ヒヨコ星2016年10月09日 10時57分34秒

ところで、昨日のリービッヒカードを見て、気になったことがあります。

(画像再掲)

上の真ん中のカードに注目してください。


長いパイプを手に、星界の秘密を語る老天文学者と、思わず身を乗り出す髭の紳士。「あらあら、ふたりとも熱心だこと。さあ、冷たいパンチを召し上がれ」という、奥方の華やかな声が聞こえてきそうなシーンですが、問題はその下の雌鶏とヒヨコの絵です。

このカードはプレアデスを描いたもので、脇の説明文には、
「プレアデスは、『Poussinière』と呼ばれる」とあります。
Poussinière(プシニエール)とは、「卵を抱く雌鶏」や、「ヒヨコを育てる保育箱」の意味だそうで、日本語だと一語で表現しにくいですが、強いて言えば「雛守り(ひなもり)」といったところでしょう。

西洋では(他の多くの地域でも)、プレアデスを七姉妹に喩えるのが普通ですが、フランスではヒヨコに見立てる…というのは初耳でした。

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さっそくフランス語版のwikipediaで、プレアデスの項を見たら、果たしていちばん下の方に、「フランスの田舎では、晩夏の晴れた空に見える〔星の〕一団を「雛守り」と呼んだ。 Dans les campagnes françaises, l'amas bien visible dans le ciel pur des nuits de fin d'été était appelé "la poussinière"」という記述がありました。

ただし、その出典として挙がっているのは、19世紀フランスの作家、アルフォンス・ドーデーの『風車小屋だより』で、ドーデーはたぶん何か根拠があって書いたのだと思いますが、彼の創作が混じり込んでない保証はありません。また、こうした呼び名が、彼の住んだ南仏プロヴァンスを超えて、どこまで広がりを持つのかも不明です。
(『風車小屋だより』はプロヴァンスを舞台にした短編小説集で、その中の「星」という作品に、若い羊飼いのセリフとして、「雛守り」の件が出てきます。岩波文庫では「雛籠」と訳しています。)

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これだけだと、「へえ、なるほどね」で終わってしまいますが、妙に気になったのは、この件を調べる過程で、出雲晶子さんの『星の文化史事典』 (http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/04/06/6770289)を開いたら、「七羽のひよこ星」という項目があったことです。

「お、これこれ」と思って読んだら、たしかにそれはプレアデスを7羽のヒヨコに喩えた伝承に関するものでしたが、それは案に相違して、フランスではなくタイの仏教説話でした。以下、短文ですので、全体を引用させていただきます。

「仏教への信仰が厚い老夫婦は一羽のにわとりと七羽のひよこを飼っていた。そこに一人の旅人が来たが出す食料がなく仕方なくそのにわとりを食べようということになった。そのことを知ったにわとりは子供たちに仲良く暮らすよう言い残したが、七羽のひよこたちも母親が煮られている鍋に飛び込んだ。旅人は実はお釈迦さまで、老夫婦に感謝し、七羽のひよこは空にあげて昴とした。」 
(出雲晶子・編著、『星の文化史事典』、p.291)

母鶏のその後が気になりますが、たぶん原型は「一羽の鶏と六羽のヒヨコ」で、全員仲良く空に上って星になった…のではないでしょうか。

   ★

フランスの羊飼いとタイの仏教徒に接点はないでしょう(ないはずです)。
それでもこういう一致が生じるのは、不思議なことです。
それを偶然と見るか、必然と見るか。必然とすれば、それはいかなる必然なのか。

答は有って無いようなものですが、すばるにヒヨコの愛らしさや、母子の情愛を読み取った異国の人の心根に、しみじみ胸を打たれます。その胸を打たれるところが、フランスの羊飼いと、タイの仏教徒と、日本の勤め人に共有されていることが、こうした伝承が世界のあちこちで生まれたベースにあるのは確かだと思います。

コメント

_ S.U ― 2016年10月09日 17時02分35秒

(未記入)を久しぶりにやってしまいました。すみませんが、前便ご火中にお願いします。
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>プレアデスを7羽のヒヨコ
 東西で似たような見方があるとは興味深いですね。
 この「プレアデス=ひよこ」の図式は、おぼろげながらどこかで聞いた記憶があったので、本棚を探ってみました。我が蔵書の乏しきが幸いし直ちにこれを見つけることができました。

