目覚め男2016年10月08日 15時44分08秒

さて、そろそろ目覚めなければなりません。
でも目覚めてみれば、世はさらに乱脈を極め、何だかすぐにまた眠りにつきたくなるありさまです。

ここでふと、「このごろ都に流行るもの 夜討 強盗 にせ綸旨…」で始まる、二条河原の落書を想起するのですが、一つの秩序が倒れんとするとき、そこに佞臣・奸賊・梟雄・無頼漢が湧いて出るのは、常に変わらぬ人の世の習いかもしれません。

現今の世相も、まさにエセ、ウソ、虚飾が大手を振ってまかり通る、浅薄にして醜怪な世となっていますが、それを嘆くばかりでなく、今こそ人間社会の「深い真」を学ぶ絶好の機会なのですから、心ある人は肉眼と心眼を見開いて、世の転変を見つめようではありませんか。

このあと、混乱を経て新たな秩序が生まれるのか、混乱がさらに大乱となるのか、いずれにしても、我々は大きな歴史の実験場に立ち会っていることは間違いありません。

   ★

…と、ちょっと大きく出ましたが、この「天文古玩」自体は、「歴史の実験場」とは縁遠い、ごくささやかな愉しみを開陳する場に過ぎません。世間の荒っぽい動きと対照するとき、こういう小市民的な試みが、ちょっと馬鹿っぽく見えるかもしれませんが、しかし、こういう愉しみが否定されねばならないとすれば、それは世の中の方がおかしいのです。

   ★


1903年に出たリービッヒ・カードの「星座シリーズ」、全6枚のうちの3枚。
(リービッヒ・カードというのは、リービッヒ社のスープの素に付いてきた、昔のオマケカードです)。


星空の美しさは、はるかな昔と少しも変わることがありません。


そして、それを見上げる平穏な地上の暮らしもまた無類に貴いものです。
そしてさらに、こういうチマチマしたカードを集める小市民的な愉しみだって、その貴さの1ピースなのですから、大いに大切にされなければ嘘だ…と思うのです。

コメント

_ S.U ― 2016年10月09日 07時16分53秒

>平穏な地上の暮らし
 人類の文化は当然のこととして、経済も政治も結局はこういう小市民的な愉しみによって発展され維持されているということは、昔から優秀な為政者は知っていたと思います。

 こんなことを敢えて主張して経済理論の計算に組み入れないといけなくなったことに現代の悲劇があるのではないでしょうか。現政権を批判するたびに、鼓腹撃壌だの百姓は生かさず殺さずだの故事成語が浮かぶのは、現政権にこの観点が根本的に欠落しているからでしょう。

_ 玉青 ― 2016年10月09日 11時14分01秒

公徳心をやかましく言い立てるわりに、公徳心がきれいさっぱり欠如しているのが、あの人たちの限界ですね。そしてまた、義もなく情もないです。(いや、本当は義も情もあるのかもしれませんが、それが仲間内を超えて発揮されないところが、やっぱり彼らの限界なのでしょう。)

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