砕けた月2016年11月16日 20時30分08秒

古物を買うときのゴールデンルールは、「状態の良いものを買え」ということです。
将来、買ったものを売却することを、ちょっとでも想定しているなら、このルールを守らないと、相当痛い目に遭うことは必定です。

もちろん、これは個人の気ままな蒐集には当てはまらないことで、私自身、買ったものを売ったことは(本を除けば)これまで一度もありませんから、このルールに従う必要はないのですが、それでも室内の余剰スペースが乏しくなるにつれ、購入対象を選別する必要に迫られて、コンディションということを少し気にするようになりました。

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しかし…というふうに話が続くので、何となく言い訳がましいのですが、昨日の記事で触れた「秘密」というのは、このガラスのステレオ写真が大きく破損していることです。

(下は紙焼きのステレオ写真)

ご覧のように、向かって左側の写真に大きなひびが3本入っています。
だから私でも易々と買えたので、無傷だったら簡単に右から左とはいかなかったでしょう。


もう少し細部を見ておきます。
デ・ラ・ルーの肩書が、紙焼きの方では単に「FRS FRAS &c」(王立協会会員、王立天文学会会員、等々)となっていたのに、このガラススライドでは、「〔…〕Pres RAS」(王立天文学会会長)となっています。彼が同学会の会長をつとめたのは、1864~66年のことなので、このスライドが出たのもその頃だと分かります。


そして製作者も「Charles Panknin」から「Smith Beck & Beck」に変っています。
以前の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/10/26/)で書いたように、このステレオ写真は、Beck社のステレオスコープと抱き合わせで販売されたらしいので、1865年頃には、Beck社も自前のステレオ写真製造体制を整えたか、あるいは外注にしろ、自社の名前を表示させるよう方針を変えたのでしょう。


これが砕けた月のアップ。
そして、この品のもう1つの秘密がここに明かされています。

脇の説明文に書かれているように、これは単純な満月の写真ではなく、実は「月食の写真」なのでした(地球・太陽との位置関係から、月食のときは必ず満月です)。

月食はそう頻繁に起こるわけではありませんし、月食の日が晴天とは限りませんから、立体視に好適な写真を2枚揃えるのは、なかなか大変なことです。このステレオ写真では、1858年2月と1865年10月の2枚の月食写真を組み合わせることで、何とかそれを実現しています。

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前置きが長くなりました。
デ・ラ・ルーの苦労をしのびつつ、150年前の満月を拝むことにしましょう。


月食時の月は光量が乏しいせいで、普通のときよりも撮影が難しかったのか、1858年の写真は、像がややぼんやりしています。1865年は相対的に鮮明で、これは彼の技量の向上を物語るものかもしれません。


地球の影に包まれた、砕けた月。
いかにも無残な感じですが、「砕けた月」という言葉には、何となく詩情も漂います。