二廃人、趣味の階梯を論ず2017年11月03日 09時40分10秒

▽ よお、風邪はもういいのかい?
● やあ、キミか。ありがとう、おかげさまでこの通りさ。
▽ それは何よりだ。ところでどうしたい、沈思黙考を気取って。
● 相変わらず口が悪いね。なに、ちょっと趣味のあれこれについて考えていたのさ。
▽ 小人閑居してなんとやらだな。
● まあ、キミも暇な身のようだし、ちょっと話に付き合ってもらおうか。
▽ しょうがない、寝言の相手をしてやろう。

   ★

● こないだツイッターを見てたら、自宅の鉱物コレクションを見せ合うという話題があったじゃない?
▽ あった、あった。鉱物棚がどうこうってやつだろ?
● そう。キミ、あれを見てどう思った?
▽ いや、別に何とも思わんさ。きれいな鉱物を手元に並べて愛でようなんて、至極結構な趣味じゃないか。
● うん、そうなんだけどさ、あの先がどこに通じているのか、ふと気になった。
▽ あの先…というと?
● いや、集めてどうするのかなと。
▽ どうもせんさ。集めるのが趣味なんだから、それでいいじゃないか。

(二廃人…ではなくて、『ギリシャ語通訳』に描かれた、ホームズとワトソン博士)

● ボクも別にモノが言えるような立場じゃないけど、例えばサムネイル標本がきれいにディスプレイされているのを見ると、何だかトミカの棚を連想するんだよね。
▽ トミカねえ。
● もちろん、トミカ的に鉱物を愛でる人がいてもいいよ。鉱物の世界はトミカより間違いなく変化に富んでいるから、蒐集の喜びもいっそう大きいかもしれない。でも、「それだけ」っていうのは、どうなんだろうね。
▽ いきなり上から来る奴だな。お前さんだって、標本の醍醐味は「ズラッと感」だとか何とか言ってたじゃないか。
● うん、だからボクもそれを否定する気はないさ。ただ、ズラッと並べて、その先どうするかは、よくよく考えておかないと、後で困るような気がして。
▽ ははーん、お前さん、自分が困ってる口だな。
● 慧眼だね。

▽ で、沈思して何かひらめいたのか?
● うん。結局、トミカ的な蒐集の世界を貫いているのは、「コンプリート欲求」「レアもの至上主義」の二大原理だと思うんだ。でも、鉱物相手にコンプリート欲求を掻き立てられるのは、財布にとって危険極まりないし、鉱物の美を味わう上で、レアもの至上主義は、むしろ阻害的に働くんじゃないかな。
▽ というと?
● 一口に「鉱物の美」っていうけど、そこにはいろんな美があるよね。まず、すぐれて感覚的な美がある。つまり単純な色形の美しさだね。それを愛でる近道が「ズラッと感」さ。圧倒されるような色形の変異、鉱物たちが織り成すカレイドスコープ、そうしたものを味わうには、モノをズラッと並べて見せるのがいちばんだからね。
▽なるほど。“目も綾な”ってやつだな。

● で、その次に顔を出してくるテーマが、「どう並べるか」さ。
▽ ふむ。
● この辺は鉱物学の発展史をなぞることになるけど、昔の人も最初は多様な鉱物の、その多様性に眩惑されていたけど、だんだんその背後にある秩序や法則性を追い求めるようになったよね。いわば感覚を超えた「理」の世界さ。で、そうした秩序や法則性自体にも、燦然とした「鉱物の美」はあると思うんだ。
▽ トミカのディスプレイにだって秩序はあるだろ?
● たぶんね。でも、得てして人は単純に色・形の類似で並べたくなるけど、ここでいう秩序や法則性は、さらにその先にあるものさ。…何て言えばいいかな、ここで言う「鉱物の美」は、いわば、「図鑑美」に通じるものだよ。図鑑で隣り合う種類は、必ずしも色や形が共通するわけじゃない。でも、そこにはある法則に基く秩序があるよね。
▽ なるほど。でも、それとさっきの「レアもの至上主義が美を阻害する」っていうのは、どう関係してくるんだい?
● レアものでも、それが秩序ある配列を埋めるピースとして不可欠なら、追い求める価値は大いにあるさ。でも、中にはそういうことと関係なしに、「単にレア」というのもあるよね。たとえば昆虫標本でも、雌雄同体のアノマリーな個体とかが、往々高値を呼ぶけど、それは昆虫本来の秩序ある配列を埋めるピースじゃない。むしろ夾雑物さ。…もっとも、昆虫の発生学を研究している人にとっちゃ、そうした標本が貴重なピースになる可能性もあるし、「単にレア」かどうかは、相対的なものだけどね。
▽ 山高きが故に貴からず、だな。レアものも又レアなるがゆえに貴からず…ってわけか。

