彗星の記事帖(2) ― 2017年05月13日 14時31分25秒
明治の彗星ファン、大友荘助翁のスクラップ帖は、5月7日の「○ハリー彗星 △見頃は本月十九日」という記事で始まっています。
そして、スクラップ記事の前にこう書き付けています。
「彗星(すゐせい) 箒星(ほうきほし)之事
明治四十三年五月七日/東京日日新聞所載
明治四十三年一月始メヨリ〔同年五六月?〕頃マデ
毎夜午後六時頃ヨリ西鳥治山の北の方ニ彗星(ホーキホシ)現ル
十九日頃ハ見頃デ有た」
明治四十三年五月七日/東京日日新聞所載
明治四十三年一月始メヨリ〔同年五六月?〕頃マデ
毎夜午後六時頃ヨリ西鳥治山の北の方ニ彗星(ホーキホシ)現ル
十九日頃ハ見頃デ有た」
翁は新聞記事に目を通すだけではなく、自ら彗星を実見していました。
そして「見頃であった」と過去形で書いていることから、このスクラップ帖は、前から切り溜めておいた記事を、後から整理して貼り込んだものなのでしょう。
ただし、上の書きぶりからすると、翁は明治43年1月に見た彗星と、同年5月19日に見頃を迎えた彗星(=ハレー彗星)を同じものと考えたようですが、両者は別物です。そもそも1月の段階では、ハレー彗星はまだ8等級未満ですから、肉眼では見えません。翁が目にしたのは、ハレー彗星に先立って出現した、きわめて明るい彗星、「Great Daylight Comet」(C/1910 A1)だったと思われます。(地名の「鳥治山」は未詳)
以下、「見頃は本月十九日」と傍点で強調された記事の冒頭。(引用に当って句読点を補いました)
「快晴の朝三時半頃東方の空を眺ると、明の明星の稍北方に位して、光輝燦然たる彗星が見える。尾は数千条の直線で上方に向ひ、其長さは約七百哩〔マイル〕ある。是れこそ近頃世を騒して居るハリー彗星である。ハリー彗星の出現に就ては、古昔から種々な荒誕無稽の臆説が行はれて、科学の最も発達した今日でも、尚一種の迷信に駆られ、或は不祥の象徴たるかの如く疑惑を抱いてゐる者が少くない。ハリー彗星が果して恐怖の眼を以て観るべきものであるか、東京天文台員は曰く…」
明治の末は、さすがに20世紀の世の中ですから、科学万能がうたわれ、彗星に絡む不吉の観念は、「迷信」の2文字で片付けられています。そして彗星の尾に含まれる毒ガス云々という、科学的体裁をとった奇説も、東京天文台員氏によって、記事の末尾で軽くいなされています。
「▲人類は有毒瓦斯に倒れず 彗星が地球に最も接近する十九日頃には、地球は多少彗星の尾に包まれる様になる。処が此尾にある有毒瓦斯は、地球の空気を侵害して人類の呼吸を妨ぐると或学者は警告して居るが、此有毒瓦斯は人類の棲息せる地点迄では迚(とて)も及ぶまいとの推測がつくから、先づ安心して可なりであらう。」
★
思えば、大友翁が若いころ、周りの人はみなちょん髷を結っていました。
そして、村でも町でも、狐や狸が普通に人を化かしていましたし、むしろ「お化けや幽霊なんて迷信だ、あれはみんな狐や狸の仕業だ」と、怪異を狐狸の仕業と見なすことが合理的で、「開明的」な態度だったのです。
そんな時代から出立して明治の世を逐一眺め、今や老境に至った大友翁。
その道のりを考えただけで、私は頭がクラクラしてきます。
でも、常に理性的な大友翁は、新聞を丹念に読み、人の話を聞き、さらに自分の目で観察して、彗星の正体をよく理解し、そして彗星の尾に含まれる毒ガスの説にも惑わされることなく、きっと泰然としていたのではあるまいか…。
スクラップ帖一冊から、ずいぶん想像をたくましくするんだね…と嗤われそうですが、私はどうもそんな気がします。
(この項つづく)
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