本邦解剖授業史(7)2017年06月18日 09時18分04秒

(今日は長文2連投です)

上の読売の記事から更に10年余りが経過した、平成16年(2004)の状況を伝えるのが、以下の記事。

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朝日新聞(2004年10月3日 東京版朝刊)
減り続ける解剖実験 「毎年実施」6% 小学校、子どもの抵抗強く

 魚やカエルの解剖実験をする学校が減っている。小学校での実施率は約2割という調査結果が今年8月の日本理科教育学会で報告された。今の小中学生の親たちが学んだころに比べ、生命尊重の考えが広がり、教科書の扱いも小さい。流れは変わらない様子だが、本物の命にふれる絶好の機会になる、と新しい視点で解剖授業に取り組む教師もいる。(高橋庄太郎)

 小学生は6年の理科で、人や他の動物の体について学ぶ。解剖実験はその一環で、主に魚の内臓を見て、体のつくり、働きを確かめる。

 昨年末、鳩貝太郎・国立教育政策研究所総括研究官らのグループが全国の実態を調査し、理科教育学会で発表した。

 計575校の理科主任の回答によれば、過去3年間に「毎年解剖実験をした」学校は6%で、「したりしなかったり」と合わせても22%だった。解剖実験をしなかった理由で一番多いのは「教科書で扱っていないから」。「視聴覚教材で代替できる」「生命尊重の教育に反する」が続く

 魚の解剖は、1958年、学習指導要領の「指導書」に盛り込まれたのをきっかけに、教科書が詳しく記し、学校でも取り組み始めた。解剖の仕方を教師に伝える講習会が盛んに開かれた

 その後、指導要領の改訂が重なる中で、解剖の位置づけは低くなり、現行要領の「解説」(以前の指導書に相当)は「(体内観察には)魚の解剖や標本などの活用が考えられる」という表現になっている

 理科教科書は6社から出ているが、3社はフナなどの解剖を取り上げ、ハサミの使い方、解剖した状態の写真、図を載せている。しかし、他の3社は魚の消化管を図解しているものの、解剖にはふれていない。

 解剖実験は学習内容として最もインパクトが強いといわれるが、準備、後始末に手間がかかるなど教師の負担が大きい。「生きた魚を殺すのはかわいそう」「気持ち悪い」「こわい」など、子どもの抵抗感が強い。

○「命の授業」で取り組み

 最近は命の大切さを教えることが学校の重要課題になっている。現行の指導要領の「解説」でも、動物などの体の学習のねらいとして、「生命を尊重する態度を育てる」とうたっている。

 教科書会社の理科担当者は「教科書に解剖の仕方を載せても、やる必要はないと判断する学校が多いと思う。生きたフナ、コイを入手することも難しくなった」と話す。

 全国調査をした鳩貝・総括研究官は(1)60年代から70年代をピークに解剖実験は減り続けてきた(2)新採用教員の多くは自ら経験していないのでさらに減ると予測し、次のように言う。

 「動物の生命を実感し、その大切さを知る解剖実験は、生物愛護、生命尊重の態度を育てる理科の目標にかなう。ただし、解剖理由を十分説明するなど入念な準備や謙虚な姿勢が欠かせない」
 
 学校の中にも解剖実験の役割を評価する声はある。岐阜県飛騨市立古川西小の重山源隆先生は前任校で生きたコイを解剖させた際、子どもの気持ちを調べた。

 事前アンケートでは不快、恐怖、同情からの抵抗感が強かったが、終わった後、道徳の時間に話し合わせたら「命を奪うのは残酷だが、命の大切さがわかるような気がする」などの意見が目立つようになった。

 「生き物の死を真剣に受け止め、理性で考えるようになった。動物は死んでも生き返る、と信じる子がいる時代に、やりっ放しにしないなど教師側がしっかり取り組めば、解剖実験で得られるものは大きい」と重山先生は指摘する。

○中学校でも傾向は同じ

 中学校では60年代、人の体のつくりに近いカエルの解剖が理科に組み込まれた。学習指導要領で明記したのがきっかけだ。しかし、小学校の魚と同様、指導要領の扱いが小さくなった

 5種類ある現行の教科書を見ると、カエルはその呼吸法を見るなど観察の対象とされている。カエルにふれていない教科書もある。各教科書が解剖写真を載せていたのとは様変わりだ。

◆小学校での魚の解剖実験は必要?
 必要性は感じない  64.0%
 必要          28.3
 してはならない     1.6
 わからない          6.1
 (理科主任約570人の回答)

 【写真〔省略〕説明】
 東京都杉並区では、多くの区立小学校が設備のそろった区立科学館でコイの解剖をしている=杉並区立若杉小提供
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ここには興味深いデータがいろいろ紹介されています。

まず、わりと最近でも(といっても10年前ですが)、6%の小学校が、毎年解剖の授業を行っており、「したりしなかったり」という学校を含めると、2割強の学校で解剖が行われていたという事実―。これは結構多いような気もしますが、でも、これは家庭科で魚の下ろし方を習うのと兼用…という学校も含んでの数字でしょうから、やっぱり少ないは少ないです。

そして、この記事で知った重要な新事実。

それは、魚の解剖が普及したきっかけは、1958年(昭和33)の小学校の『学習指導要領』に付属する「指導書」に、該当事項が盛り込まれたことであり、同じくカエルの方も、同時期の(記事は正確な年代を挙げていませんが1960年代)中学校の『学習指導要領』に明記されたことが普及の原因となった…ということです。

