往くが如し2017年01月17日 06時51分43秒

毎度のことながら、生きていくためには雑務の突沸にも耐えねばならず、なかなか記事をノンビリ書くことができません。ブログの方はしばし開店休業です。
まことに人の一生は、重き荷を負うて遠き道を…

ヴァーチャル雪見(1)2017年01月19日 07時16分49秒

少しずつ記事を続けます。

先日の寒波はなかなか強力で、3日間続けて白いものが舞うのを目にしました。
町場に降る雪は、醜いものをすべて白一色で覆い隠し、耳障りな音も妙にくぐもって聞こえるので、気持ちがしんみりと落ち着くものです。雪は良いなあ…と独りごちるのはこんな時。

でも、それには一つの前提があります。

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 雪見とは あまり利口の さたでなし

故・杉浦日向子さんの短編漫画で、この江戸川柳を題材にしたものがありました。
風流人を気取って、向島まで雪見に出かけた3人組。「風流」がきつく骨身にしみたところで、やっと家まで帰り着いた一人は、女房相手に毒づきます。「オイ、湯豆腐まだかあ!…フウ、おらあ、あのまんま向島で凍り固まってしまうかと思った。やっぱり炬燵にあたって湯豆腐が大風流よ。

 ばかめらと 雪見のあとに のんでいる

(杉浦日向子、『風流江戸雀』、1987、潮出版社)

まあ、現実とは得てしてこんなものです。
雪見というのは、実際に野に出でて楽しむ…というよりは、温かい部屋で雪見障子越しに眺めるとか、いっそ純粋にイメージだけを楽しむとかするものじゃないでしょうか。そこが花見や月見と違うところです。雪見というのは、ひょっとしたら人類が初めて編み出した「ヴァーチャルな自然を楽しむ行為」かもしれませんね。

上で書いた「前提」とは、即ちこのことです。

雪はいいねえ…というのも、温かい堅固な部屋に身をおけばこそで、これが吹きっさらしだったり、足元を気にして、震えながら雪道を歩かねばならないとしたら、なんぼ風流人でも雪を楽しむことは難しいでしょう。

そんなわけで、私もエアコンの温風に当たりながら、風流なヴァーチャル雪見としゃれ込むことにします。

(この項つづく)

ヴァーチャル雪見(2)2017年01月21日 11時44分54秒

(一昨日のつづき)

「ヴァーチャル雪見」と言っても、そう大した工夫があるわけではなくて、雪景色の幻灯スライドが何枚かあるのを、ちょっと眺めようという話。

(最近、この手のスライドは、厚手のクリアポケットに入れて仕舞ってあります)

手元にあるスライドは、みな同じメーカーの製品です。
欄外に振られた通し番号が飛び飛びなので、本当はもっとたくさんシリーズで売られていたと思うのですが、手元には8枚しかありません(2番から20番までのうちの8枚)。


いずれも、タイトルは「雪の景色 Snow Scenes」もしくは「霜と雪の景色 Frost and Snow Scenes」となっていて、メーカーは「G.W.W.」。

ネット情報を切り張りすると、この「G.W.W.」というのは、19世紀のスコットランドの写真家、ジョージ・ワシントン・ウィルソン(George Washington Wilson、1823 –1893)が、自らの写真販売のために起こした会社で、彼が撮影した美しい風景写真の数々は、幻灯スライドをはじめ、いろいろなフォーマットで流布しました。

その後、写真販売の仕事は、息子のチャールズが引き継ぎ、GWW社の製品が最も売れたのは1890年代だそうなので、手元のスライドも概ねその頃のものでしょう。

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写真家ジョージ・ウィルソンが居を構えたのは、スコットランドでも北にあるアバディーンの町で、以下に登場する被写体は、全てアバディーン内外とおぼしい冬の光景です。


この「ブリッグ・オ・バルゴウニー(殿様の橋、の意)」も、アバディーン郊外にある13世紀に作られた古い橋。今は飛び込みの名所で、度胸試しに橋のてっぺんから川に飛び込む人が跡を絶たないそうです。


雪というより、こちらは霜が主役かもしれません。
雪がこんもり積もっていると、むしろ暖かそうな印象を受けますが、これは冬ざれの、いかにも寒そうな光景。でも、陰鬱というのとはまた違う、白さに包まれた静かな明るさが感じられます。

(中央部拡大)

無音の世界。モノクロームの画面に漂う詩情。


こちらのスライドも、霜の光景を写したもの。
その証拠に、樹々は真っ白に化粧しているのに、地面は乾いています。
題して「Fairy Frost Work」。

(一部拡大)

過冷却状態の水滴が、風に乗って樹木に衝突し、そこで瞬時に氷結することを繰り返してできるのが「樹氷」。これは水が凍った、いわば「ふつうの氷」の塊です。

それに対して、上のスライドに写っているのは「樹霜(じゅそう)」。
霜というのは、空気中の水蒸気(気体)が、水(液体)を経過せず、物体の表面で直接固体化(昇華凝結)してできたものです。その過程で結晶成長するため、樹霜は樹氷と違って、雪と類似の美しい結晶形態を持ち、また風が吹けば容易に脱落します。
(…と、知ったかぶりして書いていますが、この辺はすべて本の受け売りです。)

(次回は霜から本格的な雪景色へ。この項つづく)

ヴァーチャル雪見(3)2017年01月22日 18時08分04秒



牧草地で乏しい草をはむ羊たち。
先ほどから降り始めた雪は、羊たちの背中にも積もり始めています。
雪は間断なく降り注ぎ、遠くの樹々はすっかり白く霞んで見えます。
暗く重たい空、冷たい大地。いかにも底冷えのする状景。