● さらにだよ、鉱物の世界の背後にある「理」が十分感得されてくると、実はズラッと並べる必要すらなくなって、ただ1個の標本を前にしただけで、そこにピンと張りつめた、研ぎ澄まされた美を感じるようになると思うんだ。
▽ 何だか神がかってきたな。
● いや、ボクもそんな境地に達したわけじゃないから、これは単なる想像だよ。でも、そこまで行くと、鉱物の美というのは、ごくありふれた鉱物にだって―いや、普遍的で、ありふれているからこそ、一層強く感じられるんじゃないかなあ。
▽ まあ、言わんとする意味は分かる。

● それにさ、キミは神がかってるとか何とか言うけど、人間と鉱物をめぐる精神史だって、ずいぶん大きなテーマだよ。まあ、こんなふうに考えてくると、アカデミックな鉱物学から文学や美術の世界まで、鉱物趣味の世界は途方もなく広いし、「集めて、並べて、終わり」ってことはないと思うんだ。もし、そこで止まっちゃったら、いかにも勿体ない気がする。
▽ コレクションは集めること自体が目的化しやすいっていうのは、その通りだろうな。

  ★

● ここで話をぐっと捻じ曲げると、天文アンティークもまさに同じだと思う。
▽ おっと、そっちに来たか。
● 天文アンティークも、ここ4~5年、すっかりイメージとして消費され尽くした感があるけど、色形の美だけで終わっちゃうパターンがけっこうあったよね。
▽ 「お星さまきらきら、金銀砂子」の世界だな。
● 本当は、古ぼけた1枚の星図だって、その時代背景や、現代天文学への道程における位置づけ、あるいは文化史的意味合いとか、いろんな切り口から語ることができると思うんだ。でも、「なんかカッコいい」「なんかきれい」で終わってる例が多いよね。

   ★

▽ ふーん…何だかんだ言って、他人の趣味に口をはさむとは、お前さんもずいぶん焼きが回ったな。
● そうかもね。星に比べて人の生はいかにも短いし、しょうがないよ。


月の少女2017年11月04日 12時43分07秒

今日は満月。

下のカードは、1870年代~1910年代に、ニューヨークのジェームズ・パイル社が大々的に販売していた「パーライン洗濯石鹸」のおまけカード。


星が「PEARLINE」の文字を描く空に、まん丸の月が浮かび、「月の少女(The Maid in the Moon)」を見つけようと誘いかけています。

「月の少女」とは何か?カードの裏面にその解説があります。


月の男(The Man in the Moon)は、皆さんもご存知でしょう。でも、パーラインの「月の少女」についてお聞きになったことはありますか?さあ、彼女を見つけてみましょう。

…というわけで、表面の説明図に戻ると、そこに問題の少女の横顔が描かれています。


これで皆さんも、月の少女が見つけられるようになりましたね。そして、いったん彼女が見つかったら、もう再び月の男を見ることはないでしょう。少女の姿は男の姿よりも、いっそう明瞭で完璧なのですから。

   ★

ときに「月の男」の方なのですが、「皆さんご存知でしょう」と言われても、あんまりご存知じゃなかったので、改めて英語版Wikipediaを見てみました。それによれば、月面に男の姿を重ねて見る方法には種々あるのだそうですが、「北半球から見たごく一般的な解釈」は、下のような見立てだそうです。


なるほど、たしかにこれなら少女の方が、まだ明瞭かもしれませんね。


さあ、今宵は「月の少女」に逢えますかどうか?

