土星堂だより2017年08月17日 21時25分45秒



鳴り物入りでスタートした土星堂活版舎ですが、ご多分に漏れず、昨今の出版不況で、経営難にあえいでいます。しかも、会社の印刷技術がちっとも向上しないせいで、かしわばやし方面からも注文がさっぱり入りません。

それでも、時には新たに印刷ブロックを買い足して、顧客のニーズに応えようと努力はしているのです。


最近も、紙面を華やかに彩る銀河の飾罫を導入しました。

(何となく星条旗っぽいのは、アメリカで使われていたせいかも。)

これさえあれば、美しい星の詞がいっそう美しくなること疑いなしです。
それなのに、なぜ?…と、活版舎のあるじは、今日も窓から首を伸ばして、お客が来るのを日がな待っているのです。

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今回使用したインクは、星の詞に最適の(株)ツキネコ製 「ミッドナイト・ブルー」

惑星X、迫る2017年08月18日 22時51分25秒

土星堂の営業成績挽回も重要な問題ですが、天文古玩的には、下の品にいっそう興味を覚えます。


長さ12cm、つまりちょうどガラケーぐらいの板に、金属板を留めた印刷ブロック。


側面から見ると、エッチングを施した薄い銅板が、アンチモニーの厚板に圧着されているのが分かります。

で、肝心の絵柄なんですが、この金属板は縦長の台形をしていて、上から下へと徐々に絵柄が大きくなっています。


てっぺんにある最も小さな図と「18」の文字。


次いで「28」となり…


さらに「36」を経て…


最後の「42」に至ります。
いずれも、円の内部にモヤモヤした模様が描かれ、これが球体の表面であることを窺わせます。

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果たしてこれは何なのか?
私の目には、いかにも時間経過に伴う惑星の見え方の変化を示した図に見えます。

でも、もしこれが火星なら、大陸や極冠がもっと明瞭に画かれても良いはずです(時代によっては、さらに運河のネットワークが刻まれて然るべきところ)。

このモヤモヤした取り留めのない感じは、むしろ金星に近い印象ですが、金星のような内惑星だったら、見かけの大きさの変化とともに、月のような満ち欠けが伴うはずです。

それなら、いっそ天王星海王星なのか?
そもそも、各数字の意味は何か?日数か、年数か、それとも別の何かか?
――すべては謎に包まれています。

ここはいっそ、「かつて地球に急接近した、惑星Xのスケッチ」ということにしておきましょう。

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今後の手がかりとして、<ネガポジ反転 & 左右反転>の画像も、ついでに掲げておきます。





答がお分かりの方、ご教示どうぞよろしくお願いします。

洋墨に浮かぶムーン・フェイズ2017年08月25日 10時32分45秒

この一週間は、いろいろ波があって、記事が書けませんでした。
そして今日はようやく遅めの夏休みです。

そんなバタバタの中、ゆうべは日没がずいぶん早くなったことに気付きました。
あとひと月もしないうちに秋分ですから、それも当然です。今年の夏も永遠に過ぎ去りつつあるなあ…と、今ツクツクボウシの声を聞きながら思います。

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さて、土星堂活版舎が最近仕入れた中で、出色の品がこれ。


月の満ち欠けを彫った印刷ブロックのセットです。
各ブロックの版面サイズは21×34mmですから、小さな消しゴムぐらいの大きさ。


この品を最初写真で見たとき、鋳造した金属板を板に貼り付けてあるのかと思いましたが、それは面取りした辺縁部に光が反射してそう見えただけで、実際には「一木造り」でした。

(版面に浮かんだ木目と陽刻された満月)

つまり、これは金属版ではなく、木口(こぐち)木版で作られた印刷ブロックです。
版画技法としての木口木版は、もちろん今でもありますが、それが商業印刷に使われたのは、せいぜい1930年代までらしいので、この月たちもそれ以前のものでしょう。


自信に満ちた新月。



そして、不安気な三日月と、悲嘆に暮れる有明月(注)

