旅人未満2017年03月19日 09時24分42秒

永六輔・作詞、中村八大・作曲でヒットした「遠くへ行きたい」。

 知らない街を 歩いてみたい
  どこか遠くへ行きたい
 知らない海を ながめてみたい
  どこか遠くへ 行きたい 

ウィキペディアによれば、この歌の発売は1962年で、ずいぶん古い歌です。
私の耳に残っているのは、その後1970年に始まった旅番組、「遠くへ行きたい」の主題歌として、頻繁に流れるようになってからのことと思います。

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知らない世界を求めて、「今ここ」から「どこか遠くへ」と向かうのが旅。
その中には、知らないモノを求めてさまよう「蒐集の旅」というのもあります。
世界中を自分の足で歩き、不思議な店の門をくぐり、にぎやかなマーケットを覗き、未知のモノを探し出して、トランクに詰め込む。

できれば私もそんな旅がしたいのですが、己の性格と生活環境のしからしむるところにより、自室のディスプレイの画面を、老いた釣り師の如くじっと眺めて、未知のモノが針にかかるのをひたすら待つ…ぐらいが今は関の山です。

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以前ご紹介した(http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/02/25/)、「第5回 博物蒐集家の応接間 “避暑地の休暇 ~旅の絵日記~”」の開催まで、あと一週間を切りました(会期は3月25日(土)~29日(水)まで)。

この旅をテーマにしたイベントに、旅をしない自分が、どう関わればいいのか迷いましたが、考えてみれば、人間は――大きく言えば人類は――世界と自分を知るために、長い長い旅を続けているようなものですし、星の世界とのかかわりも、そんな旅の1ページなのだ…と達観することにしました。

そんなわけで、天文の歴史を旅になぞらえた「空の旅」という小さなコーナーを、会場の隅に作っていただくことになりました。

例によって品数が少ないので、その展示意図が伝わらないといけないと思い、あえて「洒落の解説」のような不粋な真似をしましたが、私のささやかな意図はそういうことです。

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先日、針にかかったミッドセンチュリーのタイピン。


彗星を収めた小さな宇宙空間。
この「星界の旅人」を胸元に覗かせて、三省堂の会場内を、旅人のような顔つきで歩いている人がいたら、それは私です。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

政治というのは利権が絡むものですから、政治家の中には悪に手を染める人もいる…というのは、時代劇を見ても分かる通りで(そういえば、最近時代劇が少なくなりましたね)、そのことに驚く人はいないでしょう。

それにしてもです。
特定秘密保護法とか、安保関連法とか、共謀罪創設とか、働かせ放題法とか、その他何とかかんとか。安倍氏とその取り巻きが、これほどまでに遠慮会釈なく、大っぴらに悪事を重ねるのを見て、怒りも恐怖も通り越して、一種の異界感すら覚えます。

彼らは、なぜこれほどやりたい放題を続けられるのか?
もちろん、議会の多数を占めているという根本原因があるのですが、話を聞いてみると、それ以外にもいろいろカラクリがあるのだそうです。

例えば、政治家と官僚は、癒着もする一方で、互いに強く反目しているわけですが、その抵抗をそぐための手法が、人事(と予算)の掌握です。安倍氏の場合、第2次政権の発足と同時に、以前からあった内閣人事局構想の具体化に向け全力で動き出し、これによって官僚を無力化することに成功したことが、その権力のベースにあるという話。これは、官僚を意のままに操ることのできる、いわば「魔法の杖」です。

そして、この魔法の杖をぶんぶん振って、司法人事にも介入し、検察や裁判所までも骨抜きにしてしまおう…と狙っているのだとか(その完成も間近だそうです)。

さらに、時の権力者が、ダークな力をふるうための便利な財布が、内閣官房機密費で、これは政権の如何によらず、昔からあるのだそうですが、完全に使途不明のお金だけに、やろうと思えば何でもできてしまうという、これまた実に恐ろしい「杖」です。マスコミが急速に無力化した背景には、この後ろ暗いお金の存在があるらしい…と風聞します。実際、鼻薬を嗅がされた人、弱みを握られた人も相当いるのでしょう。

こんなふうに、抵抗勢力を排除する手法を洗練させ(嫌な洗練ですね)、うまく排除に成功したのが安倍氏とその周辺で、実に鮮やかな手並みと言わねばなりません。我々庶民は、「お上」にうまうまとやられぬよう、こういうことを「世間知」として知っておく必要があると思います。

安倍氏に限らず、その手法に学ぶ政治家は、今後も必ず出てくるからです。