 野尻抱影『新版・星座めぐり』(1946年版の再版らしい)の「プレヤデス星団」の節に以下の記述があります。

 (以下引用)
 それから「すばる」を数でいう和名は、「六つら星」を初め、「一升星」「群れ星」「鈴なり星」「ごちゃごちゃ星」など非常に多くて、海外では、南方の「ビンタン・ケベッサラン」や「ビンタン・プルプル」が群星の意味であり、アラビヤで「踊り子」、豪州で「若い娘たち」、ポーランドで「お婆さんたち、その他分布の広い「牝雞とひよっこ」も同じ見方で、後にいうプレヤデスの語源もこれに属します。変わった見方は南洋の大部分でこれをマタリキ(小さい眼)といい、もと大きな星だったのがタネ神の妬みに逢ってこまかく砕けたといっている伝説です。
 (引用終わり) 「牝雞」には「めんどり」とルビがふられている

 これをみると、「メンドリとヒヨコ」が広く分布していたようです。どこらへんで広くあったのかは、この抱影の記述だけからはわかりませんが、特に方面を記述していないのは、抱影のセンスでは、オリエントからヨーロッパ全般という意味かもしれません。

 それで、「プレヤデスの語源」が何を指すかですが、この節の抱影の説明では、「プレイオス」(多く)、「プレイン」(航海する)の二説を挙げており、また、プレヤデスはギリシャ神話ではアトラスの娘たちの七姉妹で、一般には鳩に姿を変えて空に逃げたと伝えられているという意味のことを書いています。あといろいろ書いてありますが、ヒヨコに具体的に触れた記述はありませんでした。
 
 なお、Wikipedia英語版で "Peleiades"(プレアデスではなくペレイアデス)の項を引くと、これがギリシア語で「鳩」の意で、ギリシア神話のプレヤデス七姉妹と混同されたことが書かれています。これは、神話そのものではなく文学で結びつけられたものとあります。語源の議論があって、たまたま音が似ていることから結びつけられたといいたいようです。Wikipedia氏の真意は良く読み取れません。

 ギリシア神話の七姉妹が鳩になったのはどこの伝説か、鳩とヒヨコの関連は、抱影の記述にはなく彼の知識の範囲ははっきりしませんが、彼は「ヒヨコ」の見方が広範囲に分布していたことはつかんでいたようです。

_ S.U ― 2016年10月09日 18時56分18秒

続報です。抱影の別の文献に、上の疑問に答える記載がありました。

 (以下引用) 
 今日ではほとんど欧州全部で、すばる星を、「雛っこ」またはその籠の意味で読んでいるそうである。たとえばドイツではグリュックヘンネ、フランスではプウシニエールである。
(引用終わり) 「雛っこ」には「ひよっこ」のルビがある。
(野尻抱影の本1『星空のロマンス』筑摩書房、「すばる星の伝説」 p200) 

 「プシニエール」は玉青さんのご解説にありますが、グリュックヘンネはGlückhenne(幸福な雌鶏)であろうと思います。実体についてはわかりません。

 Richard Hinckley Allen  の "Star Names Their Lore and Meaning" に、

http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Gazetteer/Topics/astronomy/_Texts/secondary/ALLSTA/Taurus*.html

プレアデス星団は、「ドイツの農民が Gluck Henneと呼び、ロシア人は座る雌鶏と呼び、・・・」とあるそうです。上記ページの中ほどに Gluck を捜して下さい。

_ 玉青 ― 2016年10月10日 10時41分19秒

お調べありがとうございました。

>Star Names

そうでした、そうでした。星の名前を調べるなら、ウィキペディアを見るよりも先にアレンに当るべきでした。(抱影のネタ本もずばりこれですね。)

アレンにしたがえば、ヨーロッパの内でもイギリス、フランス、ドイツ、デンマーク、ワラキア(ルーマニア)、ギリシャ、セルヴィア、ロシアまで、その分布は広く東西に伸びていますし、さらにアラブ、アフリカ、ボルネオまで広がりがある…というわけですね(さらに我々は出雲さんのおかげでタイを加えることができます)。そして時代の幅も広く、まさに古今東西。


フランスとタイという、点と点だけだと、そういう観念が人から人へ、あるいは民族から民族へ直接伝わったという「伝播説」は考えにくいですが、こういうふうに面的広がりが見えてくると、ひょっとして伝播説もありかなあ…と思ったりします。

この場合、キーとなるのはニワトリそのもので、ニワトリがいなければ、こういう伝承は生まれようがありませんから、家禽の伝播とリンクしている可能性をひそかに考えたいところです。東南アジア原産の野鶏が家畜化され、北の中国・日本へ、あるいは西のインド、エジプトを経て西方に伝わったのは、紀元前を遡るずいぶん前のことらしいですが、それとともにヒヨコ星の伝承も広まったとすると、星座語彙が「東から西に」広まった珍しい例となるのですが、まあ、これは思い付きの奇説以上のものではないですね。