マッチをくわえた「月の男」2017年11月05日 10時21分55秒

今でもマッチはありますが、いつの間にか身辺からずいぶん遠い存在になりました。
今やコンロでもストーブでも、自動点火装置が標準装備ですから、マッチはおろか、チャッカマンや100円ライターの出番すら減っていることでしょう。

でも、こんなことで、「今の子供はマッチひとつ満足に擦れんのか!」…と、老人面して威張ってはいけないので、私のマッチ体験だって、昔の人に言わせれば、ずいぶん貧弱なものです。

というのも、私の知っているマッチは、「安全マッチ」だけだからです。
安全マッチというのは、マッチ箱の側面の紙やすりみたいな焦げ茶色の面にシュッ!とこすりつけて、初めて発火するというもので、面倒臭いかわりに安全なので、その名があります。使われる火薬の種類から、これを「赤燐(せきりん)マッチ」とも呼びます。

それ以前のマッチは黄燐(おうりん)を使った「黄燐マッチ」でした。
これはちょっとした摩擦ですぐ発火するので、専用の“紙やすり”を使う必要はなくて、壁でも靴底でも、シュッとやればパッと火が点くという、便利な代わりに、非常に危なっかしいものでした(黄燐自体、毒性があったので、その意味でも危険でした)。

マッチの発明は1820年代のことで、それから100年ばかり黄燐マッチの時代が続き、それが赤燐マッチに置き替わったのは、1920年代のことだそうです。

   ★

黄燐マッチの時代、特に1890年代から1920年代にかけて、この危険な火種を携行するために、小型の金属容器が愛用されました。英語だと「ヴェスタ・ケース(vesta case)」と呼ばれるものです。

日本の印籠や根付もそうですが、日常持ち歩く品が装身具化するのは、洋の東西を問わないことで、ヴェスタ・ケース(以下「ヴェスタ」と呼ぶことにします)も、時と共に装飾化が著しく進みました。その後、安全マッチの普及によって、ヴェスタは実用性を失いましたが、そのデザインの多様性によって、ヴェスタのコレクターは今でもずいぶん多いようです。

   ★

さて、前置きが長くなりましたが、以下本題。
ヴェスタには非常に多くのデザインがあるので、当然、月をモチーフにしたものもあります。で、これがなかなか洒落ているんですね。


上は、19世紀後半のイギリス製。
金満家は、金や銀のヴェスタを愛用しましたが、これは銅、ないし銅の比率が高い真鍮で出来ています。赤銅色をした、「あかがねの月」ですね。


リーゼントみたいな頭部をパカッと開けて、中にマッチを収納します。


後頭部というか、背中のギザギザは、マッチを擦るための工夫。


タルホ好みの有明月の向きにしたところ。
高さ5センチの小芸術。

   ★

この「月の男」のヴェスタ、他にもいろいろ変わったデザインがあるので、それらも眺めてみます。

(この項つづく)


【付記】
 ヴェスタについては、当然のことながらWikipediaに一通りの記述があって、上に書いたことは、もっぱらその受け売りです。


マッチをくわえた「月の男」(その2)2017年11月06日 07時16分32秒

昨日のつづき。


今日の「月の男」は白銀の月です。
ただし金満家ではないので、純銀ではなくて銀メッキ。



頭がパカッと開いて、中にマッチ棒が入るようになっているのは、昨日の「赤銅の月」と同じです。(大きさは昨日のより微妙に大きくて、高さは5.5cmあります。)


それにしても、この月は悲し気です。
涙さえぽろぽろ流して、見ている方が辛くなるほどです。
いったい何がそれほど悲しいのか?


