賢治童話ビジュアル事典2016年11月06日 11時30分14秒

最近出た、こんな本を手にしました。


■中地 文(監修)
 『賢治童話ビジュアル事典』
 岩崎書店、2016

この本は子供向きの本ですが、ふつうの子どもには買えません。
そしてまた、本屋さんの店頭に並ぶことも少ないでしょう。
なぜなら、定価が6千円もするし、主に学校図書館に置かれることを想定した本だからです。

巻末広告を見ると、版元の岩崎書店では、これまでも“「昔しらべ」に役立つ本”と銘打って、『昔の子どものくらし事典』とか、『日本のくらしの知恵事典』とか、『昔のくらしの道具事典』とかを、シリーズで出しています。賢治の事典もその一冊として編まれたようです。

たしかに、賢治作品は今や、国語・社会・理科にまたがる、総合学習にふさわしい教材なのかもしれません。

   ★

子供向けの本とはいえ、この本はとても読みごたえがあります。
知っているようで知らなかったことを、私はこの本でたくさん学びました。なんだか急に物識りになった気分です。

たとえば、私はこれまで「やまなし」というものを、何となく知っている気になっていましたが、考えてみたら、その実物を目にしたことはありませんでした。


この事典を見ると、やまなしの写真があって、その脇に、やまなしというのは栽培品種の原種であり、日本では少なくとも奈良時代から食べられていたこと、中国では「百果の長」と呼び、その薬効を尊ばれたこと、そして東北では飢饉にそなえて、保存食として大事にされてきたことなどが、簡潔に書かれています。

また賢治作品の『やまなし』を理解する豆知識として、この「五月」と「十二月」の2つの章から成る童話は、初稿では「五月」と「十一月」となっており、イワテヤマナシの完熟期を考えれば、これはたしかに「十一月」が正しく、発表時の誤植がそのまま残ってしまったのだろう…という説が紹介されています。

「おお、なるほど!」という感じです。


ふいご」というのも、手でブカブカやる小型のふいごは知ってても、鍛冶屋さんが使う大型のふいごの構造なんて、まるで知らずにいました。あれはレバーを押しても引いても風を送れるようになってたんですね。(ご存知でしたか?)

  ★

オリザ」のページを開けば、賢治が高く評価した米の品種、「陸羽132号」は、今のコシヒカリの祖父母に当る品種だと分かりますし、「赤い毛布」のページを開けば、田舎出の人を軽侮する「赤毛布(あかげっと)」という称は、日清戦争後に、軍用の赤い毛布が大量に民間に払い下げられて、寒い土地の人が、それで防寒着を作って重宝したことに由来する…というのも、この本で初めて知ったことです。

(「すぎな」と「ひきざくら」。寒い土地では桜のかわりに辛夷(こぶし)の花で種まきの時期を知り、「種まき桜」と呼んだ由。『なめとこ山のくま』に出てくる「ひきざくら」も辛夷のこと。)

(「活字」の項。絣の着物を着た子供たちが活字を拾う、明治40年頃の写真が目を惹きます。)

   ★

以下、目次を一部紹介。

1 光と空の章
  幻燈、まわり燈籠、アセチレンランプ、ネオン燈、電信ばしら、かがり
2 土と草の章
  モリブデン、火山弾、いちょう、やどりぎ、かしわばやし、狼(おいの)…
3 しごとの章
  稲こき器械、めっき、鉄砲、発破、毒もみ、つるはし、糸車…
4 くらしの章
  萱ぶきの小屋、みの帽子、雪ぐつ、かんじき、陣羽織、ラッコの上着…
5 食べものの章
  西洋料理店、カリメラ、電気菓子、玄米四合、粟もち、ラムネ…

   ★

最後に、この本が我が家に届いた経緯に触れておくと、それは「星座早見盤」の項に、写真を1枚だけ提供したお礼として頂戴したのでした。


こういうのを、「海老で鯛を釣る」というのだと、年少の読者には、ぜひ「昔の日本のことわざ」として覚えていただきたい。

あるいは賢治ファンには、「思いがけず、黄金のどんぐりを一升もらった気分だよ」と言ってもいいですが、この本は一郎がもらったドングリのように、家に持ち帰っても色あせたりせず、今もこうしてピカピカ輝いているので、「こんな拙いブログでも、やっぱり続けてみるものだなあ…」と、あらためて思いました。

