天文学史のススメ ― 2016年10月13日 20時06分05秒
そういえば…と思い出すのですが、今年の夏、池袋の三省堂で開かれたイベント「博物蒐集家の応接間」(同イベントは装いを改めて、現在も継続中)に、手元の品をいくつか並べていただいた際、私は意識して2冊の本を混ぜておきました。
それは他の古書や古物とは異質の、ごく最近の本です。
天文系のアンティークが、何となくイメージ先行の「キラキラと綺麗なもの」としてばかり受容される傾向(これは客観的事実というよりも、私の単なる僻目かもしれません)を良しとしない自分がいて、そうすることが、あたかも自分のアイデンティティのような気が――少なくともその時は――したのでした。
その2冊とは、いずれも19世紀以降の天文学の発展を扱った本で、1冊はこれまで何度か言及した、アラン・チャップマン著の『ビクトリア時代のアマチュア天文家』(産業図書、2006)で、もう1冊が下に述べる小暮智一氏の『現代天文学史』です。
美しく且つ興味深い天文アンティークを愛でるとき、その学問的な背景や、時代相を知っておくことは、無駄にならないどころか、その滋味を大いに豊かならしめるものと私は信じています(←かなり力が入っています)。
★
(帯の惹句は「アマチュアの革新から巨大科学へ。星を視る眼を変えた200年」)
■小暮智一(著)
『現代天文学史―天体物理学の源流と開拓者たち』
京都大学学術出版会、2015
京都大学学術出版会、2015
600頁を超える分厚い本です。とはいえ、現代天文学の通史という大きなテーマを考えれば、コンパクトにまとめられた本とも言えます。
ここでいう「現代」の範囲は、副題にもあるように、もっぱら天体物理学の誕生(19世紀)以降を指し、その叙述は20世紀の末まで及びます(ただし、18世紀に属するものとして、ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)による、宇宙構造の解明に向けた研究も、チラッと顔を出しています)。
★
天体物理学というのは、それ以前の位置天文学に対する言葉です。
大雑把に言うと、専門の学者を含め、18世紀以前の人々の意識の中で、恒星は単なる「点」であり、その位置と運動のみに関心が向けられていました。当時、観測技術の向上とは、より厳密な位置測定とイコールだったのです。
大雑把に言うと、専門の学者を含め、18世紀以前の人々の意識の中で、恒星は単なる「点」であり、その位置と運動のみに関心が向けられていました。当時、観測技術の向上とは、より厳密な位置測定とイコールだったのです。
しかし、その後の学問の進展によって、人々は星を「面」であり、「立体構造を備えたもの」として、さらには独自の個性を備えた「世界」として認識するに至りました。もちろん、それは一挙に成し遂げられたわけではなく、世紀をスパンとする長い経過の中で徐々に成し遂げられたことです。
(目次の一部)
「天体物理学」という呼称は、ちょっと意味が取りにくいのですが、私流に言い換えれば、それは「星の生物学」とでも呼ぶべきものです。
それは星を対象にした解剖学(=星の内部構造論)であり、生理学(=光と熱を生むメカニズムの研究)であり、あるいは発生学や生活史の解明(=星の誕生と進化の研究)であり、さらに生態学(=星たちの相互作用と集団営巣の観察、すなわち銀河や宇宙の大規模構造の解明)なども包み込む学問です。
★
本書は、19世紀~20世紀にかけて成し遂げられた、この天文学の一大発展と、それを成し遂げた天文家たちの横顔を紹介した大変な労作です。
現代を生きる我々は、現在進行形の研究テーマを除けば、天文学をすでに確立された学問体系として考えがちです(いわゆる教科書的記述)。しかし、学問の進展は、言うまでもなく「現在進行形の積み重ね」であり、そこには迷いもあれば誤りもあり、当事者たちも自信があったりなかったり、自信があっても間違えたり、その逆だったり、人間らしいドラマが多々あるわけです。
それを順序を追って記したのが本書です。
もとは「天文教育普及研究会」の機関誌、『天文教育』誌に連載されたもので、全体に平易な叙述で一貫しています(その学理までもが分かりやすいというわけではありませんが、とっつきにくさを感じさせないという意味で)。
著者の小暮氏は、京都大学で銀河物理学を講じられた方で、退官後は岡山の美星町立美星天文台長も務められました。生年は1926年(大正15)だそうですから、今年で卒寿を迎えられます。
本書の元となった連載が「天文教育」誌で始まったのは2009年で、その時点ですでに氏は80歳をとうに超えておられたのですが、記事を書かれるに際しては、ほぼすべて原著や一次資料にあたって書かれています。ただもう尊敬と驚嘆しかありません。
文句なしの良著です。
最近のコメント