吾いまだ月長石を知らず(前編) ― 2017年12月02日 13時54分10秒
今日は穏やかな冬晴れ。
いよいよ師走ですね。カレンダーも残りわずかとなり、気ばかり焦りますが、ここは強いてのんびり行くことにします。
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月長石のことを書いて、ちょっとおや?と思ったことがあるので、そのことをメモします。
そもそも、「月長石」というのは、アカデミックな鉱物学に基づく名称ではなく、宝石学上の呼び名のようです。つまり、長石類のうち、美しい外観を持ち、宝石と呼ぶに足るものが特に「月長石」と呼ばれるのだ…ということが、ウィキぺディアには書かれています。(漁業関係者が、マアジの一部を「関あじ」と呼んで珍重するのと、ちょっと似たところがあります。)
ウィキペディアばかりだと寂しいので、紙の資料からも転記しておきます。
以下は、昭和32年(1957)に出た『原色鉱石図鑑』(木下亀城著、保育社)からの引用です。同書では、特に「宝石鉱物」という一項があり、そこに月長石が登場します。
月長石(ムーン・ストーン) Moonstone セイロン産
無色ないし白色半透明の長石で正長石の一種であるが、曹長石その他の斜長石に属するものもある。これを研磨すると、その中に無数に並列した薄板の微晶のため、光が反射され相映発して、淡青乳状ないし真珠様の閃光を放ち、殊に底面に直角な方向から見ると、青光冷々として秋月の様な光があるので、月石〔げっせき〕の称がある。比重2.58、多くは背の高いカボション形に研磨せられ、六月の誕生石として用いられる。セイロン産の月長石は風化した花崗岩中に含まれ、正長石の一種である氷長石〔ひょうちょうせき〕adulariaに属する。(p.61)
無色ないし白色半透明の長石で正長石の一種であるが、曹長石その他の斜長石に属するものもある。これを研磨すると、その中に無数に並列した薄板の微晶のため、光が反射され相映発して、淡青乳状ないし真珠様の閃光を放ち、殊に底面に直角な方向から見ると、青光冷々として秋月の様な光があるので、月石〔げっせき〕の称がある。比重2.58、多くは背の高いカボション形に研磨せられ、六月の誕生石として用いられる。セイロン産の月長石は風化した花崗岩中に含まれ、正長石の一種である氷長石〔ひょうちょうせき〕adulariaに属する。(p.61)
「青光冷々として秋月の様」とは、なかなか美しい言い回しですね。
ともあれ、繰り返しになりますが、きわめて変異に富む、鉱物中の一大グループである長石類の中で、いろいろな鉱物種にまたがりつつ、一定の美観を呈するものを総称して「月長石」と呼ぶわけです。
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天に月と太陽あれば、地にも月長石と日長石あり。
同じ図鑑の月長石のすぐ下には、「日長石」の説明もあります。
日長石 Sunstone ノルウェー・ドウェデストランド・ヒッテロー産
灰曹長石〔かいそうちょうせき〕、時に曹長石の中に赤鉄鉱、針鉄鉱〔しんてっこう〕または鉄雲母の薄片を混じて、黄、紅、赤、褐の斑彩〔はんさい〕を有する燦然〔さんぜん〕たる光を放ち、光輝ある銅色を呈するもので、また太陽石 heliolite とも称される。灰色ないし赤灰色(4図)のものもある。多くカボション形(5図)に研磨される。ガラスに銅箔を混じて偽造したものは、光学上の性質と硬度で容易に区別することが出来る。(同)
灰曹長石〔かいそうちょうせき〕、時に曹長石の中に赤鉄鉱、針鉄鉱〔しんてっこう〕または鉄雲母の薄片を混じて、黄、紅、赤、褐の斑彩〔はんさい〕を有する燦然〔さんぜん〕たる光を放ち、光輝ある銅色を呈するもので、また太陽石 heliolite とも称される。灰色ないし赤灰色(4図)のものもある。多くカボション形(5図)に研磨される。ガラスに銅箔を混じて偽造したものは、光学上の性質と硬度で容易に区別することが出来る。(同)
(上掲書 第55図版(部分)。3.月長石、4.5.日長石)
青く白く輝く月長石に対して、赤くオレンジに輝く日長石は、まことに好一対。
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さて、ここまでが前置きで、ここから日長石のことも絡めつつ、「おや?」の中身に入っていきます。
(この項つづく)
吾いまだ月長石を知らず(後編) ― 2017年12月03日 16時30分25秒
(昨日の続き)
月長石について「おや?」と思ったのは、先に引用した、加藤碵一・青木正博両氏の『賢治と鉱物』(工作舎、2011)に、以下の記述を見つけたことでした。
「月長石/ムーンストーン」は、ラテン語のselenites の英訳です。現在の鉱物名としての利用は、1780年にドイツのウェルナーが、光沢のある長石を Mondstein (直訳すれば「月石」)としたことに由来します。(p.188)
セレニーテス(羅)といい、モントシュタイン(独)といい、またムーンストーンと言い、言葉の意味としては、すべて「月の石」ですから、何も不思議ではないのですが、ここで気になるのは、このラテン語の称です。
selenites(セレニーテス)を英語化すれば、すなわち selenite(セレナイト)となります。でも、少なくとも現代の用法では、セレナイトは「石膏(Gypsum)」、特に透明な板状で産出する「透石膏」を指す名称です。
