空の旅(16)…海を渡った天文書 ― 2017年05月05日 10時00分19秒
さて、時代は19世紀の半ばから後半へと向かいます。
そして、場所はヨーロッパから船に乗り、大西洋を越えたアメリカ。
ニューヨークの公立学校の校長先生である、エイサ・スミスが著した『スミスの図解天文学』(第4版、1849)。
改めて述べるまでもなく、そのクールな図版で、今や天文古書の中でも一、二を争う人気者ですから、天文アンティークファンならば先刻ご承知でしょう。
スミス先生の頃のアメリカは、まだジャイアント天文台の建造ラッシュ前で、天文学の面ではヨーロッパに大きく遅れをとっていました。でも、教育に関してはひどく熱心でしたから、こうした天文書の傑作が生まれたものと思います。
思えば、この「天文古玩」との関わりもずいぶん古く、今から11年前、このブログが誕生して、まだ生後10日目ぐらいのときに早々と取り上げているので、相当な古なじみです。
しかし、今日のテーマはスミス先生の本ではなく、これがさらに太平洋を越えて、極東で芽を吹いた…という話題です。
明治4年(1871)、神田孟恪(本名・孝平、1830-1898)が訳した『星学図説』。
邦訳は本文2冊、図版1冊の3分冊で刊行され、図版編には特に『星学図彙』という別タイトルが付されました。
これによって、長い長い「空の旅」は、ぐるっと地球を一周したことになります。
The East meets the West.
The West meets the East.
宇宙についての学問は、こうしてまさに「ユニバーサル」なものとなったのです。
とはいえ、両者に漂う「情緒」の違いといったら―
両者は確かに同じだけれども、やっぱり違う…と感じます。
これはたぶん天文学という学問の受容の仕方もそうでしょう。
そこで説かれる事実・法則・理論は、もちろん世界共通ですし、当然同じものでなければなりません。でも、そこに漂う情緒や「湿り気」は、必ずしもそうではありません。
その違いは、学問的著作には現れないかもしれませんが、一般向けの本や、児童向けの本になると徐々に染み出してきて、各国の「天文趣味」にローカルな色彩を与えているように感じます。
★
ところで、スミスの本について、今回の「博物蒐集家の応接間」で新たに知ったことがあるので、オマケに書き添えておきます。
(ちょっと記事が長くなったので、ここで記事を割ります)
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