空の旅(18)…新しい旅のはじまり2017年05月06日 09時22分28秒

時代が19世紀を迎えるころ、市民社会が訪れた…と、先日書きました。
そして20世紀を迎えるころ、今度は「大衆社会」がやってきたのです。

天文趣味にかこつけて言えば、それは天文趣味の面的広がりと、マスマーケットの成立を意味していました。

18世紀の末に、お手製の望遠鏡で熱心に星を眺めていたイギリスの或るアマチュア天文家は、道行く人々に不審と好奇の念を引き起こしました(後の大天文学者、ウィリアム・ハーシェルのことです)。でも、100年後の世界では、もはやそんなことはありません。望遠鏡で星を見上げることは、すでにありふれた行為となっていました。


19世紀末~20世紀はじめに発行された、望遠鏡モチーフの絵葉書類を一瞥しただけで、望遠鏡と天体観測が「大衆化」した様相を、はっきりと見て取ることができます。
それは大人も子供も、男性も女性も、富める者も貧しい者も楽しめるものとなっていましたし、ときに「おちょくり」の対象となるぐらい、日常に溶け込んでいたのです。

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この頃、並行してアカデミックな天文学の世界では、革命的な進展が続いていました。銀河系の正体をめぐる論争は、最終的に「無数の銀河の存在」を結論付けるに至り、宇宙の大きさは、人々の脳内で急速に拡大しました。また、この宇宙を形作っている時間と空間の不思議な性質が、物理学者によって説かれ、人々を大いに眩惑しました。そして、高名な学者たちが厳かに認めた「火星人」の存在。

まあ、最後のは後に否定されてしまいましたが、そうしたイメージは、見上げる夜空を、昔の星座神話とは異なる新たなロマンで彩ったのです。

   ★

宇宙への憧れの高まり、新たな科学の時代に人々が抱いた万能感、そして実際にそれを裏付ける技術的進歩―。その先にあったのは、宇宙を眺めるだけではなく、自ら宇宙に乗り出そうという大望です。


銀色に光るロケットと、「ロケット工学の父」ツィオルコフスキーの像。
(この像は既出です。http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/08/27/)。

(像の台座部分拡大)

ツィオルコフスキー自身は、自ら「宇宙時代」を目にすることはありませんでしたが、新しい時代の象徴として、これをぜひ会場に並べたいと思いました。

(ふと気づきましたが、今年はツィオルコフスキー生誕160周年であり、スプートニク打ち上げ60周年なんですね。「宇宙時代」もようやく還暦を迎えたわけです。)

   ★

こうして旅人は、現在、我々が立っているところまでたどり着きました。
長い長い空の旅。

ここで、この連載の第1回で書いたことを、再度そのまま引用します。

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1920~30年代に、ギリシャの学校で使われた天文掛図。
その傍らには、私の思い入れが、こんなキャプションになって添えられていました。

 「古代ギリシャで発達した天文学が、様々な時代、多くの国を経て、ふたたびギリシャに帰ってきたことを象徴する品です。天文学の長い歴史の中で、惑星の名前はラテン語化されて、木星は「ジュピター」、土星は「サターン」と呼ばれるようになりましたが、この掛図ではジュピター(木星)は「ゼウス」、サターン(土星)は「クロノス」と、ギリシャ神話の神様が健在です。」

この掛図を眺めているうちに、ふと上の事実に気づいたとき、私の心の中でどれほどの長い時が一瞬にして流れ去ったか。「やっぱり、これは旅だ。長い長い旅なんだ…」と、これは私の個人的感懐に過ぎませんが、その思いの丈を、しばしご想像願えればと思います。

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こうして連載の最後に読み返すと、我ながら感慨深いものがあります。

(画像再掲)

会場のあの展示の前に、10秒以上とどまった方は、ほとんどいらっしゃらないでしょうが、私の単なる自己満足にとどまらず、あのモノたちの向うに広がる旅の光景は、やはりそれなりに大したものだと思います。


ともあれ、ご来場いただいた方々と、冗長な連載にお付き合いいただいた方々に、改めてお礼を申し上げます。

(この項おわり)