でも、同情したのもつかの間、裏を返せばこんな表情。
こちらは憎々しいまでの笑みを、顔一面に浮かべています。

   ★

月は見る人の心を映す鏡なので、時に応じて楽しくも、悲しくも、優しくも、不気味にも眺められます。実際、これまで記事で取り上げたムーンマンたちの表情は、実にさまざまでした。

このヴェスタの場合、三日月(左向きの顔)は、これから満月に向う上り坂なので満面の笑顔、有明月(右向きの顔)は、徐々に身が細り、消えてなくなる寸前なので泣き顔…ということかな、と思います。

   ★

このヴェスタを正面から見たら?と気になる方もいるでしょう。


正面に回ると、こんなふうに泣き顔と笑い顔が、半々に接合されているのが分かります。まるでアシュラ男爵のようですが、確かにこの「月の男」、性格に裏表がありすぎて、いかにも曲者くさいです。

マッチをくわえた「月の男」(その3)2017年11月07日 21時09分12秒

銅の月、銀の月とくれば、次は金の月の出番です。
もちろん本当のゴールドではなく、金色に光る真鍮に過ぎませんが…


今度の月は、丸まるとした満月。


これまた頭部がふたになっていて、そこにマッチ擦り用のギザギザがあります。

ときに、1枚目の画像と見比べていただきたいですが、最初の写真ではにこやかに笑っていた月が、こうしてうつむくと、何だか悲し気な表情に見えます。

これは能面もそうで、能の世界では、こうした所作を、「面(おもて)を曇らす」と呼ぶようです(逆に仰向け気味にする所作は、「面を照らす」)。無表情の代名詞の能面ですが、こんな風にちょっと角度を変えるだけで、そこに千変万化の表情が生まれます。

   ★

さらにまた、この月のヴェスタは、いっそう劇的な変化も見せます。
こちらはまるで文楽や京劇の早変わりのようです。


上の月をくるっと裏返したところ。
昨日の銀の月と同様、この月も裏と表で、Happy face と Sad face がくるくる入れ替わります。

ひょっとしてですが、昨日の「笑顔の三日月」と「泣き顔の有明月」から類推するに、笑顔が満月で、泣き顔が新月なのかも。でも、上り調子はむしろ新月で、これから下りに向かうのが満月だから、裏表逆かもしれんぞ…とか、つい月に人生を重ねて見てしまいます。

泣く月と、


笑う月。


まあ、事の真偽は、月たち自身に話し合いで決めてもらいましょう。

   ★

実に表情豊かな月のヴェスタ・ケース。
すでに実用性を失った品だけに、いっそうそこには雅味が感じられます。

月光派としては、常に懐中に忍ばせ、月無き夜にはそっと空にかざして心を慰め、一人でグラスを傾ける折には、そっとカウンターに置いて、気の利いた話し相手を務めてもらうのがいいかもしれませんね。

宇宙の謝肉祭(その1)2017年11月11日 16時33分19秒

最近、立て続けに妙な絵葉書を目にしました。

「妙な」といっても、同じ被写体を映した絵葉書は、以前も登場済みです。
それは、南仏・エクス(エクス=アン=プロヴァンス)の町のカーニヴァルで引き回された、星の形をかたどった不思議な山車を写したものです。

(画像再掲。元記事は以下)

天の星、地の星


エクスはマルセイユのすぐ北にあり、これぐらいの縮尺だと、その名も表示されないぐらいの小都市です。でも、その歴史はローマ時代に遡り、往時の執政官の名にちなみ、古くは「アクアエ・セクスティアエ(セクスティウスの水)」と呼ばれたのが転訛して「エクス」になった…というのを、さっきウィキペディアで知りました。

その名の通り、水の豊富な土地で、今も町のあちこちに噴水が湧き出ているそうです。そして、多くの高等教育機関を擁する学園都市にして、画家・セザンヌの出身地としても名高い、なかなか魅力的な町らしいです。

   ★

今回まず見つけたのは、上と同じ山車を写した、別の絵葉書でした。


まだ芽吹きの時期には早いですが、いかにも陽の明るい早春の街をゆく山車行列。
道化姿の男たちと、馬に乗ったとんがり帽子の天文学者に先導されて、大きな星形の山車がしずしずと進んでいく様は、上の絵葉書と変わりません。こちらも「流れ星の天文学(L'astronomie sur l'étoile filante)」と題されていますから、これがこの山車の正式な呼び名なのでしょう。