_ S.U ― 2016年10月10日 15時08分13秒

アレンは何でも知っているのですね。抱影もさぞ驚いたことでしょう。

 この雌鳥とひよこが伝播だとすると、農民ばかりのレベルの口承なのか、それとも文学者や知識人もからんで文字で広まった部分もあるのかどちらなのでしょう。ニワトリは文字通り「地に足を付けた」存在ですが、たまには空を飛ぶこともあるのか。
 
 また、各地方で独立に命名された可能性も高いと思います。プレアデスがきらめく様子は、私には自然に鳥の集団がさえずっているように見えます。

 すばる星囀りながら昇りゆく          S.U

_ 玉青 ― 2016年10月11日 07時13分16秒

もし拙考が正しければ、必然的にそれは農民と知識人の階層分化が生じる前のことでしょう。リービッヒカードの昴の描写を見て、ネブラ・ディスク(http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/18/7013194)のそれを思い出しましたが、そんなはるかな昔にルーツを持つ、金枝篇的世界に属することかもしれませんね(例によって話半分…いや千三つぐらいに聞いてください)。(^J^)

ときに、ネブラ・ディスクの話題の際、コメント欄でプレアデスが千年単位で星流の中をちょこちょこ横切っていく様を話題にしましたが、あれを見るとニワトリというよりもカルガモの親子みたいで、ほほえましいです。

_ S.U ― 2016年10月11日 17時35分04秒

>例によって話半分…いや千三つ
 はい、いつもならマユツバでお伺いするところですが、ことスバル星の文化史においては千に三つを堂々とパスするだけの実力があるので、そう軽んじることができないのが痛いところです。

 事実、引用文献で抱影もアレンも書いていますが、すばるは祖霊信仰や大洪水伝説とも世界各地で結びつけられているようで、まさに金枝篇的に大層な世界です。ただ、具体的にすばると結びついている大洪水伝説の資料に出会ったことはありませんので、一端でもご存じでしたらまたご教示下さい。

_ 玉青 ― 2016年10月13日 20時03分13秒

了解しました。
すばるの話はこの辺でいったん引き取りますが、千三つ屋の本領を発揮し、今後も気宇壮大にゆくといたしましょう。(^J^)

_ Ha ― 2016年10月13日 23時59分50秒

相変わらず、反応が鈍くて申し訳ありません。

七羽のヒヨコがすばるになったという仏教説話は、出雲さんの事典では草下英明「星の神話伝説集」社会思想社(1982)から引いているようですが、野尻抱影「星の神話・伝説集成」恒星社厚生閣(1954、新装版1988)にも以下の記述があります。
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「ひよっこ星」(タイ)
 すばる星を「ひよっこの群」と見る民族は、フランスのブー・シニエル、ドイツのグリュク・ヘヘンネ初め、ほとんど世界に行きわたっている。これはタイの伝説である。
 昔、ある処に、至って信心深い老夫婦が住んでいた。 <中略> 旅僧は実は仏陀の仮りの姿だったので、老夫婦の親切を喜ばれ、同時に七羽のひよこを空へあげて星とされた。それがすばる星で、タイではダーオ・ルーク、ガイ(ひよこ星)と呼んでいる。(浦和市蓮見武雄氏の報告による。)
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わざわざ「蓮見武雄氏の報告による」と書いてありますので、初出はおそらくこの野尻抱影氏の本ではないでしょうか。

それから、私の持っている岩波文庫の「風車小屋だより」桜田佐・訳(二度目の改訳、第49刷、1975)では、羊飼いの話の中で登場するプレアデスは、「ひなかご」(北極星座)と書いてあります。(汗)
他に、「聖ヤコブの道」(銀河)、「魂の車」(大くま)、「三人の王様」(オリオン)、「ジャン・ド・ミラン」(シリウス)、「ピエール・ド・プロヴァンス」(土星)といった記述がありますので、( )書きの部分はおそらく訳者が読者の理解を助けるために付け足したものと思われます。
「ひなかご」(北極星座)とあるのは、「ひなかご」(すばる)と書くべきところを間違えたと思われますが、かなり痛い間違いですね。(最新の版はどうなっているか分かりません。さすがに訂正されてるかな?)

_ 玉青 ― 2016年10月14日 21時45分58秒

なるほど、出雲さんの記述の出典をノーチェックで済ませてしまいましたが、この話はぐるっと一周回って抱影にもどってくるのですね。これはアレンの引用にとどまらない、抱影のオリジナルな仕事でしょうから、抱影ファンにとっては嬉しいことです。

ときに、『風車小屋だより』を、私は国会図書館のデジタルライブラリー(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149180)で読み(昭和7年版の岩波文庫です)、さすがに「北極星座」はその後修正されたろうと思って言及をサボりましたが、事実はその後も訂正されずにずっと生き残っていたのですね。ひょっとしたら、今もそのままかも…。

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