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この文句なしにタルホチックな品、秋の夜長と共に活躍の機会が増えるといいのですが、今や土星堂の経営状態は、上の有明月のような感じなので、油断はできません。


【注】 本当は「ファースト・クウォーター」は上弦の月、「ラスト・クウォーター」は下弦の月で、それぞれ半月の姿ですから、この絵柄はちょっとおかしいのですが、ここでは絵柄の妙に免じて、三日月・有明月ということにしておきます。

マッチョな天文学者2017年08月26日 09時34分12秒

昔々の天文学者、たとえば紀元2世紀のプトレマイオスの姿というのは、はるか後世の想像図を通じて漠然とイメージされるだけで、実際どんな姿恰好をしていたかは分からないものだ…と思っていました。

(16世紀後半に本の挿絵として描かれたプトレマイオス。ウィキペディアより)

でも、それは私が無知なだけで、実は古代ローマ時代の天文学者の姿を描いた、同時代の絵画があることを偶然知りました。

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それはイギリス南部の島・ワイト島にあって、昔ブリタニアがローマ領だった頃、この島に建てられたヴィラを彩るモザイク画として残されたものです。

このヴィラの遺構は、19世紀に偶然発見されるまで土中にあったので、保存状態も良く、現在では遺跡全体を建物で覆った博物館ができています。
 
(Brading Roman Villa。 公式サイトはhttp://www.bradingromanvilla.org.uk/index.php) 
  

で、その一角に問題の天文学者像があります。


傍らに置かれた天球儀や水盤のような器具も目を引きますし、アーミラリースフィアらしきものを指示棒で指しながら、何やら思案に暮れている様子も興味深いです。

そして、いかにも古代ローマの人らしく、もろ肌脱ぎで、妙に筋肉質なところが、私にとっては目から鱗。これだけでもルネサンスの青白い天文学者とは、ずいぶんイメージが違いますし、ましてや、星の縫取り模様のマントを着て、三角のとんがり帽子をかぶった「お伽の国の天文学者」なんかとは、彼は全然異質の存在です。

まあ、この絵のモデルがプトレマイオスというわけでもありませんし、プトレマイオスが、こんなふうに筋肉モリモリだったかどうかは分かりませんが、その知的活動が身体的強壮に裏打ちされたものであることは確かでしょう。

そして、頑健な人は、得てして自分を中心に世界が回っているように思うものだ…というのは冗談ですが、健康状態によって世界の見え方が変わるのは、たしかに経験的事実です。

お伽の国の天文学者2017年08月27日 13時05分48秒

「お伽の国の天文学者」と聞くと、19世紀末に出た、ロリダン神父の『アストロノミー・ピットレスク』の表紙をすぐに思い出します。

(背景が自然主義)

この立派なフォリオサイズの本の表紙をかざる天文学者。


お伽チックな街の、お伽チックな塔から、星を眺める姿を描いていますが、もちろんすべては空想世界に属するイメージです。

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現代の我々は19世紀フランスと聞くと、何となくベルエポックなロマンを連想しますけれど、19世紀の人は19世紀の人で、「つまらない日常」を逃れるべく、よその時代に夢を託すことに必死で、その具体例がこの表紙絵なのだと思います。


19世紀末のフランス人にとって、アンシャン・レジームは既に遠い過去であり、ましてや中世ロマンの世界は、遠い遠い歴史の霧に包まれた世界です。
逆に、そういう遠い世界だからこそ、自由奔放な夢を託すことができたわけで、これは現代の日本人が、不思議な「戦国ロマン」を語るのとパラレルな話だと思います。

また、仮に中世の吟遊詩人の時代に遡ったところで、そこで語られるアーサー王の物語は、彼らよりさらに500年以上も昔のお話なのですから、結局どこまで行ってもきりのない、逃げ水のような話です。

現実逃避というのは、いつの世でも起こり得るものです。
このブログにしたって、その例に漏れません。むしろ、「現実以外の現実」を生み出せるところが、人間の特殊性でもあるのでしょう。


【おまけ】

(本書のタイトルページ)

