日本のグランドアマチュア天文家(2)2017年03月12日 09時04分08秒

青木氏からお知らせいただいたのは、萑部(ささべ)氏と、その私設天文台の様子を伝える、同時代の雑誌記事の存在でした。

それは、反射望遠鏡の鏡面製作者として有名な、木辺成麿(きべしげまろ、1912-1990)氏がかつて書いた、「六甲星見台の萑部氏の新反射赤道儀」という一文です。
掲載誌は、東亜天文協会(現・東亜天文学会)の機関誌『天界』1935年2月号。

「六甲星見台の萑部氏の新反射赤道儀」

木辺氏の文章は、少し要領を得ないところもありますが、概略は以下の通りです。

〇1934(昭和9)年7月、木辺氏は萑部氏から依頼を受け、翌8月からそのメイン機材の製作に取り掛かった。

〇萑部氏は、同年(1934)春に、イギリスから47cm 径の巨大な反射鏡〔註:他資料によればリンスコット社製〕を取り寄せていたが、それをすぐ望遠鏡に組み上げることは困難だったので、差し当たり、もう少し小型の眼視用機材を木辺氏に作ってもらいたい…というのが、依頼の趣旨。

〇望遠鏡の主な使途は、火星をはじめとする惑星面の観測、掩蔽観測、微光変光星の追跡。

〇依頼を受けて木辺氏が製作したのは、口径31cm の反射赤道儀式望遠鏡(自動追尾の運転時計付き)。ただし、実際に組み込んだのは31cm 鏡ではなく、暫定的に26.5cm 鏡を使用。

〇これに、15cm 径の屈折望遠鏡(レンズは英国レイ製)を同架。

〇光学部以外の一切は、京都の西村製作所が担当。

〇同年(1934)12月に機材完成。

その完成した機材と観測施設の外観が、上掲誌に載っています。

(キャプションは「新設された六甲星見台(萑部氏宅)の望遠鏡」。この上に更にルーフやドームが乗ったのかどうか、おそらく乗ったと思うのですが、その辺がはっきりしません。)

 
(同じく「六甲星見台の外観。白亜六角形の建物が観測室」。何だか、ジブリの「耳をすませば」に出てくる地球屋みたいな風情です。)

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これだけの大仕事を、当時まだ22歳の木辺氏が請け負ったというのも驚きですが、何と言っても目を引くのは、萑部氏というアマチュア天文家の存在です。しかも、その星見の舞台がハイカラ神戸と聞けば、これはもうタルホ世界に向けて一直線で、俄然興味をそそられます。

日本の「グランドアマチュア」と呼ぶにふさわしい萑部氏の事績を、さらに追ってみます。

(この項つづく)