(かつて「鉱物Bar」で購入した透石膏の結晶)
鉱物学的には、片や珪酸塩鉱物の長石、そして片や硫酸塩鉱物の石膏と、まったく別種なのでしょうが、ひょっとしたら近代鉱物学の誕生以前、両者が言葉の上で混用されていたのかな?…と思ったのが、すなわち「おや?」の中身です。
そして、日長石の別名が、太陽石(ヘリオライト)なら、月長石の別名も月石(セレナイト)という風に、たとえそれが歴史的混用にせよ、ぜひ対が取れていてほしいと思いました。
(『ビジュアル博物館25 結晶と宝石』(同朋舎、1992)より、ムーンストーンとサンストーン)
もちろん、加藤・青木両氏に、セレニーテスとセレナイト、そしてムーンストーン相互の関係を詳しくお聞きできればいいのですが、なかなかそんな機会も得られませんから、少し自助努力をしてみます。
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まずは手近なところでWikipediaから。
英語版でSeleniteの項を引くと、そこにセレナイトの語源が、こう記述されています。
「セレナイトの語源は、中期英語のselinete であり、これはラテン語のselenitesから、さらにはギリシャ語のselēnitēs(石)から来ている。この語はselēnē(月)に由来し、字義は「月石(moonstone)」もしくは「月の石(stone of the moon)」の意。往時の人は、ある種の透明な結晶が、月と共に満ち欠けするものと信じていた。15世紀以降、「セレナイト」は、透明な結晶または結晶塊中に見出される、石膏(Gypsum)の変種を特に指す言葉となった。」
これに従えば、セレナイトは15世紀以前は、透石膏に限らず、月の満ち欠け伝承と結びついた透明な石は、みなこの名で呼ばれていたように読めます。ただし、今の月長石がそこに含まれていたかどうかは不明です。
また、月長石をセレナイトの名で呼んだ時期が仮にあったとしても、セレナイトの指示対象が透石膏に固定した15世紀から、ドイツのウェルナーが改めてMondsteinの名を用いだした 1780年までの、およそ300年に及ぶ空白の意味は、なかなか解釈が困難です。
いずれにしても、18世紀以降、鉱物学の世界でセレナイトと月長石が混同されることは絶えてなかったので、両者の混同が生じていたとすれば、少なくとも1700年以前、ことによったら遠い中世の時代のはずで、この辺は鉱物趣味の深い人でも、なかなか探索に手間取る領域ではないかと推察します。
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誰か「月の石」の歴史についての詳細を知らないか?
そう思って、ネットを徘徊したら、ドイツの鉱物ファンの掲示板で、この件が取り上げられていました(スレッドが立ったのは2004年8月22日)。
では、その内容は…と、勇んで行きたいところですが、Googleの英訳がちょっと心もとなくて、内容が今一つ分かりません。でも、スレ主の問題意識は、どうやら私と同じのようです。そして、それに続くいろいろな書き込みは、すべて18世紀以降の文献に基づいて論じているので、何だか問と答が噛み合ってないように読めます。
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うーん、よく分からない。もやもやします。
というわけで、話を後編まで引っ張ったわりに、吾いまだ月長石を知らざるなり。
結局この話題、『賢治と鉱物』にあった「ムーンストーンは、セレニーテスの英訳である」ということの典拠が肝なわけですが、それも今のところ不明です。
世界の奥行 ― 2017年12月05日 21時54分02秒
歳を取ると、いろいろなことを知ります。
自身の能力の衰えはもちろんですが、他の人の能力の衰えを目にすることも、その一つです。身近なところでは親たちの衰え。このことは、多くの人が慨嘆しているので、私も知識としては知っていましたが、実際目にするとやっぱり寂しいものです。
そして、それ以外の先輩世代の衰えも――。
あの恐るべき知力の持ち主が、あるいは切れ味の鋭い文章を倦まず書き続けてこられたあの方が、いつの間にか衰えていたなんて、にわかには信じがたいことですが、それはやっぱり本当のことで、ご本人もしきりにそれをこぼされている…そんな経験をすることも、一度や二度ではありません。
人間はみな衰えるものです。肉体も、精神も。
私も、この「天文古玩」で、いつか書こうと思って寝かせているテーマがいくつかあります。でも、そんなことを言っていると、じきに書く力が失われてしまうんじゃないかと、最近ふと恐怖を感じることがあります。現に、いざ書こうと思っても、そのための下調べが億劫に思えるのは、すでに衰えの始まりかもしれません。
遅かれ早かれ、書けなくなるときは確実に来るわけですから、これはもう書けるうちにどんどん書いた方がいいね…と、自分でも思います。
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そんなことを思ったのは、以前ステレオカメラを購入した業者から、「新しい出物があるけど、eBayに出品する前に、関心があれば優先的に譲るよ」というメールを、一昨日受け取ったからでした。
なぜそのときステレオカメラを買ったのか?
