デ・ラ・ルーとその時代(3)2016年10月23日 09時29分17秒

デ・ラ・ルー社のトランプに関連して、こんなモノを見かけました。

(写真を撮るときに表裏を間違えたので、左右を反転して掲載)

同社のトランプを写した1910年頃の幻灯スライド。


1860年代のカードと比べると、スペードの切れ込みが深く、またスートの他に数字が印刷されるようになったことが分かります。さらにカードの角が丸くなって、この半世紀の間に、トランプがさらに“現代化”したことが窺えます。

   ★

それにしても、このスライド画面に漂う、不可解な感じは何でしょう?

当時の幻灯スライドは、娯楽目的で異国の風景を映したり、教育用に何かの説明図を映したりするのが通例だったと思いますが、果たしてこのスライドの制作意図は?
スペードの1、2、3、4、5…そこに何か意味があるのでしょうか?

モノクロの「虚の空間」に浮かぶトランプの表情は、モノがトランプだけにいかにも謎めいています。そして、どこかにトリックが潜んでいるような、不穏なものを感じます。

コメント

_ S.U ― 2016年10月25日 18時06分53秒

このスライドでは、トランプのカードが円柱のようなものの側面に差し込まれているのでしょうか。何のつもりなのでしょう?

 おっしゃるように、トランプというアイテムは、無機的で人間臭いところもあり、超時代的で時代性もあり、まあとにかく足穂的なのですが、これは、我々が子供の時によく遊んだというノスタルジーに基づくものなのでしょうか。それとも、そういう両面性を元来持ち合わせていて、幼少の人をしてそれを早くも感得せしめるのでありましょうか。どちらなのでしょう? 質問が多くてすみません。

_ 玉青 ― 2016年10月26日 07時15分29秒

トランプの並べ方に対する凝り方といい、実に不思議な1枚です。
ときに、トランプに対する曰く言い難い思い…あれはいったい何でしょうね?
今ふと思ったんですが、北原白秋や川上澄生もそうだし、私もその末流かもしれませんが、トランプこそ最初に触れた「西洋」であり「異国の匂い」だった…という時代が、本邦では結構長く続いたんじゃないでしょうか。個人的ノスタルジーに加えて、紅毛や南蛮、伴天連に連なる民族的記憶が、そこには関わっているのかもしれません。

_ S.U ― 2016年10月26日 19時24分46秒

 お答えありがとうございます。個人が初めて西洋文化に触れた記憶と、日本民族の記憶の双方が重なっているというお説ですね。なるほどと思いました。同時期に西洋文化に触れた外国、たとえば、東南アジアや中南米の人は、現在、トランプについてどのように感じるのか気になるところです。こういう西洋体験の印象についての比較文化研究というのはあまり聞きませんが、どうなんでしょうか。

 南蛮、伴天連の先天的(遺伝的)感覚というのもなんとなく頷けます。子どもの頃、テレビの少年剣劇で呂宋兵衛の伴天連の妖術というのがあって、けっこう強烈な印象を受けたようで今も憶えています。

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