二廃人、趣味の階梯を論ず ― 2017年11月03日 09時40分10秒
▽ よお、風邪はもういいのかい?
● やあ、キミか。ありがとう、おかげさまでこの通りさ。
▽ それは何よりだ。ところでどうしたい、沈思黙考を気取って。
● 相変わらず口が悪いね。なに、ちょっと趣味のあれこれについて考えていたのさ。
▽ 小人閑居してなんとやらだな。
● まあ、キミも暇な身のようだし、ちょっと話に付き合ってもらおうか。
▽ しょうがない、寝言の相手をしてやろう。
★
● こないだツイッターを見てたら、自宅の鉱物コレクションを見せ合うという話題があったじゃない?
▽ あった、あった。鉱物棚がどうこうってやつだろ?
● そう。キミ、あれを見てどう思った?
▽ いや、別に何とも思わんさ。きれいな鉱物を手元に並べて愛でようなんて、至極結構な趣味じゃないか。
● うん、そうなんだけどさ、あの先がどこに通じているのか、ふと気になった。
▽ あの先…というと?
● いや、集めてどうするのかなと。
▽ どうもせんさ。集めるのが趣味なんだから、それでいいじゃないか。

(二廃人…ではなくて、『ギリシャ語通訳』に描かれた、ホームズとワトソン博士)
● ボクも別にモノが言えるような立場じゃないけど、例えばサムネイル標本がきれいにディスプレイされているのを見ると、何だかトミカの棚を連想するんだよね。
▽ トミカねえ。
● もちろん、トミカ的に鉱物を愛でる人がいてもいいよ。鉱物の世界はトミカより間違いなく変化に富んでいるから、蒐集の喜びもいっそう大きいかもしれない。でも、「それだけ」っていうのは、どうなんだろうね。
▽ いきなり上から来る奴だな。お前さんだって、標本の醍醐味は「ズラッと感」だとか何とか言ってたじゃないか。
● うん、だからボクもそれを否定する気はないさ。ただ、ズラッと並べて、その先どうするかは、よくよく考えておかないと、後で困るような気がして。
▽ ははーん、お前さん、自分が困ってる口だな。
● 慧眼だね。
▽ で、沈思して何かひらめいたのか?
● うん。結局、トミカ的な蒐集の世界を貫いているのは、「コンプリート欲求」と「レアもの至上主義」の二大原理だと思うんだ。でも、鉱物相手にコンプリート欲求を掻き立てられるのは、財布にとって危険極まりないし、鉱物の美を味わう上で、レアもの至上主義は、むしろ阻害的に働くんじゃないかな。
▽ というと?
● 一口に「鉱物の美」っていうけど、そこにはいろんな美があるよね。まず、すぐれて感覚的な美がある。つまり単純な色形の美しさだね。それを愛でる近道が「ズラッと感」さ。圧倒されるような色形の変異、鉱物たちが織り成すカレイドスコープ、そうしたものを味わうには、モノをズラッと並べて見せるのがいちばんだからね。
▽なるほど。“目も綾な”ってやつだな。
● で、その次に顔を出してくるテーマが、「どう並べるか」さ。
▽ ふむ。
● この辺は鉱物学の発展史をなぞることになるけど、昔の人も最初は多様な鉱物の、その多様性に眩惑されていたけど、だんだんその背後にある秩序や法則性を追い求めるようになったよね。いわば感覚を超えた「理」の世界さ。で、そうした秩序や法則性自体にも、燦然とした「鉱物の美」はあると思うんだ。
▽ トミカのディスプレイにだって秩序はあるだろ?
● たぶんね。でも、得てして人は単純に色・形の類似で並べたくなるけど、ここでいう秩序や法則性は、さらにその先にあるものさ。…何て言えばいいかな、ここで言う「鉱物の美」は、いわば、「図鑑美」に通じるものだよ。図鑑で隣り合う種類は、必ずしも色や形が共通するわけじゃない。でも、そこにはある法則に基く秩序があるよね。
▽ なるほど。でも、それとさっきの「レアもの至上主義が美を阻害する」っていうのは、どう関係してくるんだい?
● レアものでも、それが秩序ある配列を埋めるピースとして不可欠なら、追い求める価値は大いにあるさ。でも、中にはそういうことと関係なしに、「単にレア」というのもあるよね。たとえば昆虫標本でも、雌雄同体のアノマリーな個体とかが、往々高値を呼ぶけど、それは昆虫本来の秩序ある配列を埋めるピースじゃない。むしろ夾雑物さ。…もっとも、昆虫の発生学を研究している人にとっちゃ、そうした標本が貴重なピースになる可能性もあるし、「単にレア」かどうかは、相対的なものだけどね。
▽ 山高きが故に貴からず、だな。レアものも又レアなるがゆえに貴からず…ってわけか。
● さらにだよ、鉱物の世界の背後にある「理」が十分感得されてくると、実はズラッと並べる必要すらなくなって、ただ1個の標本を前にしただけで、そこにピンと張りつめた、研ぎ澄まされた美を感じるようになると思うんだ。
▽ 何だか神がかってきたな。
● いや、ボクもそんな境地に達したわけじゃないから、これは単なる想像だよ。でも、そこまで行くと、鉱物の美というのは、ごくありふれた鉱物にだって―いや、普遍的で、ありふれているからこそ、一層強く感じられるんじゃないかなあ。
▽ まあ、言わんとする意味は分かる。
● それにさ、キミは神がかってるとか何とか言うけど、人間と鉱物をめぐる精神史だって、ずいぶん大きなテーマだよ。まあ、こんなふうに考えてくると、アカデミックな鉱物学から文学や美術の世界まで、鉱物趣味の世界は途方もなく広いし、「集めて、並べて、終わり」ってことはないと思うんだ。もし、そこで止まっちゃったら、いかにも勿体ない気がする。
▽ コレクションは集めること自体が目的化しやすいっていうのは、その通りだろうな。
★
● ここで話をぐっと捻じ曲げると、天文アンティークもまさに同じだと思う。
▽ おっと、そっちに来たか。
● 天文アンティークも、ここ4~5年、すっかりイメージとして消費され尽くした感があるけど、色形の美だけで終わっちゃうパターンがけっこうあったよね。
▽ 「お星さまきらきら、金銀砂子」の世界だな。
● 本当は、古ぼけた1枚の星図だって、その時代背景や、現代天文学への道程における位置づけ、あるいは文化史的意味合いとか、いろんな切り口から語ることができると思うんだ。でも、「なんかカッコいい」「なんかきれい」で終わってる例が多いよね。
★
▽ ふーん…何だかんだ言って、他人の趣味に口をはさむとは、お前さんもずいぶん焼きが回ったな。
● そうかもね。星に比べて人の生はいかにも短いし、しょうがないよ。
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