この本は純然たる天文学入門書ですが、カトリックの聖アウグスチノ会と、カトリック系のデクレー=ド・ブルーヴェル出版が組んで発行したというのが、ちょっと変わっています。タイトルページには刊年の記載がありませんが、ネットでは1893年刊という情報を目にしました。

なお、この本は「ピットレスク(英語のピクチャレスク)」を謳っていますが、ビジュアル的には、ところどころ白黒の挿絵が載ってるだけなので、購入の際は一考あって然るべきだと、老婆心ながら付け加えたいと思います。(こういう「表紙倒れ」の天文古書はたくさんあります。)

星座神話のかけら2017年08月28日 07時06分19秒

一昨日の記事を書いた際、下の幻灯スライドのことを連想しました。


これは「ギリシャ時代のコインに見られる星座の姿」を写したもので、製作者は幻灯メーカーのニュートン社(ロンドン)。


キャプションを見ると、元はイギリスの科学雑誌『ナレッジ Knowledge』(1881~1918)に掲載された図です(同誌は1885年に週刊から月刊になり、巻号表示が変更されたため、以後「New series」と称する由)。

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これが一昨日のモザイク画とどう結びつくかと云えば、ギリシャ・ローマの天文知識を、生の形で(つまり後世のフィルターを通さずに)知る方法はないか?…という問題意識において、共通するものがあるからです。

我々は空を見上げて、ギリシャ由来の星座神話を気軽に語りますが、星座絵でおなじみの彼らの姿は、本当にギリシャ人たちが思い描いた姿と同じものなのか?

まあ、この点は有名な「ファルネーゼのアトラス像」なんかを見れば、少なくともローマ時代には、今の星座絵と同様のイメージが出来上がっていたことは確かで、それをギリシャまで遡らせても、そう大きな間違いではないのでしょう。

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とはいえ、何かもっと生々しい、リアルな資料はないか…?
そこで、コインの出番となるのです。


その表面に浮き出ているのは、星座絵そのものではないにしろ、確かに昔のギリシャの人が思い描いたペガサスであり、ヘラクレスであり、牡牛や牡羊などの姿です。

しかも、その気になれば、それらは現代の貨幣と交換することだってできるのです。
古代ギリシャの遺物を手にするのは、なかなか容易なことではないでしょうが、コインは例外です。絶対量が多いですから、マーケットには今も当時の古銭がたくさん流通しています。

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天文を中心に、『理科趣味』の雅致を、モノにこだわって嘆賞するサイト」の管理人であるところの私が、大昔の星座神話の欠片に惹かれるのは自然です。実際、購入する寸前までいきました。

でも、ここで「待てよ…」という内なる声が聞こえたのは、我ながら感心。
考えてみると、コインというのは、「なんでも鑑定団」でも、それ専門の鑑定士が登場するぐらい特殊な世界ですから、やみくもに突進するのは危険です。

たとえば下のサイトを見ると、粗悪なものから精巧なものまで、贋物コインの実例が山のように紹介されています。

■Calgary Coin: Types of Fake Ancient Coins

これを見ると、世の中に本物の古銭はないような気すらしてきます。実際には、やっぱり本物だって多いのでしょうが、いずれにしても、ここは少し慎重にいくことにします。(上のページの筆者、Robert Kokotailo氏も、「市場に流通しているコインの多くは本物だ。初心者にとって大事なのは、何よりも信頼のおける確かな業者を選ぶことだ」と述べています。至極常識的なアドバイスですが、これこそ古今変らぬゴールデンルールなのでしょう)。

科学の真骨頂2017年08月29日 22時11分36秒

昨日のスライドと一緒に並んでいたスライドをついでに載せます。
動物を写した古いレントゲン写真という、ちょっと変わった題材の品です。


種名は不明ですが、それぞれサンショウウオとヘビの一種。


手書きのラベルには、「フレデリック・ヨークによる歴史的写真。X線を用いた放射線写真」と書かれています。(反対側の面に貼られたオリジナル・ラベルには、「Radiographs by X-ray」と印刷されています)。

