中で生まれたのだ…ということは、以前も書きました。

 「けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。」

このジョバンニの経験は、ある程度まで宮沢賢治(1896-1933)自身の経験でもあるのでしょう。彼が、もし「まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい」銀河の写真を、多感な時期に目にしなければ、あの作品は生まれなかったかもしれません。

   ★

印刷技術という点で言うと、1900年版と1923年版には同じ原版に拠った、りょうけん座の子持ち銀河(M51)の写真が、共通して載っています。

(1900年版)

(1923年版)

しかし、両者を見比べると、1900年版のホワイトノイズが乗ったような、ザラザラした灰色っぽい写真に比べて、1923年版では漆黒といってよい宇宙空間が表現されており、印刷術の進歩による表現力の向上を、そこにはっきり見て取ることができます。

(この項、竜頭蛇尾気味に一応終わり)

コメント

_ S.U ― 2016年09月18日 18時30分52秒

時代ごとの月面の図版で、私の好みなのは、1860年のクレーターのクローズアップです。クレーター内の影や月面の色が少し暗くなっているのがリアルです。リムのハイライト部分は少々飛んでいて、光点の形が多少不自然なように思います。こういうのは、当時の写真を技師が模写したというので正しいでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年09月19日 09時48分28秒

クローズアップの絵の出典は、1860年当時アテネ天文台の台長だった、ドイツのJohann Friedrich Julius Schmidt(1825-1884)で、この迫真の描写は、写真を元にしたものではなく、シュミット自身のスケッチを版に起こしたものだそうです。彼は少年時代から素晴らしいスケッチの才能を見せていたそうですが、この月面図もまったく見事という他ありません。

_ S.U ― 2016年09月19日 12時33分53秒

>素晴らしいスケッチの才能
 ありがとうございます。予想がはずれました。
 当時の天文学者が、芸術性、リアルさ、科学的描写のすべてを盛り込み、印刷技術にも対応したスケッチをしていたとは、想像の他でした。見事なものです。不自然に見える光点もハレーションではなく、観測者にはこのように見えたということですね。

 ちなみに、この図の主要なクレーターは、クラヴィウス、マギヌス、ティコですので、行きがかり上、ネットで写真を探して比べてみれば話は早いと気づきました。

でも、ここまで日当たり角度の微妙な写真はなかなか見つかりません。
下のページの4枚目あたりがよく似た感じでしょうか。
(Peter Lloyd氏 Astronomical Images)
http://www.madpc.co.uk/~peterl/Moon/Craters/Daylight.html

_ 玉青 ― 2016年09月21日 06時56分06秒

ありがとうございます。画像を90度回転するとピタリと重なりますね。
人間の眼と脳が、眼前の対象を自動補正して、ハイコントラストにしたのでしょうけれど、おそらくシュミットにその(補正したという)自覚はなくて、彼にはまさにこのように見えていたのでしょう。人間の知覚の不思議さを感じます。

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