(一部拡大)

   ★

で、何が「妙」かといえば、この絵葉書に続けて、偶然こんな絵葉書も見つけたのでした。


こちらは、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題された、これまた星形の山車です。そして、この絵葉書には「1912年」という年号が、欄外に明記されています。

(一部拡大)

これまで、他の町でも行われた同様の催しを手がかりに、冒頭に登場した山車は、1910年のハレー彗星接近をテーマにした、一種の時事ネタ的演目だろうと推測して、これまで疑うことがありませんでした。でも、この火星の絵葉書を見つけたことで、上の推測は再考を迫られることになったのです。

要するに、エクスの町のカーニヴァルには、天文モチーフの山車が複数登場しており、その登場時期もハレー彗星騒動があった1910年に限らない…ということが、この葉書から判明したわけです。

そういう視点で探してみたら、確かにエクスのカーニヴァルには、他にも天体を素材にした山車がたびたび登場していました。他の町はいざ知らず、少なくとも20世紀初頭のエクスの町では、天文モチーフの山車が毎年のように作られ、人気を博したようです。何だか不思議な町です。

   ★

関連する他の絵葉書のこと、そして、この1912年に登場した火星の山車の時代背景について、次回以降考えてみます。

(この項つづく)

宇宙の謝肉祭(その2)2017年11月12日 10時51分17秒



昨日登場した、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題されたカーニヴァルの山車。別テイクの絵葉書も購入したので、そちらも貼っておきます。

(一部拡大)

まあるい地球に覆いかぶさるように、巨大な星が接近しています。
この星が火星なのでしょう。作り物の星の中央やギザギザの先っぽには穴が開いていて、子供たちが顔をのぞかせています。そして、とんがり帽子の可愛い天文学者が、望遠鏡でそれを眺めているという趣向。

昨日も書いたように、この火星の山車が町を練り歩いたのは1912年のことです。日本でいえば、ちょうど大正元年。それにしても、この年になぜ火星の演目が登場したのでしょう?

   ★

火星の公転周期は2年弱。いっぽう地球の公転周期は1年ですから、火星がゆっくり公転している脇を、地球が2年2か月にいっぺんの割合で、シュッと追い抜く格好になります。この追い抜く瞬間が、地球が火星に最も接近する時で、天文学用語でいうところの「衝(しょう)」です。

地球や火星の軌道がまん丸なら、地球と火星が最接近する距離はいつも同一のはずですが、実際には楕円ですから、衝の際の距離も、そのタイミングによってずいぶん伸び縮みします。両者が目立って接近するのが、いわゆる「火星の大接近」で、近年の大接近の例は、あすとろけいさんの以下のページに載っています。


リンク先の表によれば、1909年にかなり目立つ大接近があったことが分かります。ただ、それにしても「歴史に残る超大接近」というほどではありませんでした。

それでも、この時期に、火星がお祭りに登場するぐらい世間の注目を集めたのは、この1909年に行われた観測が、くすぶり続ける火星の運河論争に改めて火をつけて、いよいよ1870年代末から続く「火星の運河をめぐる三十年戦争」の最終決戦が幕を開け、学界における論争が、新聞報道を通じて市民に伝わったからだ…と想像します。

   ★

そもそも火星の運河論争は、1877年に勃発しました。
この年も火星大接近のときで、火付け役はイタリアのジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)です。このときスキャパレリは、口径20cmの望遠鏡で火星を観測し、翌1878年に、彼がそこで見たとする「運河」について、大部な報告を行ないました。

続く1880年代、このスキャパレリと、その説に惚れ込んだフランスのカミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、運河説を大いに唱道しました。さらに下って1890年代には、視力の衰えたスキャパレリに代わって、アメリカのパーシヴァル・ローエル(1855-1916)が参戦し、運河派は大いに気勢を挙げたのです。

