月の空を飛んだ兄弟の記憶(後編)2017年11月26日 12時04分38秒

映像で月の名所を旅する…
それだけが目的なら、「かぐや」のハイビジョンカメラ・アーカイブで簡単にできるので、この半世紀前に撮られた写真集に頼る必要はありません。


でも、そこで味わえるのは人類史における「一大事件」を追体験する喜びであり、そこにこそ、この写真集の価値はあると思います。

   ★

1959年、ソ連のルナ3号によって、初めて月の裏側の写真が撮られて以来、米ソの月探査機は、次々と月の知られざる風景を絵手紙にして我々に送ってくれました。

(ルナ3号が送ってきた月の裏側の最初の写真。Wikipedia「Luna 3」の項より)

そして、その後の急速な技術の進展は、10年も経たないうちに、ルナ・オービター計画による、この鮮明な月写真集を生み出すに至りました。

人類は過去何万世代にもわたって、空に月を見上げ、物思いにふけり、神話を紡ぎ、観測を続けてきましたが、20世紀後半に至って初めて――文字通り天地開闢以来初めて――「機械の眼」と「機械の神経系」を使って、月の裏側や月の空に浮かぶ地球といった、新奇な光景に接することとなったのです。その感動を思いやるべし、です。


上空から見渡す、峩々たる月の山脈と荒涼とした平原。それは、19世紀の人が夢に思い描いた光景そのものでした。

(エドムント・ヴァイス、『星界の絵地図』(1892)より) 

新たに獲得した視界は、地上からはぼんやりしていた月の細部が、次々と明らかになっていく爽快感に満ちています。

(深さ1300mに達するシュレーター峡谷)

(ウサギの尻尾に当たる「湿りの海」と、そこに穿たれた三つ星のような小クレーター)


巨大な目玉模様の「東の海」は、地上から観望する際は、ほんの端役に過ぎませんが、こうして正面から見れば超一級の役者であることが、よく分かります。

(月球儀に見る「東の海」)

さらにこの写真集は、高解像度写真で「東の海」の偉観を伝えてくれます。


上は「東の海」周辺と部分図(エリアA~F)の位置表示。
下はエリアA(左)とエリアB(右)の拡大図。


ちょっと変わったところでは、ルナ・オービター3号機は、1年前に月に降り立った先輩、「サーベイヤー1号」の姿もとらえています。

(円内がサーベイヤー1号の姿。右は拡大)

それは、月探査が着実に歴史の年輪を重ねつつあり、人類史が新たな局面に入ったことを物語るものでした。

   ★

NASAが作ったこの写真集は本当によくできていて、全写真の詳細データと、ルナ・オービター全5機が撮影した写真のインデックス・マップを完備しています。

(収載写真のデータ表(部分))

(8枚あるインデックス・マップの内の1枚)

(同凡例)

さらにおまけとして、同一地点をわずかな時間差で撮影した2枚を、赤青で重ね刷りしたステレオ写真(アナグリフ写真)が何枚か載っているのも楽しい工夫です。

(赤青の立体メガネも付属)

この歴史的写真集は当時大量に刷られたせいか、現在の古書価はごく低廉で、私は2千円ちょっとで買いました。こういうのをリーズナブルな買い物と言うのではないでしょうか。

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【補遺】

この写真集、今の目で見ると何となくボンヤリした画像に見えるかもしれません。
でも、それは「前編」で触れたように、ルナ・オービターによる画像取得が、
①月面撮影 → ②フィルムをアナログスキャン → ③電送 →
④受信データを地上でテレビモニターに映写 → ⑤モニター画面を撮影 →
⑥撮影画像を継ぎ合わせて全体を撮影
という、非常にまどろっこしい方法を採っているせいです。

オービターの眼が捉えた本来の画像は、もっと鮮明なものでした。
原撮影に使用されたフィルムは、コダックの「SO-243」、すなわち航空写真用に作られた高解像度の超微粒子フィルムで、記録できるライン数は450本/mm。これに対して、オービターのスキャンシステムは、解像度が76本/mmだったので、スキャンの段階で、実は大半の情報が脱落してしまったのです。

単純化していえば、オービターの「生写真」は、我々が地上で目にする電送写真の約6倍(単位面積では36倍)の記録密度を持っており、その情報が機体と共に失われたことは、当時の科学者にとって一大痛恨事だったことでしょう。

コメント

_ Nakamori ― 2017年11月26日 14時18分27秒

"The moon as viewed by Luna orbiter"、欲しくなりました!そして、写真をながめながら、地球からはほとんど見ることができなかったオリエンタレ・ベイスンの真の姿を初めて見た研究者・技術者たちの驚きと喜びを少しでも感じることができたら、と思います。

_ S.U ― 2017年11月26日 14時21分38秒

デジカメあるいはデジタルビデオができるまでは、テレビカメラ(撮像管)よりフィルムカメラのほうがずっと高解像度でしたから、理屈上は1990年頃までは、フィルムを現像する方が良質のデータが得られたのだと思います。それでも、多くの場合にテレビカメラが使われたのは、テレビカメラが本質的にリアルタイム(生中継)での動作が保証されているという利点があるためでしょう。現像して高解像画像を作りそれをスキャンして電送していたのでは、通信時間が足りずデータ量のロスが生じるという競争関係があったのだと思います。
 
 ルナ・オービターで、あえてフィルムを使ったのは、転送速度の向上で、ビデオカメラの解像度に十分勝てると見込んだのか、あるいは、航空写真の保証された測量精度が欲しかったのかどちらかだと想像します。(ルナ3号は自動現像でしたが、これは月の裏側から生中継が難しかったからでしょう。)

_ L4RI_JP ― 2017年11月26日 21時33分58秒

今から80年ほど前、昭和9(西暦1934)年の『科學畫報』臨時増刊に載っている、月面の想像図+望遠鏡写真(解説執筆は麻布天文台の秋山薫理学士)。
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その僅か25年の後に、人工物が大気圏を突き抜けて宇宙空間へ飛び出し、月の裏側の画像を送ってくるなど、当時の読者のほとんどには想像もできなかったのではないでしょうか……ましてや36年後にはこんな写真集が発刊されているなど。

_ 玉青 ― 2017年11月27日 21時22分23秒

○Nakamoriさま

機会があればぜひ!

○S.Uさま

ルナ・オービターには、アポロ着陸候補地の下調べという、喫緊の目的がありましたから、大向こうをうならせるのはアポロに任せて、質実剛健にフィルムをばんばん回したのかな…と想像します。

○L4RI_JPさま

本当ですね。改めて考えると、ルナ・オービターは現代よりも『科学画報』の時代にずっと近いという事実にまず驚きます。そして、その間の変化がいかに大きかったかを知って、またまたびっくりです。

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