神戸の夢(3)2017年03月05日 14時38分06秒

西秋生氏が筆にした夢幻的な神戸。

その世界に入り込むための「鍵」をしきりに探したのですが、ここは足穂つながりで、彼の朋友であり、神戸モダニズムを代表する詩人、竹中郁(1904-1982)に注目してみます。

恥を忍んで告白すると、私は西氏の本を読むまで、竹中郁という人物をまるで知らずにいました。他にもそういう人はいらしゃるかもしれないので、最初に『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残』の巻末に記された、その略伝を挙げておきます。

竹中郁
 詩人。明治37年(1904)、兵庫永沢町生れ、昭和57年(1982)歿。
 イナガキ・タルホと並ぶ「神戸モダニズム」のシンボル。特に昭和7年の詩集『象牙海岸』はモダニズム詩の最高峰と高く評価される。生まれ育った神戸を離れなかったため、東京中心の詩壇の評価は高くなかったが、生誕百年を機に、二十世紀を代表する詩人としての再評価が進んでいる。随筆集『私のびっくり箱』(のじぎく文庫、1985年)には主に戦前の美しい神戸の思い出が満載されている。
 全詩集に『竹中郁全詩集』(沖積舎、2004年)がある。



略伝で挙げられた『象牙海岸』(1932)の現物がこれです。
上品なモロッコ革を用いた四分三装幀(総革ではなく、背と角のみを革装としたもの)。


さすがの神戸も、出版に関しては東京に一目置かざるを得なかったのか、刊行は瀟洒な美本出版で知られた、第一書房(東京市麹町区)に任せています。


とびきりのモダニズム詩を向うに控え、静かに佇む扉の表情。



  言葉もなく…

  私は白い帽子をかむつて海の中へ入つてゆく。
  私に親しいのはこの冷たさと緊密さとだけだ。
  私は海の底を匍つてゆく。
  私を発見(みつ)けるのは月だけだ。
  私が私のものになるのは、この月が廻転し遂(おほ)せてからだ。
  私は待つ。小石のやうに。

白い帽子、海、冷たさ、緊密さ、月、小石、私になるのを待つ私。
少しく難解です。しかし、わかるような気もします。でもやっぱり、言葉ではうまく言えません。その言葉にならない思いを言葉にするのが詩なのでしょう。


和紙に捺された、美しい活版の文字。
詩集『象牙海岸』には、並製本のほか、50部限定で和紙に刷られた特製版があり、これがそれに当たります。

   ★

この詩集の表情が、戦前の神戸の空気を伝えていることは間違いありません。
しかし、手元の1冊には、それ以上に直接的な「鍵」が含まれています。
それは見返しに書かれた署名です。


この一冊は、竹中郁本人が知友に贈ったもので、贈られた相手は竹中が創設した「海港詩人倶楽部」の同人として、詩作も行なった、チェロ奏者の一柳信二(いちやなぎしんじ、1902-?)

竹中と一柳の親交については、高橋輝次氏による、以下の古書エッセイでも触れられています。

『高橋輝次の古書往来』
 「27.竹中郁と神戸・海港詩人倶楽部」

外国船がしきりに行き交う港町。
そこに才気渙発な芸術家が集い、詩作し、音楽を奏で、絵を描いた時代。
戦争の闇が訪れるまで、神戸に確かに存在した伸びやかな空気が、この詩集を開けば、さっとあふれ出てくるのです。

   ★

戦争は、竹中の暮らしをすっかり変えてしまい、戦後は人並みの苦労もしました。
しかし、竹中の美意識は単なるポーズではなく、その骨格を形作る信条でしたから、敗戦の前年、昭和19年(1944)の初夏においても、その凛としたたたずまいは、全くぶれることがありませんでした。

 「竹中は一見して舶来とわかる水色の背広をきちんと着こなし、薄茶色のソフト帽子を少し横にかぶっていた。ワイシャツも洗い立てらしく真白だ。ネクタイの色は忘れたが、身のこなしに寸分のゆるみもない。電車のなかは国民服かモンペ姿かである。それだけに竹中は目立ったが、少しも気にしているようすはない。それがとても立派なことのように見えた。」 (足立巻一、『評伝竹中郁』/西秋生『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』から再引用)

うーむ、カッコいい。
しかし、当時の世相を考えると、このカッコよさは相当の覚悟がなければできません。

   ★

竹中が手に取り、自ら文字を書き付け、友人の音楽家に贈った自著を、85年経った今、わたしがこうして手に取っている…。思えば、夢のようですが、これは夢ではなく、たしかな現実です。それは85年前の神戸が、決して夢ではなく、現実に存在したことをも、はっきりと思い出させてくれます。

コメント

_ kat ― 2017年03月05日 15時26分28秒

素晴らしい『象牙海岸』を拝見出来て、眼福です。献呈署名も嬉しく、美しい書物です。多謝。

_ 玉青 ― 2017年03月06日 06時55分33秒

katさんにそう仰っていただけるとは、本当に嬉しく且つ光栄なことです。
春になり、神戸にも柔らかな風が吹いていることでしょうね。
今度神戸を訪れるときは、タルホのみならず、竹中郁や西秋生氏を偲びつつ町巡りをしたいと思います。そして、katさんの作品にも出会える機会に恵まれたら…そんなことを考えています。

_ kat ― 2017年03月07日 17時13分05秒

ありがとうございます。
是非、神戸遊歩にお越し下さい!

_ 玉青 ― 2017年03月08日 07時25分57秒

ぜひ!

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