コメント

_ S.U ― 2017年05月07日 07時58分29秒

空の旅、お疲れ様でした。
私は行けなかったのですが、お写真を見ると若い方も来られたようで良かったです。

>ツィオルコフスキー生誕160周年であり、スプートニク打ち上げ60周年
 これについて、少し前から気になっていることがあって、それはつまり、これが偶然なのか企図されたことなのか、という問題です。表向きは、人工衛星の打ち上げは、国際地球観測年(IGY)にセットされたということで、IGY自体はツィオルコフスキーとは無関係です。でも、ソ連のロケット開発指導者セルゲイ・コロリョフが政府に人工衛星打ち上げを提案したときの売り込み文句に「ツィオルコフスキー生誕100年」が入っていたかという問題があります。これは、当時、鉄のカーテンの向こう側でそれも計画段階では国内でも極秘中の極秘だったので、現在でも詳しいことはわかっていないと思いますが、売り込み文句として効果があったという話は見つけていません。またフルシチョフが腹の中で考えたことは、彼は特にツィオルコフスキーのファンでもなかったと思うので、わかりません(成功後にさもツィオルコフスキー生誕100年を記念したように言及された例はいくらでもあると思います)。

_ 玉青 ― 2017年05月07日 09時48分14秒

ツィオルコフスキーの生誕100周年とスプートニクの打ち上げ。
日本語版ウィキペディアでは、両者の結びつきをあっさり「事実」として記述していますが、同時代の本当のことは分からないですね。ひょっとしたら、真相は永遠に藪の中かもしれません。

ただ、さっき『The Rocket Men: Vostok & Voskhod. The First Soviet Manned Spaceflights』という本を見たら(https://books.google.co.jp/books?id=zndYLKa26wAC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false)、その62ページに、

「On 15 September, in a speech marking the centenary of Tsiolkovsky's birth. Korolyov told his audience that future plans would soon include a second satellite in Earth orbit, a parcel on the Moon, a probe around it, and then piloted spaceflight.」

とあって、コリョロフには、確かにツィオルコフスキー生誕100周年を、スプートニクの打ち上げによって慶祝するという意識があったと感じられます。でも、その前の60ページを見ると、

「In January 1956, Khruschev visited OKB-1 to view the R-7. During the visit, no mention was made of anything larger in the bureau's space ambitions, until, almost at the door, Korolyov was asked if there were other applications for his rockets. Korolyov took Khruschev's group to a room full of exhibits from rocket research programmes of the 1940s and 1950s, including some ideas for satellites. However, no enthusiasm was shown concerning an Object D model, and even Korolyov's enthusiasm for Tsiolkovsky and the prospects for Object D did nothing to impress Khruschev. Korolyov immediately changed his approach, and stated that the USA was developing a satellite programme but did not have a launcher large enough to put a satellite into orbit.」

ともあって、S.Uさんのおっしゃる通り、コリョロフのツィオルコフスキー賛嘆の思いは、フルシチョフにはまったく届かず、コリョロフも、この際ツィオルコフスキーにはこだわらずに、フルシチョフのアメリカへの対抗心を煽るのが上策…とアプローチを変更したようなことが書かれています。

結局、関係者間でも温度差があったのでしょう。
上記書籍のソースまでは確認していないのですが、フルシチョフの冷淡さとは対照的に、コリョロフの中では両者が当初から結びついていたのは、どうも確からしく思えます。

_ S.U ― 2017年05月07日 15時00分25秒

おぉ、これは良い参考書のご紹介ありがとうございます。ご紹介のグーグルブックスではご引用のページは公開されていないようですが、玉青さんは本の現物を持っていらっしゃるのでしょうか。
 もちろん、この本は私は未見でした。スプートニク成功以前の9月15日に彼が人々の前で演説をしていたというのは面白いです。ソ連では、もちろん、将来計画は極秘でしたが、宇宙飛行士や技術者が適度にリークするのはわざと許していたフシがあります。ただし、当時はコロリョフ自身が秘匿すべき最重要人物だったのでちょっと意外です。

