日本のグランドアマチュア天文家(4)2017年03月15日 07時20分37秒

戦前の神戸で、「おしどり天文家」として活躍された萑部進・守子夫妻。
そのライフスタイルの背景に注目してみます。

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萑部進(ささべすすむ)氏は、明治25年(1892)、島根県松江市の生まれ。

大正5年(1916)に東京高商、今の一橋大学を卒業すると同時に、三井物産に入社し、船舶部に勤務されました。その後、大正8年(1919)にはアメリカ、そして大正9年(1920)にはロンドンと、海外勤務を経験された後、「船舶部遠洋掛主任」となり、さらに昭和11年(1936)には「船舶部長代理」の要職に任じられています。

その自宅に「六甲星見台」を建て、星の観測に熱中していたのは、ちょうど船舶部長代理のポストに就く前後のことになります。もちろん、商社の海上輸送部門の責任者が閑職だったはずはないので、相当な激務の中、余暇の時間を大切にしながら、天体観測に励まれたのでしょう。

昔のイギリスの「グランドアマチュア」には、「働かなくても食べていける人」というニュアンスがあったので、萑部氏の場合、そこだけはちょっと違うかもしれません。

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で、肝心の「六甲星見台」の位置ですが、萑部氏のご自宅は「灘区高羽曽和山」にあった…と資料には出ています。地図を見ると、神戸大学の六甲キャンパスの南麓に、今も高羽町という町名があって、その近くに「曽和山マンション」というのが、グーグルマップだと表示されます。たぶん、その付近に白亜の「六甲星見台」はあったのでしょう。

この間、萑部氏のお名前が人名録に登場するのは、管見の範囲では、昭和3年(1928)発行の交詢社版『日本紳士録』(第32版)が最初で、会社員ながら所得税の高額納税者として、紳士録に名を連ねています。

著名な企業のエリートサラリーマンとはいえ、一介の勤め人が何故?…と、一瞬思いましたが、でも改めて考えたら、この事実こそ当時の「財閥」というものの性格を、はっきり物語るものではないでしょうか。もちろん、三井物産は今も大企業ですが、その社会的意味合いにおいて、戦前の同社は、現在とは少なからず異なっていたように思います。

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一方、守子氏の方も、夫君と同じ島根県の生まれで、生年は明治31年(1898)。

地元の高等女学校を卒業され、その後、進氏と結婚されたわけですが、長女を出産されたのが大正10年(1921)、守子氏23歳のときですから、おそらく学校を出て、あまり間を置かずに萑部家に嫁がれたのではないでしょうか。そして、進氏と共に海外生活も経験されたのでしょう。

ここで、洋装が板につく、細面で活発な、ジブリ的キャラクターを連想するのは、私の無邪気な空想に過ぎませんが、でも、夫妻を取り巻くムードはとにかくハイカラなのです。

(新緑を楽しむハイカラな二人。戦前の神戸のタクシー会社のマッチラベル)

昭和15年(1940)発行の『大衆人事録 近畿篇』を見ると(上に記した内容は、ほぼ同書に拠っています)、進氏の趣味は「声楽と天文学」であり、宗旨はキリスト教だと記されています。

前回、夫妻が変光星観測のデータを、アメリカのAAVSO(アメリカ変光星観測者協会)に報告していたことに触れましたが、そこにおける守子氏のお名前は、「Sasabe, Beatrice M.」となっていました(進氏はふつうに「Sasabe Susumu」)。夫妻は揃って洗礼を受け、ベアトリーチェ(あるいはベアトリス)が、守子氏の洗礼名なのでしょう。

1935年の当時を思い浮かべると、進氏43歳、守子氏37歳。
一男二女に恵まれたお二人は、六甲の高台から毎日海を眺め、星を眺め、音楽を愛し、そして神を賛嘆したのです。

私自身の生活経験とはあまりにかけ離れているので、この館で日々どんな生活が営まれたのかは、ぼんやり想像するほかありませんが、それでも何となく良い香りのする、いかにも戦前の神戸らしい、上質な生活がそこにはあったのでしょう。

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しかし、光あれば影あり。

その生活が光に満ちていればいるほど、その後、お二人が戦中・戦後をどう過ごされたのかが気にかかります。一応、図書館で戦後の人名録にも当ったのですが、そこに萑部氏のお名前は確認できませんでした。

戦時中は、船舶の徴用をめぐって軍との際どい折衝もあったでしょうし、戦争が終れば終わったで、例の財閥解体があり、新円への切り替えがあり、世の中がすっかり変わってしまったので、お二人の暮らしぶりも激変したであろうことは、想像に難くありません。でも、この辺のことは今のところ全く不明です。

ただ、あの巨大な望遠鏡がどうなったかについては、若干の伝聞情報があるので、最後にその点を見ておきます。

(この項さらにつづく)

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