したがって、この連載の第1回で、「これまで文科省が公式に「解剖をしろ」とも「するな」とも通達した形跡はなく、ある年を境として、全国一斉にパッと切り替わったわけではありません。」と書いたのは不正確で、廃止の方はともかく、その普及については、制度的な裏付けがあったことになります。(当時、先生を対象にした解剖講習会が盛んに開かれたというのも、興味深いです。)

こうして、国立教育政策研究所(当時)の鳩貝氏が総括したように、戦後の解剖授業のピークは1960年代~70年代(昭和35年~55年)であり、その後は減少傾向に歯止めがかからずに推移…という概況をたどったわけです。

   ★

ところで、上で引用した2つの記事の中間、平成10年(1998)には、以下のような珍妙な「事件」も報じられています。

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毎日新聞(1998年12月17日 大阪版夕刊)
東大阪市の男性教諭、児童の目の前でネコの死体解剖

 東大阪市立小学校3年担任の男性教諭(47)が理科の授業で、ネコの死体を解剖して見せ、児童が泣き出したり、気分が悪くなるなどのショックを受けていたことが17日、分かった。同校は「あってはならないこと」として教諭に注意。教諭も「軽率だった」と反省しているという。

 同校や市教委によると、11月12日、学校近くの通学路で車にひかれたとみられるネコの死体が見つかり、市の環境事業所が引き取りに来るまで、この教諭が保管することになった。

 教諭は翌日午前、動物の体のしくみを教える授業の一環として、理科室でカッターナイフでネコを解剖し、内臓を取り出して児童に見せたという。保護者の抗議で学校側が知った。

 教諭は生物を得意としており、「授業に役立てようと考えた」と話しているという。校長は「子供たちは残酷に感じたと思う。教諭を厳しく指導した」と言い、市教委指導室は「同様のことがないよう研修などで徹底したい」としている。
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この教諭は、別に猟奇な先生ではなく、むしろ地元の教育研究発表会なんかには率先して参加するタイプの先生だったんじゃないでしょうか。そして、1998年という年を考えると、当時好評を博していた、「ゲッチョ先生」こと盛口満氏の一連の著作に触発されて、「子どもたちに生物のリアルな姿を伝えたい」と考え、こういう挙に出た可能性もあります。

私は何となく憎めないものを感じますが、さすがに小学3年生の児童を相手に、ネコの解剖は、無理がありました。まあ、事の是非はさておき、解剖授業衰退期に起きた奇妙なエピソードとして、ここに紹介しておきます。


(次回、この話題をめぐる落穂拾いをして、この項完結予定)

コメント

_ S.U ― 2017年06月18日 11時09分43秒

本当に解剖授業は減ってしまったのですね。私はカエルは調理したものの解剖授業で内臓が動いているのを見るのはやはりいやでした。でも、これは理科の授業として習わないといけないものだと思ってがまんしましたので、最近やめようと言う声が出たからやめた、というようないいかげんなことならちょっと納得がいきません。

 理科教育として解剖を見た場合、なかなか難しい問題を含んでいると思います。道徳的な観点が様々であることは理解しますが、いずれにしても、医療、救命、老人介護などの仕事につく人においては、命の終末が日常でそれから逃避できないわけですから、そんなに深刻に考えなくても、グループ学習の選択参加くらいで解剖授業をし、人それぞれの価値の体感ができれば良いのではないかと思います。理科的観点でも、生命の貴重さと死の日常性が両立していることを理解することが重要だと思います。

 動物愛護の観点も重要ですが、野生生物についていうならば、今まで農薬や人為的な環境の変化でカエルやタニシや昆虫が減ってきたことをどう考えるのか、それがいいことだったか悪いことだったかは別にして、彼らは人間のせいで生きていけなくなって心ならずも減少してしまったことは事実です。そちらをどう考えるかのほうがさらに重要なことのように思います。

_ S.U ― 2017年06月18日 11時18分54秒

前のスレッドでいただいたアイデアについてコメントをするのを落としていました。

 自分の体内が見られればいいですね。
 かつて、学校用の簡易X線透視装置を人体に用いて大問題になったことがありましたので(御ブログで話題になったように思います)、使うから超音波エコーでしょうね。あれは、学校で使えるくらいの価格なのでしょうか。また、授業で生徒に対して使うことには、多少、法律、人権上の問題があるかも知れませんので、ネコくらいが無難かもしれません。

_ 玉青 ― 2017年06月19日 21時59分25秒

>なかなか難しい問題

本当に難しいですね。
ただ、小学校の理科であっても、最先端の科学と倫理をめぐる問題と同種の問題が、そこについて回るということは、子供たちにぜひ伝えたいところです。

そして、解剖の授業を行うにせよ、行なわないにせよ、S.Uさんが挙げられた問題も含めて、こうした問題は、ぜひ子供たち自身に考えてもらいたいです。そして、これは私の趣味なのですが、変に答をまとめたりせず、「その答は先生にも分からないし、古今の偉い学者たちの間でも、答は分かれているのだ。おそらく永遠に答は出ないかもしれない。でも、答の出ない問題だからといって、考えなくていいわけではないんだよ。」と、授業の最後に付け加えてほしい気がします。

なお、実際の教室運営に関していえば、今日のアメリカの例もそうですが、解剖実習に関する選択制の導入がカギかもしれませんね。

_ S.U ― 2017年06月20日 06時31分31秒

 子どもが謎に思うことが大人にとっても同様に謎である、ということを教えるのは、子どもにおいて、精神の悩みの癒しになるだけでなく、それを希望に変えるほどの力を持っているように思います。

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