 コロリョフはフルシチョフの前にツィオルコフスキーを持ち出しては見たものの通用しなかったということですね。コロリョフは飛行機の設計士の出身ですから、若い頃からツィオルコフスキーの信奉者であったことは間違いないと思いますが、フルシチョフは戦場の軍人的な人で、おそらく宣伝よりも各々の「局地戦」で勝利することを重要と考えたのでしょう。ツィオルコフスキー生誕100年の効果は、本当は、当時のソ連のインテリと労働者がツィオルコフスキーの偉大さをどれほど認識し祖国の誇りと受け止めるかにかかっていたのですが、この両人は両極端だったのでそういうレベルの分析には進まなかったのでしょうね。

_ 玉青 ― 2017年05月10日 07時20分31秒

おや、私の手元では途中大幅にはしょられているものの、該当ページは閲覧可能となっていますが…? 例によって、私もザッと検索して見付けただけで、紙の本は持ってないんですが、S.Uさんの積年の疑問を解くのに、この些細な情報が多少なりともお役に立つのであれば、幸いです。

_ S.U ― 2017年05月10日 19時46分08秒

>該当ページは閲覧可能
 わかりました。グーグルブックスは見る日によって伏せられるページが変わるのです。 読めないページも、待てば海路の日和あり のようです。

_ 玉青 ― 2017年05月11日 07時17分45秒

>グーグルブックスは見る日によって伏せられるページが変わる

げげ、本当ですか?
私は至って素直な性質なので(笑)、つい信じてしまいます。

_ S.U ― 2017年05月11日 09時01分24秒

>伏せられるページが変わる
 変わるのは事実です。玉青さんご紹介の上記書籍については、私自身で確認したところでも、すでに4回くらい変わっています。でも、複数の端末から試したので、クライアントのIPアドレスごとに変わるのかもしれません。もし、玉青さんのご常用の端末で毎日変わらなければ、端末ごとに変わるということかもしれません。試しに今、異なる2台の端末から同時アクセスしてみましたが、伏せられているページは違いました。

 人為的にプロバイダから割り当てられるIPアドレスを切り替えてテストすれば何かわかるのではないかと思います。詳細は今のところわかりません。

_ 玉青 ― 2017年05月12日 06時32分49秒

(再び)げげ、本当だったんですね!
私は又いつぞやの意趣返しかと思って、思わず身構えたのですが(全然素直じゃないですね・笑)、グーグル一つとっても、まだまだ知らないことが多いなあと痛感しました。

で、さらに情報を求めて徘徊したら、以下の記述を見つけました(10年前の記述です)。

「この閲覧制限ページはCookieで管理していることが判明。Cookie削除してやり直すと制限ページが変わる。ので、結論としては部分プレビューの本も全部読める」
http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070712/p1

なるほど…と、クッキーを削除してみたら、確かに表示ページが変るようです。
でも、同じ非表示ページにも2種類あって、「○○ページはこの書籍のプレビューに含まれていません。」というメッセージが出て読めない場合と、「閲覧できないページにアクセスしているか、この書籍の閲覧制限を超えています。」というメッセージが出て読めない場合があって、どうも10年後の現在では、単にクッキーを削除しただけで「部分プレビューの本も全部読める」という風にはなってないようでもあります(詳しく調べていないので、この点はあやふやです)。

ともあれ、有用な新知識が得られましたこと、お礼申しあげます。<(_ _)>

_ S.U ― 2017年05月12日 08時24分32秒

こちらこそお調べありがとうございます。クッキー管理でありましたら、削除して頑張ってみる値打ちのあるときもあるでしょうね。有用な情報だと存じます。

 それはさておき、「意趣返し」につきましては拙者片時も忘れたることござりませんので、そのおつもりでどうぞくれぐれもご油断なきようご用心下さりませ(笑)。

_ 玉青 ― 2017年05月13日 14時40分13秒

いやあ、これは剣呑ですね。
それでは引き続き緊張感を以て臨むことにいたしましょう。(^J^)

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