妖精の輪2017年04月09日 13時10分45秒

記事を休んでいる間に、神田神保町で開かれた「博物蒐集家の応接間」も終わり、そのことの振り返りもしたいのですが、先日、別イベントのご案内をいただいたので、そちらを先にご紹介しておきます。

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子羊舎のまちだまことさんからご案内いただいたのは、キノコをモチーフにした、ちょっと不思議なアート展。


菌輪(きんりん) Fairy Circle ~人が足を踏み入れたことのない場所~

○会期 2017年4月22日(土)~5月2日(火) ※4月26日(水)は休廊
      11:00~19:00(最終日は17:00まで)
○会場 銀座 スパンアートギャラリー
      (中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F)
      地下鉄 銀座一丁目駅 徒歩0分、JR有楽町駅 徒歩3分
       〔MAP http://www.span-art.co.jp/aboutus/index.html
○出品作家(敬称略)
  東 逸子、飯沢耕太郎、伊豫田晃一、内林武史、オカムラノリコ、おぐらとうこ、
  北見 隆、shichigoro-shingo、鈴木陽風、諏訪孝志、瀬戸 照、高橋千裕、
  多賀 新、建石修志、とよ田キノ子、丹羽起史、長谷川友美、ヒロタサトミ、
  深瀬優子、まちだまこと、山田雨月 、山本もえ美

上記ページから引用させていただくと、「菌輪とは、キノコが地面に環状(あるいはその断片としての弧状)をなして発生する現象、あるいはその輪自体のこと」であり、森の中や、野原に突如出現するキノコの輪状群生は、いかにもお伽の国めいた存在で、英語圏ではこれを妖精の仕業と見なして、「Fairy Circle」の名がある…というのが、イベントタイトルの由来であり、「菌類や粘菌(変形菌)、きのこをテーマに、様々なイメージの作品が集結。画廊はまさに、大きく不思議な菌輪と化す」のです。

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今回の催しは、純然たるアート展で、生物学的視点からキノコ類を見たものではないようですが、この『天文古玩』が、学問としての天文学を離れて、「天文趣味の歴史」や「人が宇宙に向ける視線の歴史」にウェイトを置くように、もし『菌類古玩』というようなサイトがあったら、今回のイベントには、必ずや深甚な注意を払い、「菌類趣味の歴史」や、「人が菌類に向ける視線の歴史」を語る材料として引用し、倦まず考察するに違いありません。

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私自身は、それだけの知識も見識もないので、こうした「菌類趣味」の隆盛について、何かを語ることは難しいですが、それでも、かつて自分が書いた文章を読み返して、「なるほど」と思ったことがあります。(自分の文章に膝を打つのも馬鹿っぽいですが、内容はたいてい書いたそばから忘れてしまうので、自分の文章も、何だか他人が書いたような気がします。)

それは(今回と同様)まちださんからお知らせいただいた、3年前のイベント「CRYPTOGAMIA Ⅱ ―秘密の結婚Ⅱ―」を紹介する記事の中で、「キノコはなぜ愛されるのか?」について記した一文です。
以下、拙文から引用(http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/11/15/)。

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キノコはなぜ愛されるのか?

キノコ好きの人にとっては、おいしい食用キノコばかりでなく、危険な毒キノコまでもが魅惑の対象となります。その理由はさまざまでしょうが、子羊舎さんのDMにも見られるように、キノコは擬人化されやすいというのが、大きな理由の1つでしょう。
反対に、人間をキノコにたとえたのが稲垣足穂で、彼は人間を「魚臭いヒトヨダケ」と呼びました。

  頭でっかちのシルエット。
  驚くほどもろいのに、驚くほどしたたか。
  孤独なようでいて、菌根で目に見えぬネットワークを形成する集団性。

まことに人間臭い連中です。
そもそも、おいしい奴と喰えぬ奴がいるところが人間臭い。
そして、喰えぬ奴の方が、往々にして面白かったりするのも人間界と同じです。

(引用ここまで)
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戦艦や日本刀は言わずもがな、最近は何でも擬人化するのが流行っています。
果ては素粒子もキャラ化され、世界のすべてを「萌え的原理」に還元する試みもあるやに聞きます。

擬人化というのは、何となく安易な人間中心主義を連想させますし、近いところでは、19世紀の博物学が擬人化を多用し、自然界に通俗道徳を持ち込んで破綻した過去もあり、そうした歴史を踏まえれば、擬人化というのは、相当用心が必要だと思います。

でも、考えてみたら星座だって擬人化の産物だし、「神」観念も一種の自然の擬人化に他なりません。昔も今も、海は時に優しく、時に荒れ狂い、そして山は笑い、眠り、粧うものです。

人間は宇宙を擬人化すると同時に、自らをミクロコスモスとして、「擬宇宙化」して理解しようとしてきました。人間が、世界を自分の似姿として、両者をパラレルなものと見なすことは、相当深い根のあることで、人間が人間であることを辞めない限り、今後もそこから脱することは困難でしょう。

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…話が横滑りしました。

でも、こんなふうに、キノコのアートを見て、そこに擬人化の機制を感じ取り、さらに人間自身にとって擬人化とは何なのかを考える…というような、迂遠な時の過ごし方こそ、最近の自分に最も欠けていたもので、これぞ思考の菌輪、観念のフェアリーサークル。何だか自分という存在が、一個の菌群のようにも感じられる瞬間です。