(スキャパレリの火星図。http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/21/

それに対して、イギリスのナサニエル・E.グリーン(1823-1899)エドワード・モーンダー(1851-1928)といった天文学者は、「それは目の錯覚に過ぎない」という論陣を張りました。(といっても、これは国別対抗で争ったわけではなく、各国で運河派と錯覚派が入り乱れていたのです。)

この論争は、結局のところ「見える」「見えない」の水掛け論になりがちです。

錯覚派の「もし運河があるなら、運河派の観測者が互いに独立にスケッチをした時、そこに共通した図が描かれるはずなのに、あまりにも結果が食い違うじゃないか」という主張は、大いに筋が通っていましたが、「火星の知的生命」に対する憧れは、あまりにも強く、また運河派領袖の世間的名声は大したものでしたから、錯覚派が運河派を圧倒することは、なかなか困難だったのです。

しかしその間にも、火星の分光学的観測に基づいて、火星に水が存在することを否定する論が強まるなど、学界における運河派包囲網は、ひそかにせばまりつつありました。そんな中で迎えたのが1909年の大接近です。

以下、マイケル・J.クロウの『地球外生命論争』(邦訳2001、工作舎)から引用します(引用に当り、漢数字を算用数字に置き換え、文中の傍点部は太字で表記しました)。

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1909年のすばらしい火星の衝は、1909年にほぼ90の、そして1910年にも同数の出版物の洪水をもたらした。アントニアディは24あるいはそれ以上の論文を著した。〔…〕32.7インチのムドン屈折望遠鏡で火星を観測し、〔…〕1909年12月23日付けの論文の中で、次のように主張している。巨大望遠鏡の高解像度の下で運河が消滅したことから、次の結論が正当化される。

[火星の]真の外観は、…地球や月の外観と似ている。
②良い視界の下では、幾何学的なネットワークのいかなる痕跡も存在しない。
そして、
③惑星の「大陸部分」は、非常に不規則な外観や明暗度を持った無数の薄暗い点によって斑になっている。その散発的な集まりは、小さな望遠鏡の場合、スキアパレッリの「運河」組織に見える。


そして彼は「われわれは疑いもなく、いまだかつて一つの真正の運河をも火星に見たことはない…」という。 (上掲書、pp885-6)

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運河派に強力な一撃を加えたのが、誰あろう、かつての運河派の一人で、フラマリオンの腹心でもあったウジェーヌ・アントニアディ(1870-1944)であり、彼が拠って立ったのが、パリ近郊のムードン天文台であった…ということが、フランスの人々に一種独特の感慨をもたらしたんではないかなあ…と、これまた想像ですが、そんな気がします。そして、そういう一種独特のムードの中で、エクスの町の人は、あの火星の山車を作り、そして歓呼の中、練り歩いたわけです。

運河があればあったで、そして無ければ無いで、火星はこの間常に地球に影響を及ぼしてきました。まさに、それこそが「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」です。


(エクスの絵葉書の話題はまだ続きます)

宇宙の謝肉祭(その3)2017年11月13日 20時51分53秒

南仏・エクスの町の「宇宙の謝肉祭」。
ある年には、こんな幻想的な「三日月の山車」も登場していました。


このブログでは先日来おなじみの、「月にピエロ」の取り合わせ。
月の表情もいいし、星と流星の裾模様も洒落ています。

タイトルの一部が切手に隠れて見えませんが、同じ絵葉書を他でも見たので、そのタイトルは判明しています。すなわち、「ピエロの飛行家、または不可能な夢(Pierrot aviateur ou le rêve imposs)」

(一部拡大)

これまた何と文学的なタイトルでしょう。
儚くも美しい…というイメージがピッタリきます。

   ★

些末なことながら、これまで登場した山車の登場年をここで整理しておきます。
まず、この三日月の山車の遠景には「CARNAV(AL) XXII」(第22回カーニヴァル)の看板が見えており、切手の消印は1910年です。


