銀河草紙(後編)2016年09月22日 13時51分39秒

実は、昨日の文章にはウソが1つまじっています。

昨日は、あたかも『銀河草紙』の存在を知ってから、その現物を探し始めたように書きましたが、実際には古書店で現物を目にしてから、その関連情報を求め、その延長で国会図書館や大阪市立科学館のページに行き当たったのでした。

ですから、探すのには何の苦労もなくて、唯一の苦労は懐の問題だけです。

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古書店で売っていたのは、中巻のみの端本でしたが、京大にだって上巻しかないのですから、私にとっては十分すぎる品です。

(題箋は下半分が欠)

そして中巻には、あの「天の川の条」が含まれているので、三巻の中でどれか一つ選べと言われたら、やっぱり中巻を取ると思います。


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それにしても、七夕とはつくづく多義的な祭です。


それは織女=天女からの連想で、羽衣伝承と結びつき、


「七夕踊り」と盆踊りの類縁性に見られるように、盆の習俗とも結びついています。

そもそも七夕は、夏と秋の交代の時期の行事として、6月晦日の夏越(なごし)の祓から、7月中旬の盆行事まで続く一連の祭事に組み込まれたもので、本来は、歳送り・歳迎えの新年行事と対になるものです。

そこには笹流しに見られる祓えの要素もあり、7月7日を「七日盆」と称する土地もあるように、祖霊の魂祀りの要素もあり、そうした古俗に中国伝来の乞巧奠の性格が加わって、今のような七夕が成立した…というのが、平均的な七夕理解でしょう。

(冒頭二首。「年毎に逢ふとはすれど棚ばたの 寝る夜の数ぞ少なかりける」、「浅からぬ契りとぞ思ふ天の川 逢ふ瀬は年に一夜なれども」)

そして、古来多くの人が地上の男女の機微を天上に投影し、和歌を詠み、星に願いを捧げ、ますます陰影に富んだ行事として発展し、伝承されてきました。

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現在では、幼稚園や保育園で短冊を書いたり、折り紙で飾りを作ったりする日に矮小化されている観もありますが、歳を重ねた今、たなばたの陰影に今ひとたび目を向けてみばや…と思ったりします。