病膏肓に入る2017年10月15日 20時49分48秒

仏文学者にして古書蒐集家である、鹿島茂氏のことは、以前も触れました。

鹿島氏のフィールドは、主に19~20世紀初頭のフランス古書で、当時の文学や文壇の話題に始まり、さらにはパリを中心とする風俗史全般へとその興味関心は広がり、今やその分野の蔵書に関しては、質・量ともに内外随一である…と聞き及びます。

ただ、その鹿島氏が最近――というよりも随分前から、古書以外にも、いろいろコレクションに励まれていて、その戦果が、『病膏肓(やまいこうこう)に入る―鹿島茂の何でもコレクション』という、かなりえげつないタイトルの本になる程だとは、つい最近まで知らずにいました。そして、本を手に取って、「うーむ、これは…」と、改めて唸ったのでした。


■鹿島 茂
 『病膏肓(やまいこうこう)に入る―鹿島茂の何でもコレクション』
 生活の友社、2017

元は『アートコレクターズ』という雑誌に連載されていた文章をまとめたもので、連載自体は、2011~15年にかけてだそうですから、結構前のことです。

掲載誌の性格によるのか、ここで開陳されているアイテムは、塑像や油彩画、版画など、いわゆる「アート」に分類される品が多いのですが、それだけにとどまらず、空き缶、灰皿、木靴、鉄道模型、ミニカー、人形、はては「世界の独裁者コレクション」のような、もはやフランスともパリとも全く関係ない品も多く登場しており、文字どおり病膏肓に入る感じが濃いです。

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で、私が何に対して「うーむ、これは…」と思ったかといえば、鹿島氏は、それら雑多のものを蒐集するにあたって、いろいろ「大義」を述べておられるのですが、それを読みながら、何となく背筋に冷たいものが走ったからです。

氏曰く、“これは今度の○○展の肉付けに不可欠のモノだ。これはあの小説に登場する重要なアイテムで、あの小説好きならぜひ手元に置かねば。これは今やレアな品になりつつあるが、値段はまださほどでもない。これをコレクションせずして何とする。これは見た瞬間一目ぼれだった。しかも、こっそり調べたら思わぬ掘り出し物だ。これを買わない手はない”…とか何とか。

鹿島氏はこうも述べています。「ただ、なんでも闇雲にコレクションしているかといえば、そうでもない。私なりにこだわりのあるテーマについてだけコレクションを行なっているつもりなのである」(p.18)

その言葉に、微塵も嘘は感じられません。しかし、言行がどこまで一致しているかといえば、いささか覚束ないところもあります。「要は、何でもよいのではないか…」と、この本を手にした人は思うでしょう。

もちろん、鹿島氏はそうした自身の心の動きについて、かなり自覚的な所があります。氏は本文でも「あとがき」でも、パスカルの言葉を引き合いに出しながら、「コレクターはアイテムを求めているのではない。アイテムの探索という行為を求めているのである。」と繰り返し強調しています。要は、コレクターの心を動かすのは、コレクションの対象物ではなく、むしろコレクティングという行為だ…ということでしょう。

そして、私の背中に走った冷たいものの正体は、鹿島氏の1つ1つの言葉に、あまりにも深く頷く自分がいるという、その事実に対してです。鹿島氏の述べる「大義」に対して、「何を馬鹿なことを」と、一笑に付すのが、世間の健全な常識だと思うんですが、鹿島氏の言葉に思わず身を乗り出してしまう自分に、きわめて危険なものを感じ取ったのです。

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私ができれば避けたいと思っている光景があります。
よく、「何でも鑑定団」なんかに登場する、まったく統一性のない雑多な骨董に囲まれてニコニコしている男性の図です。ご本人が満足しているのに、傍からイチャモンを付ける必要はまったくないのですが、でも、あれを見て、何となく滑稽で、物悲しい気分になる時があります。昔の遊園地にあった「鏡の部屋」で、歪んだ鏡に映る、自分のおどけた姿を見たときの気分…と言いますか。

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こんなふうに書くと、何となく殊勝な感じが漂うかもしれません。

「そうか、己の非を悔いて、これからは『何でもコレクション』はやめようと言うのだね。それは結構。天文古書なら天文古書、それだけに集中するのが賢いコレクターの道だよ。何にせよ、生活を破壊してまで、買う価値のあるモノなんて世の中にありはしないからね。当面はこれまで買った未整理品の整理に励んで、不要なものはどしどし処分するがいいさ。さあ、断捨離、断捨離。」

…でも、絶対にそうはできないことは、自分でも分かっています。
だからこそ、鹿島氏の本は危険であり、同時に慰めでもあるのです。
当分はこれを枕元に置いて、繰り返し読むことになるでしょう。

(手元の品と「鹿島コレクション」との共通点はまったくありませんが、唯一、昔の「船舶用ランプ」の項に、アーミラリー・スフィアの話題がありました。このランプはアーミラリーを応用した複数の金属環からできており、どんなに揺れてもロウソクが直立する仕組みになっているそうです。)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

幼子とは無垢な者であり、未来の象徴です。
そして無垢なるがゆえの深い叡智を感じさせます。

しかし、幼子のごとき大人というのは、いかがなものか。
幼児的万能感に捉われ、幼児的虚言を弄し、幼児的癇癪を起す者に対し、慈父慈母のごとく接することは、少なくとも私には難しいです。

やっぱり大人には大人の智慧と分別というものが自ずとありますし、是非そうあらねばなりません。