また、先に登場した「流れ星の天文学」は「第23回」を謳っており、


昨日の「火星と地球の交感」は「第24回」で、開催は1912年でした。


以上のことから、エクスの町のカーニヴァルは――その起源自体は非常に古いかもしれませんが――こういう山車行列でにぎにぎしく祝うようになったのは意外と新しいことで、おそらく1889年が第1回だと推測できます。

したがって、1910年のハレー彗星騒動に引っ掛けた出し物と思った「流れ星の天文学」は、実際には翌1911年に登場したもので、これが想像通りハレー彗星をモチーフにしたものだとしても、少なくとも、その騒動の渦中に、リアルタイムで登場したものではありませんでした。その点は、ちょっと訂正と注釈が必要です。


(この項さらに続く)

宇宙の謝肉祭(その4)2017年11月14日 23時05分24秒

これまたエクスに登場した天文モチーフの山車。
題して、「月の恋人たち(Amoureux de la lune)」


キャプションには年次も回数も記載がありませんが、消印から1915年の出し物と分かります。


それにしても、これは何なんでしょう?
アンパンマン的な何かと、バイキンマン的な何かを、大勢の天文学者が望遠鏡で覗いている情景ですが、いったいこれは何を言わんとしているのか?

(一部拡大)

そのコスチュームとタイトルを見比べて、じっと考えた結論として、これは「太陽と月の結婚」である<日食>を表現しているのではないかと思いつきました。つまり、白いのが太陽、黒いのが月で、彼らがひたと頬を寄せ合うとき日食が起きる…という、古くからのイメージを表現した出し物という説です。

(Pinterestで見かけた出典不明の画像)

ただ、この前後にフランスで皆既日食が見られたら、話がきれいにまとまるのですが、どうもそういう事実はなくて、1912年4月17日に観測された皆既日食(+金環食のハイブリッド日食)が、ちょっとそれっぽく感じられる程度です。

(パリ天文台が行った飛行船観測による画像。

まあ、いくら100年前でも、3年前の出来事が「時事ネタ」になることはないでしょうから、これは特定の日食を表わしているというよりも、天文趣味に染まった山車の作り手の脳裏に、この年はたまたま日食のイメージが浮かんだ…ということかもしれません。

   ★

エクスの町における「宇宙の山車」の始点と終点は不明ですが、少なくとも1910-12年と1915年に登場したのであれば、当然、中間の1913-14年にも作られたでしょうし、その前後も含め、まだまだ奇想の山車はあるはず…と睨んでいます。

今後も類例が見つかったら、随時ご報告します。(我ながら酔狂な気はしますが、まあ実際、酔い狂っているのですから仕方ありません。)

(この項いったん終わり)

ついに解明された火星の謎2017年11月16日 07時57分27秒

エクスの謝肉祭の件もそうですが、何事も「継続は力なり」で、こんなブログでも続けていれば、以前は見えなかったものが徐々に見えてくるものです。今日も今日とて、謎が1つ解けました。

   ★

下は以前登場した絵葉書。


女A 「あら、金星が見えるわ」
女B 「あたしの方は木星が見えるわ」
男 「おいらにゃ火星が見えるよ」

――という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というのが、これまで一種の「謎」でした。何だか下らない話題ですが、気になる時は気になるもので、私は過去2回までも記事にして、その「謎」を追ってきました。

■ある火星観測

■金星、木星、火星のイメージを追う

   ★

しかし、その強固な謎も、別の絵葉書によって、ついに解明されました。

(1920年前後、ロンドンの Art & Humour Publishing 社から出たコミック絵葉書)

女 「あれは金星じゃないかしら?」
男 「ボクには火星のように見えるがね。」

そう、火星の運河論争がほぼ終結した1920年前後、当時の男性は、なぜか女性の赤い下着を見ると火星を連想し、それがまた笑いを誘うネタとして、世間に流通していたらしいのです。したがって、例の男も、女性のスカートの奥に赤い下着を発見して「火星が見える」とうそぶいたに相違なく、そうと分かってみれば、実に単純なオチです。

まあ、こんなことを100年後の現代に力説してもしょうがないのですが、いかにツマラナイなことでも、謎が解けるのはちょっと気分がいいものです。