でも雪が降り止み、風も止んだ後には、一転して明るい世界が広がっています。
大きな木も小さな木も、皆いっせいに白い花を咲かせたようです。


静かな雪の林。時折ザザーと音を立てて、雪が枝から滑り落ち、地面に小山を作りますが、その後はふたたび静寂の世界。
真っ白な枝の複雑な分岐が美しく、まるで1本の木全体が、巨大な雪の樹枝状結晶のように見えます。


こんもりと綿帽子をかぶった大木と、雪の布団で覆われた地面。
「帽子」といい、「布団」といいますが、これには比喩以上の意味があります。
実際、雪の保温効果は相当大きいらしく、吹きっさらしの場所にいるより、雪洞の中の方が温かいのもそのためです(ぽかぽか温かいわけではないですが、外気温がぐっと下がっても、雪洞の中は氷点前後の気温が保たれます)。


空の色もずいぶん明るくなってきました。
こうして雪で守られたその下では、すでに春に向けて、植物や動物の生の営みが、徐々に始まっていることでしょう。


さあ、雪歩きをしているうちに、身体もすっかり冷えてしまいました。
そろそろ屋敷に帰りましょう。


あの門の向うに、温かい部屋と温かい飲み物が待っています。


小さな天体観測家2017年01月24日 06時55分34秒

1冊の愛らしい星の本。


■Linda Whittier MacDonald
  『The Little Star-Gazer』
  The Murray Press (Boston), 1928. 77p.

星にあこがれ、星のことなら何でも知りたい少女・スー。そしてスーの先生役を務める、星に詳しいスー叔母さん。本書はこの2人のスー、すなわち「リトル・スー」と「アント・スー」のやりとりで進む星座入門書です。


こういう問答体の星座入門書は、他にもいろいろあると思いますが、本書の特色は、そのやり取りがすべて手紙で行われている点です。しかも、この設定は単なる作者の思いつきではなくて、現実に作者には星好きの姪がおり、彼女と手紙でやり取りした事実と文面が、本書の下敷きになっています。


本書を捧げられたマリオン・ガートルードというのが、件の姪御さんでしょう。
彼女はB.A.という立派な称号を有していますが、これは文学士(Bachelor of Arts)の意味ではなくて、「こども天文学者(Baby Astronomer)」の略。こんなところに、叔母さんの温かいユーモアがあふれています。

作者の住む東部ボストンから、7歳の姪が住む西部コロラドまでは、ざっと3,200km。その距離を越えて、幾たびも交わされた夜空の往復書簡集――。

何と心優しい話だろう…と思います。この本は別に美しいイラストにあふれているわけでもなく、どちらかといえば地味な本ですが、でもそこに流れる空気は、とても気持ちがよいものです。


こういう優しい心根に触れると、「アメリカは、なぜこれほど粗雑な国になってしまったのか?」と素朴に疑問に思いますが、でもトランプ候補(今はトランプ大統領)に投票した人たちが求めたものこそ、まさに「古き良きアメリカ」のイメージなのかもしれず、この辺はちょっと流れが複雑です。まあ、それにしたって、今のアメリカが子供に優しい社会かといえば、大いに疑問符が付くと思います。

(見返しに書かれた、著者リンダ・マクドナルドの自筆署名と献辞。相手がマリオンだったらなお良かったのですが、どうも贈り先は違うようです。)

星図をあるく2017年01月28日 08時54分47秒

時と所を替えて現代日本。
心優しい本といえば、先日、月兎社の加藤郁美さんが、こんな優しい本に言及されていました。

(左右は付属のカードと星巡りの「地図」)

花松あゆみ(作)
 星図をあるく Ambulo stella chart
 2013年、24p.

作者の花松さんは、ゴム板に版を彫る「ゴム版画」の作品を主に制作されている方で、本書も星座をモチーフにしたゴム版作品集です。


本書の中で綴られるのは、二人の男の子が、星座から星座へと歩み続ける物語。
そう聞くと、『銀河鉄道の夜』を連想される方もいると思いますが、たしかにそこには共通するものが感じられます。それはプロットだけでなく、情調においてもそうです。


その共通するものとは、「さみしさ」。
優しと淋しさは両立するものでしょう。…というより、両者は本来二つで一つのものではないでしょうか。(「かなしい」という言葉に漢字を当てると、「愛」とも「悲」とも「哀」ともなることを連想します。)


広漠とした星の世界もさみしいし、自らの生を生きることもまたさみしい。
でも、その底にある優しさこそ、賢治は(あるいは花松さんも)伝えたかったのではないかなあ…と、これは私の勝手な想像ですが、そんなことを思いました。


星の旅の最後まで来ると、主人公の男の子たちは、双子座の二人であり、彼らに影のように付き従ってきたのは、こいぬ座だったことが分かります。

(星巡りの「地図」)

(ページの表裏が透かし絵になっていて、光にかざすと、銀河を宿した鉱石の中に、子犬の姿が浮かび上がります。冒頭、この子犬が目を覚ます所から物語は始まるので、本当の主人公は彼なのかもしれません。)

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花松あゆみさんの公式サイトは以下。

AYUMI HANAMATSU WEB SITE
 http://ayumihanamatsu.petit.cc/

そして、花松さんの作品販売を手掛けるお店は以下。

えほんやるすばんばんするかいしゃ
 http://rusuban.ocnk.net/

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余談ながら、2月の声を聞けば、完全に年度末モードに突入し、職場によっては戦場のようになるところもあるでしょう。まあ、戦場は大げさですが、私の身辺もそんな気配があります。自ずと記事が間遠になり、コメントへのお返事も遅くなりますが、どうぞご賢察ください。