「星座早見表」のこと(附・梶井基次郎の見た星) ― 2017年10月04日 21時21分36秒
月さやかなり。
枝野氏の曇りなき決断を歓迎し、支持します。
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さて、本題です。
今さらですが、「星座早見」というのがありますね。あるいは「星座早見盤」とも。
その一方で「星座早見表」という言い方もあって、それを耳にする度に、「あれはどう見ても‘表’じゃないだろう」と、些細な点がこれまで気になっていました。
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「年齢早見表」とか、「料金早見表」とか、はたまた「麻雀点数早見表」とか、「○○早見表」と称するものは世間に多いので、「星座早見表」もそれに引きずられて生まれた名称だろうと思うのですが、一体いつからある言い回しなのか?…と思って、Googleの書籍検索に当ってみました。
すると、長谷川誠也(編)『新修百科大辞典:全』(博文館、1934)という、戦前の辞典にも堂々と出ているのを発見。
辞典に載るぐらいですから、これは半ば公に認められた表現といってよく、今さらやかましく「言葉とがめ」をするには及ばないと思い直しました。
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そもそも、「表」という字を漢和辞典で引くと、「形声。もと、衣と、音符毛とから成り、下着の上に着てひらひらする「うわぎ」、ひいて「おもて」「あらわす」意を表す」と書かれていました。すなわち「表」の原義は「アウターウェア」で、そこから「公にする」「明白にする」といった意味が生じ、さらに転じて「めじるし」「文書」の意味を持つに至った…というわけです。
どうも「表」というと、「図(Figure)」に対する「表(Table)」、すなわち数字が縦横に並んだエクセルシートのようなものをイメージするため、そこに違和感があったのですが、「表」という字は、本来もっと意味が広くて、例えば「儀表」といえば「お手本となる規則」、「時表」といえば「日時計とするために立てた石柱」の意になります。
とすれば、「星座早見表」も、「星座をすばやく見つけ出すための目印」といった程度の意味に取ればいいのかもしれません。
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ところで、グーグルの書籍検索は、上記の辞典よりも、さらに古い用例も教えてくれます。
すなわち、梶井基次郎の短編「冬の日」。
昭和2年(1927)に発表された作品です。
内容は、結核で肺を病んだ青年の、暗い倦怠に彩られた心象を延々と描いた私小説風の作品です(梶井自身も結核を患っており、本作発表の5年後(昭和7年)に没しています)。
その中に、次の一節があります。
「彼が部屋で感覚する夜は、昨夜も一昨夜もおそらくは明晩もない、病院の廊下のように長く続いた夜だった。そこでは古い生活は死のような空気のなかで停止していた。思想は書棚を埋める壁土にしか過ぎなかった。壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたまま埃ほこりをかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋根瓦には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほーっと明るむのだった。」
そこに登場する星座早見は、主人公が病苦に侵される前の「古い生活」の象徴です。新鮮な思想に憧れ、遥かな星空を眺めた、かつての若者らしい生気は失われ、深更に目が覚めても、今や天上の星よりも、地上の霜だけが慰めだ…というのです。
分かるような気もします。でも、いかにも切ないですね。
当時、いかに多くの若者が、結核という国民病で斃れたかを思い起こすと、改めて慄然とします(その後、さらに多くの若者が戦で命を落としたことについても又然り)。
10月20何日、午前3時。
かつて作者・梶井基次郎が見たであろう星空。
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上の写真は、いずれも三省堂版「星座早見」(日本天文学会編)の一部。
明治40年(1907)に出た後、昭和に至るまで版を重ねたロングセラーで、当時商品化されていた星座早見は、三省堂版のみですから、梶井が見たのもきっとこれでしょう。
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