コメント

_ かすてん ― 2016年11月06日 12時42分34秒

>「こんな拙いブログでも、やっぱり続けてみるものだなあ…」と、あらためて思いました。
 著者の方も玉青さんへ献本することで『天文古玩』に素敵な紹介記事が載るのを先刻ご存知ということですね。
 賢治の童話に出てくる品々はいまでは無くなったり使わなくなってしまった私たちにとってはイメージの中の幻想的な姿にも感じられますが、賢治にとっては目の前にある現実の品々だったものが多いと思います。この事典で私たちも現実のものとして認識して、その上で再び賢治の世界へ入っていくならば世界がより広がるように思われます。

_ S.U ― 2016年11月07日 08時46分05秒

 こういう事典で幼少の読者が宮澤賢治の童話からあらゆる分野に巣立ってくれると嬉しいです。第1章は「光と空の章」ですから「銀河鉄道の夜」の天文用語の註解も載っているですね。これが、野尻抱影、草下英明に連なる仕事であることを思いました。

 ここで、ついでと言ってはなんですが、以前、議論させていただいた件に関して新アイデアを思いついたので、賢治作品の注釈については今や現代の権威でいらっしゃる御ブログのこの場をお借りしてご披露させていただきたいと思います。(たぶん、初めての披露だと思いますが、他所で出しておりましたらご容赦下さい)

 (以下「天文古玩」2013年02月23日からの引用)
 (ちなみに葉書に出てくる「三目星」とは、賢治が詩の中で「三日星」にカシオペアとルビを振っていることを指します。この「三日星」は印刷の際の誤植で、草稿では「三目星」になっていることを草下氏は発見しましたが、三日星にしろ、三目星にしろ、典拠のはっきりしない言い方であることに変わりはなく、抱影はあっさり賢治の無知のせいだと切り捨てています。)
(引用終わり)

 これは、私が「野尻抱影による宮沢賢治作品の註解」について書くきっかけになった懐かしい記事なのですが、この「三日星」の意味が最近わかったように思います。これは単にカシオペヤ座が「三日月」形をしているからではないでしょうか。普通に見ればW形ですが5星の輪郭を閉曲線でつなぐ紛れもなく三日月形です。この「月」を「星」に換えただけだと思います。なお、これでは、「草稿では『三目星』」というのが理解できないことになりますが、「三目星」のほうが書き損じあるいは読み間違いと主張させていただくしかないように思います。

_ 玉青 ― 2016年11月07日 20時08分44秒

○かすてんさま & S.Uさま

中身の薄いお手軽な本も多い世の中ですが、これはとても丁寧に作られた本です。
最初は単に宿題の友として開いた事典から、賢治の世界の扉が開き、新しい旅を始める子供たちが、日本のあちこちに現れたら素敵ですね。

今の世の中は、ある意味、賢治が生きた時代に通じる過酷さがあります。賢治の思いが、どうか子どもにも大人にも等しく届きますように。(私はこれまで賢治の過度の神格化に異を唱えてきましたけれど、この濁世を見るにつけ、賢治の志の意味を考えないわけにはいきません。)

○S.Uさま

>三日星

なるほど、確かにカシオペヤというポピュラーな星座に、何の根拠も理由もなく、いきなり三日星や三目星という文字を当てるのは変で、賢治さんには賢治さんなりの理屈があったはず…というのは、考えておかなければならない点ですね。抱影翁の言い分はいささか乱暴に過ぎるようです。

カシオペヤのWの外周をなぞると、三日月の形になるというのは卓見!じっと見ていると、だんだんそれ以外の見方ができなくなってきます(笑)。

あとは、その用例が見つかれば、S.Uさんが見事抱影翁から一本取ったことになりますが、ここで、私もS.Uさんの尻馬に乗って、さらに怪説を述べることをお許しください。

「みかぼし」から、ふと思いついたのは、甕星(みかぼし)の存在です。
日本の星辰信仰における「天津甕星」は、その名を知られる割に、現実の星との対応関係がはっきりしない星で、きっと諸説あると思うんですが、ひそかに按ずるに、北極星を中心に、北斗とカシオペヤを対にして祭る観念がかつて――少なくとも日本の一部に――あって、北斗の妙見に対し、カシオペヤを「甕星」と呼んだ例がなかろうか…というのが、ここでの思いつきです。

そして、花巻あたりでは、「甕星」がさらに「三日星」に転じ、賢治がお祖母さんやお祖父さんからその名を聞き覚えた…なんていうと、ぴったりなんですが、まあ世の中そんなに都合よくはできていないでしょう・笑。(それに賢治の家は浄土真宗ですから、そういうのとはいちばん遠い環境のはずですね。)

