黴の如く2017年02月17日 07時26分45秒

以前、仏文学者の鹿島茂さんが、エッセイで以下のように書かれていました。

 〔「本を書かない」か「本を買わない」かの〕 どちらかを選ぶとなったら、私は躊躇することなく「本を書かない」ほうを選ぶだろう。なぜなら、本を書くのは楽しくないが、本を買うことは楽しいからだ。 (『子供より古書が大事と思いたい』 文春文庫)

私と鹿島氏とでは、身の置き所が異なりますが、それでも「本を書く」より「本を買う」方が、だんぜん楽チンだ…というのは、よく分かります。

確かに、お金さえあれば、モノを買うのは、わりと簡単なことです。
――いや、そんなことはない。モノを買うということが、いかに大変なことか…というのも真実ですけれど、そう思われる方は、たぶんモノとの付き合い方が、抜き差しならないところまで行ってしまった方でしょう。まあ、一般論として、単純にモノを買う方が、モノから何かを生み出すよりも楽チンなのは確かです。

いずれにしても、前提となるのは、「お金さえあれば」という点。
鹿島氏は同じ本で、こうも書かれています。

 だが、いずれ、この病も、裁判所の執達吏が癒してくれることだろう。どうやら、全快の日はそれほど遠くはなさそうである。

この子供より古書が大事と思いたいという、かなりえげつないタイトルの本は、1996年に単行本が出て(版元は青土社)、文春文庫に入ったのは1999年です。しかし、鹿島氏の期待も空しく、氏はその後、2003年にはそれでも古書を買いました(白水社)という、病勢がさらにつのった趣の本を出され、その中で「子供と本は黴のように貧乏の上で増えていく」と述懐されています。


あれから14年が経ちましたが、鹿島氏が本復されたという話はついぞ聞きません。

   ★

「あの鹿島氏だって…」と、氏を引き合いに出すことで、自分の振る舞いが正当化されるわけではありませんし、今の世の中がそんな太平楽を許さない状況にあるのも痛感していますが、そこが宿痾(しゅくあ)の恐ろしさ。我ながら業の深いことだと、歎息するほかありません。

そんなわけで、記事を書くのをさぼっていても、モノを買うのは続いています。
こうしてモノは徐々に増えていきます。まさに黴の如くに。

…というような、愚にも付かぬことを書きながら、記事再開のタイミングを計っています。


コメント

_ Nakamori ― 2017年02月17日 16時36分38秒

それは病です。しかし、生きている限り治らぬ病なのでしょう。よーく、分かります。

_ S.U ― 2017年02月17日 18時37分45秒

ここまでの症状が出ている方はいっそ治らない方がよいのではないでしょうか。
 年を取ってから治ったように見えると老人性鬱病が疑われると思います。老人性鬱と認知症は、モノを買わなくなったか依然としてよく買うかによって区別ができるといいます(ホントか未確認)。どちらも病気ですが、人間誰しも年をとると認知症がでるのはある意味やむを得ないことで、お金が続くならば、鬱病で苦しむよりは、少なくとも本人にとってはいいことではないでしょうか。

 昨今ではむしろ、老後にお金が続かなくなるのが不安になったり、ケチになる認知症が出て治るパターンがあるかもしれません。案外これが望ましいパターンと言えるかもしれず、世の中困ったことになってきたと思います。

_ 玉青 ― 2017年02月18日 14時56分45秒

○Nakamoriさま

いやあ、やっぱり治りませんか。
分かっていただき、嬉しいような、嬉しくないような…(笑)
せいぜいNakamoriさんと自助グループを作って、励まし合うことにしましょう。(^J^)

○S.Uさま

これは実践的なアドバイスをありがとうございます。(笑)
たしかに病膏肓に入っては、毒を以て毒を制す、病には病で対抗するしか手がないのかも。まあ、そうなれば少なくとも自力でリカバリーしたことになりますから、鹿島氏のように裁判所のお世話になるより、数段マシと言えるかもしれませんね。

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