海洋気象台、地震に立ち向かう(その3)2017年09月03日 07時32分27秒

くだくだしいことは省き、以下、報告書に付属する多数の図表のうちのいくつかを転載し、彼らの熱気の一端を味わってみます。


いろいろな考察の出発点となる、関東周辺の地質概略図
時代の古いものから並べると、茶色は安山岩層、黄色は第三紀層、黄緑は洪積層、そして白は沖積層です。大雑把に言えば、古いものほどガッシリした地盤ということになります。


そこに被災状況を重ねてみます。
赤い矢印は、最大震動時の揺れの方向、赤く囲まれた地域は、家屋の倒壊が全体の半数以上に及んだ地域です。


震度の詳細分布。色の濃いところほど揺れが大きかった地域です。
相模湾に描かれた赤い楕円は、本震の震源域を示し、灰青のドットは余震の震源地です。

現代と同様、大正時代の地震学者も、こんなふうに得られる限りのデータを縦にしたり、横にしたり、その分析に心血を注いだのでした。

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著者の須田は、さらに地震の成因論についても筆を進め、それを主要な(principal)要因と、副次的・偶発的な(occasional)要因に分けて論じています。

前者については、地下での歪みの段階的蓄積と、それが相対的に弱い部位で解放されるという、地震の基礎的な理解に関わるもので、最初に掲げた地質図を議論の足掛かりとしています。

後者は、地震の直接的な「引き金」となる要因に関する所論で、地磁気や他の天体の影響、あるいは潮位や気圧の変化に言及していますが、いかにも気象台らしく、特に最後の2つ、すなわち潮位変化気圧変化については、データを元に詳しい検討を加えています。(天体の影響が気になりますが、それについては、同時代の寺田寅彦が太陽活動と地震の関係について論じている事実に触れている程度です。)

(地震発生前後の気圧変化の詳細。8月31日~9月2日)

(地震発生後の気圧推移。9月1日~9月30日)

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前回も述べたように、気象台員の活動は机上の作業にとどまらず、本報告の筆者・須田皖次ら3名の台員は、直接被災地入りして、データの収集に努めました。この報告には、そのときの写真も多く収められています。これまた一例にすぎませんが、そのいくつかを挙げてみます。

彼らは悲惨な状況に驚きつつ、冷静に観察を続けました。


その視線は、碑石の倒壊方向や、巨大な地割れの走向、


線路の屈曲に向けられ、さらには鉄橋橋脚の破断面のような微妙な点も見逃しませんでした。


そして、いかにも専門家だな…と頷かれるのは、「何もなかったもの」に注目していることです。すなわち、甚大な被害の出た地域にあって被害を免れた建物は、なぜ被害を免れたのか?という視点です。上の写真は、頑丈な砂岩の上に直接建てられた民家や、伝統的な多宝塔建築が、ほとんど無傷であることに注意を向けています。

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陸の都・東京の危機に駆けつけた、海の都・神戸の研究者たち。
関東大震災については、既に多くのことが語られていると思いますが、それらに付け加えるべく、彼らの活躍の一端を見てみました。



【付記】

関連する話題として、かつて3.11直後に、以下のような記事を書きました。
震災復興の一環として、東京・横浜全域の地質調査を徹底的に行った、地質学者集団の活躍を紹介する内容です。

■帝都復興土竜隊(ていとふっこうどりゅうたい)