「鉱石倶楽部」の会員章(前編) ― 2017年08月12日 16時08分25秒
あまり意味がないとは思いながら、つい集めてしまうものがあります。
例えば以前、鉱物クラブやミネラル・ショーのバッジ類を盛んに集めていました。
それは既に箱一杯で、これ以上増えることもないでしょうが、なぜ鉱物そのものではなく、バッジに執着したかといえば、それによって長野まゆみさんの『鉱石倶楽部』の世界に、ちょっとでも近づけるような気がしたからです。
「鉱石倶楽部」は、長野さんの鉱物エッセイのタイトルであり、また同氏の小説『天体議会』に登場する、博物標本・理化学器材を扱う店舗の名前でもあります。
もちろん、見も知らぬ鉱物クラブのバッジを胸に付けたからといって、「鉱石倶楽部」のドアを開けることはできませんが、少なくとも、現実世界に「鉱石倶楽部」を名乗る団体がある――しかも、あるところには山のようにある――ことを目の当たりにするだけでも、心を慰められる気がして、せっせとバッジ集めに興じたのでした。
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手元にあるのは、そんなに古いものではなくて、1970年代以降の、主にアメリカの団体やイベントに関係するものです(ただし、団体の創設自体は、それ以前に遡るところが多いです)。
現実の「鉱石倶楽部」の名称は様々です。
たぶん、「宝石・鉱物協会 Gem & Mineral Society」というのが最も一般的で、他にも興味の主眼によって、「岩石クラブ Rock Club」もあれば、「宝飾クラブ Lapidary Club」もあり、「鉱物学徒 Mineralogist」の上品なグループがあるかと思えば、「ロックハウンド(「虫屋」や「星屋」と並ぶ「石屋」、岩石コレクターの意) Rockhound」を自称するマニア集団もある――といった具合です。
日本でも、ここ20年間で、鉱物趣味はすっかりポピュラーになりましたが(長野さんの功績も大きいです)、アメリカのそれは、歴史的にも、愛好家の層の厚みにおいても、やはり一日の長ありと言うべきでしょう。
ただ、こうした趣味の団体は、今や汎世界的に、会員の高齢化と新入会員の減少に悩んでいるらしく、アメリカの鉱物クラブも例外ではないと想像します(本当のところは、聞いたことがないので分かりません)。
となると、これらのバッジ類も、既になにがしか歴史の影を帯びつつあり、さらにそのデザインからは、「鉱物趣味の徒のセルフイメージ」が読み取れるので、たかがバッジとはいえ、鉱物趣味史を考える上で、なかなか貴重な資料と言えなくもない…という風に、これを書きながら思いました。
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バッジの中で目につく一群として、当然のごとく結晶をデザインしたものがあります。
日本の我々が「鉱物クラブ」と聞いて真っ先にイメージするのも、こうした形象でしょう。
一方、ちょっと日本と違うかな?と思えるのは、鉱物趣味と宝石趣味の距離が近い(むしろ一体化している)ので、水晶の群晶的形態と並んで、ブリリアントカットを施したダイヤのようなイメージが、頻繁に登場することです。
そして、さらにアメリカ的と思えるのは…
(ここでちょっと勿体ぶって、後編に続く)
コメント
_ S.U ― 2017年08月13日 07時18分20秒
_ 玉青 ― 2017年08月13日 11時08分40秒
鉱物趣味と宝石趣味が一致していたというと、賢治さんがまさにそうでしたね。
一方、タルホ少年は最初から鉱物趣味一辺倒でした。それを思うと、日本の鉱物趣味もなかなか一括りにはできません。
改めて思うに、彼らにとっての鉱物や宝石は、ある種の存在論的超越の契機といいますか、「自分から遠い存在」であればあるほど有難く、また憧れが募るようなところがあったと想像します。これは多分今の我々にも共通する思いでしょう。
ここで大胆に推測すると、より自然に近い環境で日々を送った賢治さんにとっては、色鮮やかな宝石にも一種遠い憧れを誘うところがあり、他方、町中で人にもまれて暮らした足穂氏にとって、宝石はそこから脱却すべき世界の象徴のように感じられた…ということかもしれません。賢治さんにとって「都」は憧れであったのに、足穂にとっては現実であり、日常であったという、環境の違いも大きいのでしょう。(それと、賢治さんには、仏臭い七宝賛嘆の思いも混じっていましたね。)
ひるがえって今の我々は、こと鉱物・宝石に関しては、より足穂的感性に接近しており、それだけ自然から切り離されているということではないでしょうか。
一方、タルホ少年は最初から鉱物趣味一辺倒でした。それを思うと、日本の鉱物趣味もなかなか一括りにはできません。
改めて思うに、彼らにとっての鉱物や宝石は、ある種の存在論的超越の契機といいますか、「自分から遠い存在」であればあるほど有難く、また憧れが募るようなところがあったと想像します。これは多分今の我々にも共通する思いでしょう。
ここで大胆に推測すると、より自然に近い環境で日々を送った賢治さんにとっては、色鮮やかな宝石にも一種遠い憧れを誘うところがあり、他方、町中で人にもまれて暮らした足穂氏にとって、宝石はそこから脱却すべき世界の象徴のように感じられた…ということかもしれません。賢治さんにとって「都」は憧れであったのに、足穂にとっては現実であり、日常であったという、環境の違いも大きいのでしょう。(それと、賢治さんには、仏臭い七宝賛嘆の思いも混じっていましたね。)
ひるがえって今の我々は、こと鉱物・宝石に関しては、より足穂的感性に接近しており、それだけ自然から切り離されているということではないでしょうか。
_ S.U ― 2017年08月13日 18時21分46秒
生まれ育ちにより、また時代により、鉱物趣味も様々に変化するのですね。たぶん、現代の日本人の自然観は賢治とも足穂ともかなり変わってきているでしょう。彼らは、少なくとも、多くの地方で農林業がなりたたなくなって、耕地や山林がまた「自然」のままに放置されるようになるとは思わなかったでしょう。
鉱物にしてみたら瞬きにも満たない時間に、鉱物趣味はどっと変わってしまっていることでしょうね。
鉱物にしてみたら瞬きにも満たない時間に、鉱物趣味はどっと変わってしまっていることでしょうね。
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確かに日本とアメリカでこういうところは違うかも、というのはわからないでもないです。それでも、日本でも宝石趣味が鉱物趣味の入門になるということはあるんじゃないでしょうか。
日本では、宝石から鉱物全般に関心が広がると、宝石のほうは分離されてしまうという傾向があるのかもしれません。自然造形と人工的琢磨に関係について感覚の違いのようなものがあるのかもしれないと思います。