フラマリオンの視界 ― 2017年10月02日 21時38分46秒
フランスにおける天文趣味の総元締め――日本でいえば野尻抱影と山本一清を足したような存在――である、カミーユ・フラマリオン(Camille Flammarion、1842-1925)については、これまで何度も記事にしました。
パリ南郊、ジュヴィジーの町に立つ、彼の私設天文台についても同様です。
(注: 以前の記事では「ジュヴィシー」と書きましたが、「ジュヴィジー」と濁る方が正しいらしいので、以下ジュヴィジーとします。)
古い順に挙げると以下の通りで、種々の絵葉書を通して、その偉容を眺めたのでした。
■フラマリオン天文台
■フラマリオンとジュヴィシー天文台
■昔日のジュヴィシー天文台
■ジュヴィシー、夜
でも、フラマリオンがそこで目にした星空は、果たしてどんなものだったのでしょう?
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先日、ジュヴィジーで撮られた天体写真を見つけました。
1908年に接近したモアハウス彗星(C/1908 R1)の撮影画像を、手製のステレオ写真に仕立てた、ちょっと珍しい品です。
(「Photographie Stéréoscopique de la Comète Morehouse 1908」)
モアハウス彗星は、尾が複雑に分岐し、その姿を刻々と変えたことで知られます。
暗く、動きの速い彗星を追尾したため、背景の星像が流れたのでしょうが、これはどれぐらい露出に時間をかけたものでしょうか。
消えかかっていますが、左下に「Observatoire de Juvisy」の名が見えます。
右下は撮影者、またはステレオ写真の製作者の名だと思いますが、はっきり読み取れません。少なくとも「フラマリオン」ではなく、彼の助手あたりではないかと思います。
【10月3日付記】
コメント欄で、HN「パリの暇人」さんから、この名はフラマリオンの下、ジュヴィジーで観測を行なった天文家、Ferdinand Quénissetであることを教えていただきました。
英語版Wikipediaの記述によれば、Quénisset(ケニセと読むのでしょうか)は、1892年~93年と1906年~51年の両度にわたって――すなわちフラマリオンの死後も引き続き――ジュヴィジーで観測に当り、多くの写真やスケッチを残しました。その功績を讃えて、現在、火星には彼の名から採ったクレーターがあるそうです。
(1930年代頃の米・キーストーン社製ステレオ写真)
アメリカのヤーキス天文台で撮影された写真と比べると、彗星の細部の表現や、背景の星像の振れ幅に、両天文台の機材のスペック差が出ているようで興味深いです(ジュヴィジーの主力機材は口径24cm、対するヤーキスのそれは口径101cmです)。
口径24cmは決して小さな望遠鏡ではありませんが、アメリカの巨人望遠鏡に比べれば、まるで大人と子供です。でも、フラマリオンは、それを思いのままに使える自由と、何と言っても有り余るほどの想像力に恵まれていました。
フラマリオンはやっぱり幸せな人だった…と何度でも思います。
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