ここに出てくるフレデリック・ヨーク(Frederick York、1823-1903)というのは、息子とともにロンドンで写真販売会社を興し、19世紀後半から20世紀初めにかけて、大いに繁盛させた人物です。

彼はロンドン名所や、ロンドン動物園で暮らす動物の姿などをカメラに収め、それをキャビネ版や、大判写真、あるいはステレオ写真の形で売りさばきました。さらに、それらにまして売れたのが、写真を元にした幻灯スライドです。

1890年以降のヨーク社のスライドには、「Y字に蛇」のマークがあしらわれ、今回取り上げた2枚のスライドにも、やっぱりそのシールが貼られています。(余談ですが、以前登場した、美しい望遠鏡のスライド↓に貼られた「Cobra Series」のシールも、ヨーク社の製品であることを示すものでした。)


X線の発見は1895年。その後、X線撮影装置が開発されたのは1898年。
したがって、今回の写真も、それ以降のものということになります。
ヨーク社が、自前でX線撮影装置まで持っていたのか、あるいは装置は他所で借りたのかは不明ですが、撮影自体は、きっとヨーク社が行ったのでしょう。

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サンショウウオ(両生類)とトカゲ(爬虫類)は、一寸シルエットが似ています。
でも、その骨格はずいぶん違います。前者には、肋骨で籠状に覆われた「胸郭」が存在せず、その形状は魚の骨と大差ありません。これは、両生類では胸郭を用いた肺呼吸が未発達なことと関連している由。

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それにしても、こうした写真が、当時の人に与えた衝撃はどれほどのものであったか。
人びとは、まさに新時代の魔法を見る思いだったでしょう。




この発見が、当時既に盛んだった心霊ブームに新ネタを提供し、日本でも明治の末頃、学者たちを巻き込んで、透視・千里眼・念写の実験が盛んに行なわれました(当時の学者たちは、現象の背後に「京大光線」「精神線」といった仮想光線を想定しました)。ホラー小説『リング』の元ネタとなったのもそれです。

更にその後、X線はいっとき「科学おもちゃ」のような扱いを受けた…というのは、以下で触れました。

■怪光線現る…理科室のX線


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【参考】

フレデリック・ヨークと彼の商売については、以下のページを参照しました。

■The Magic Lantern Society>The Lantern Alphabet>York and Son の項

■Historic Camera>History Librarium>Frederick York, Photographer の項

八月尽2017年08月31日 18時03分40秒

八月尽(はちがつじん)。

8月の終わりを示す俳句の季語です。私がよく引く山本健吉氏(編)の歳時記には、「弥生尽、九月尽などに準じて、近ごろ詠まれることが多い。暑中休暇や避暑期が終るので、この語に特別の感慨があるのである」と解説されています。

まさに「特別の感慨」でこの日を迎えた少年少女も多いでしょう。
私も子供の頃の特別の感慨が、鮮やかに甦ります。

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山本氏は「八月尽」の例句として、以下の句を挙げています。

  八月尽の赤い夕日と白い月  中村草田男

8月最後の一日がまさに暮れようとするとき、作者の目に映った光景は、鮮やかな朱の太陽と、白光をまとった月でした。

ありふれた光景といえば、たしかにそのとおりです。
でも、ひとつの季節の区切りに際して、その至極ありふれた光景が、何か常以上の意味を持って作者の胸に迫ったのでしょう。

そして、その光景がありふれているのは、天体が常に変わらず空をめぐっているからに他ならず、ふと立ち止まって考えれば、そんな風に過去から未来にわたって、天体が永劫ぐるぐる空を回り続けているのは、やっぱり不思議なことです。

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何だか要領を得ませんが、この世界は不思議に満ちており、旅を続けるに値する場所だと、自分はおそらく言いたいのです。「あの赤い夕陽と白い月を見るだけでも、それは分かるじゃないか」と、見も知らぬ人に説いて回りたいのです。

毎年、9月1日に命を絶つ若者が、その前後に比べて有意に多いと聞き、そんなことを思いました。