_ S.U ― 2016年11月08日 08時12分38秒

>その用例
草下英明は、カシオペヤ座の「三目星」に関して、賢治の童話「水仙月の四日」に「カシオペーアの三つ星」とあるのに注目して、賢治がカシオペヤ座を3星と見なしたことに問題を解く鍵があると指摘しています。この「水仙月の四日」は詳細の要領を得ない作品で、この三星が童話で何なのか雪を降らす何らかの精(雪婆んご?)であることしかわかりません。いずれにしてもこの童話では三人の精というのが先にあってそれがカシオペヤ座に投影されたのでしょうが、カシオペヤ座を普通に鎖状に繋ぐ限りは5星にしか見えないので、何らかの他の繋ぎ方がされたことは間違いないと思います。星座早見に親しんでいた賢治がカシオペヤ座が5星であることを知らなかったとは思えません。
 手元にある講談社の『宮沢賢治童話大全』の語注を見てみますと、カシオペヤ座の普通の解説はありますが、さすがに「三つ星」の分析はありませんでした。ご紹介の事典にはカシオペヤ座についての解説は出ておりますでしょうか。

>「天津甕星」
まさにこれは「みかぼし」ですね。
 日本神話の星については私はよく知らないのですが、かつて「みか星」とは大きな容器のような星で、金星や木星のような明るい星を指すという説を読んだことがあります。今調べると、これは勝俣隆氏の説でした。勝俣氏の日本神話と星座の関連の研究は多くの文献があってネットでも詳細に触れられるものが多いようです。氏は大胆に神話の星を探索されているのでカシオペヤ座が何らかの神話に対応づけられているかもしれません。
 カシオペヤ座が二上山、筑波山といった二峰の山を連想させた例はあるようです。筑波山を経由して大甕神社(ともに常陸国にある)と関連づけることができるかもしれません。

_ 玉青 ― 2016年11月09日 07時14分37秒

怪説にお付き合いいただきありがとうございます。
まあ甕星の件は怪説どまりにしても、カシオペヤは、北斗とともに天帝を守護する重要な星座として、中国の星座神話体系において、必ずや重要な役割を演じているはず…という予断がありましたが、実際はそうでもないらしいのを知って、むしろ意外でした。
そもそもカシオペヤは、我々の目には5個1セットにしか見えませんが、中国星座だと王良と閣道の2星座に分割されて、Wの中央を含む右側3星が王良、左側2星が閣道のそれぞれ一部を構成する…と知り、その辺に「三日星、三目星」のカギがあるのかなあ…と思ったりするのですが、そこ何ともが茫洋としています。

>二峰の山

日本におけるカシオペヤの意味づけについては、純粋な中国星座よりも、むしろ山岳信仰・修験道系の、密教由来の要素への目配りが必要かもしれませんね。(とはいえ、抱影もカシオペヤの民俗語彙(いかりぼし等)を採集するのに、だいぶ苦労していましたから、民間レベルでカシオペヤの存在が人々の口の端にのぼることは、北斗と比べて格段に少なかったのも確かなのでしょう。)

_ S.U ― 2016年11月09日 18時02分05秒

>Wの中央を含む右側3星が王良、左側2星が閣道のそれぞれ~その辺に「三日星、三目星」のカギがあるのかなあ…

 中国の星座が日本の文化(朝廷、幕府の専門官の仕事以外の)に与えた影響というのは今後調べてみたいテーマと思っているのですが、中国文化は私には荷が重そうでなかなか手が出ません。これなんかカシオペヤ座は誰が見ても5星にしか見えないのだろうから、これを2つの星座に分断するのは、星座を決める官僚に横やりが入った妥協の産物くらいにしか思えません。

_ ルドガー ― 2016年11月15日 08時02分00秒

この本が学校の図書室にあるかもしれない……、と探してみると確かにありました。司書の方曰く、「小学生向けだけど分かりやすくて面白い」ということで中学校でも結構好評のようです。
そして、この本の隣に「江戸の科学大図鑑」が置いてあったのを見てなぜか嬉しくなりました(笑)

_ 玉青 ― 2016年11月15日 20時43分47秒

おお、素敵な図書室ですね!
小学生向けの本だからと言って、決して侮れないのは記事に書いたとおりで、いい本はやっぱり良いです。これは出版社の姿勢によるところが大きいと思いますが、岩崎書店は私が子どもの頃からお世話になっている出版社で、今に至るまで良質な本を出し続けているのは、嬉しくかつ頼もしいことです。さらにルドガーさんが私ぐらいの年齢になるまで、頑張って欲しいと思うのですが、こればかりはどうなるか、ちょっと自信がありません。ともあれ、本はいろいろな世界への扉であり鍵ですから、これからもぜひ鍵を回し、扉を開いて、自由な旅を続けてくださいますように。

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