ひょっとしたら、以前も書いたかもしれませんが、私は天体や宇宙をテーマにしたステレオ画像(ステレオ写真に限らず、立体星図なども含めて)の歴史に興味があって、いつかまとめて記事にしたいという思いがずっとありました。で、「それならステレオカメラの1台ぐらい、手元にあっても罰は当たらんだろう」と思ったのです。
そんなわけで、この話題、ぽつぽつ書き継いでいきます。
何をどう書くかは決めてないので、思いついたことを順不同で書いていきます。
(この話題、間欠的に続く)
お知らせ ― 2017年12月07日 22時21分41秒
諸々の事情により、今日から来週いっぱい記事をお休みします。
ジジイとは誰か ― 2017年12月18日 20時39分40秒
先々週から先週にかけて、後半は中国に行くために、前半はその前に仕事を片付けるために、フルで時間を使っていました。そして、気が付いたら今日はもう師走の18日ではありませんか。どこに時間泥棒が潜んでいるのか、まったく油断も隙も無い世の中です。
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さて、おもむろに記事を再開するにあたって、この前書いた「宇宙の立体視」の話題はもう少し寝かせることにして、ちょっとスカッとすることを書きたいと思います。
上は1959年の消印が押された、イギリス製絵葉書。
版元のバンフォース社(ヨークシャー)は、1910年から現在に至るまで、一貫して絵葉書の制作を続けている会社です。
「望遠鏡を使って天体を研究する人を何といいますか?」
「先生、汚いジジイです!」
「先生、汚いジジイです!」
当然、「天文学者Astronomer」という答を期待した先生は、目を白黒…という場面。
それにしても口の悪い小僧ですね。でも、この絵葉書を目にした当の天文学者たちは、たぶん腹を抱えて笑ったんじゃないでしょうか。こういうのをイギリス流諧謔というのでしょう。
【12月19日付記】 …と書いて見たものの、どうもこの洒落は、もう少し下がかった笑いを誘うものであることを、コメント欄でご教示いただきました。したがって、以下の文章もちょっとピンボケですが、どうぞお目こぼしを。(付記、ここまで)
ここから連想は我が日の本に及び、「議会で話し合って法律を作る人を何といいますか?」と先生に問わしめたら、日本の少年少女は何と返すか?それを目にした当の御仁たちは、どう反応するか?
…そんなことを空想してみるのですが、これも又「面白うてやがて悲しき」類で、どうもあまりスカッとはしませんね。
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▼閑語(ブログ内ブログ)
最近は、政治向きのことはじーっと横目で見ながら、特に閑語せずにいました。
衆院選後の事態の推移をしばし見守ろうという気もありましたし、醜怪なニュースが多過ぎて、ひとつひとつに反応していたら、身が持たないと思った…というのもあります。
しかし、それにしてもです。
安倍氏や、その周辺の閣僚や官僚は、何でこんなに陋劣なのか?ひょっとして、国は高齢者福祉にかかる経費を削減するため、こうして人々の血圧をわざと上げるようなことをして、国民の短命化を図ろうとしているのではないか…と邪推したくなる惨状です。
そして事は永田町と霞が関に限らず、今や日本中が現政権の蠱毒と瘴気にやられているように、私の眼には映じています。まことに恐るべきことです。天文古玩も、呑気に「星よ、月よ」と浮かれているようでいながら、それは強いて呑気さを装っているのであって、真の呑気さとは遠いことを、私自身がいちばんよく知っています。
最高で行こう ― 2017年12月19日 07時30分02秒
今日もコミック絵葉書を1枚。
昨日と同じく1950年代に、英・バンフォース社が出したもので、漫画の作者も同じ。
「旦那さん、お部屋はこちらですよ。広告どおり『天にも昇る心地の眺め』でしょ!」
昨日の記事は、「Heavenly Body」が、「天体」と「最高のボディ」を掛けていることを見落としたため、トンチンカンなことになりましたが、今日の絵葉書もネタは同じ。
「Heavenly View」の惹き句に、「最高の眺め」を期待した若夫婦が、天窓から「空が見える」屋根裏部屋に案内されて、口をあんぐりさせている…というのがオチになっています。
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若夫婦は不満げですが、でも、こんな部屋が我が家にあったら、個人的にはうれしいです。
逝く年の思い出に ― 2017年12月29日 15時43分30秒
なんだかずいぶん長い時が経ったような気がします。
旅先で拾った風邪が予想外に長引き、この間、ずっとぼんやり過ごしていました。別に高熱を発してうなされていたわけではありません。でも、身体がどこか本物でないような感じがして、文章を書くことを控えていました(こういう時は、自分の書く文章が、ひどくつまらなく思えます。)
ひょっとしたら、「ジジイ」というような、汚い言葉を使った罰が当たったのかもしれません。風がうなり、雪が降りしきる音を寝床の中で聞きながら、言葉というのは、もっと丁寧に――お上品という意味じゃありません――使わねばならん…と、反省したりもしました。
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ゆく年くる年の話題もすでに早すぎるということはないでしょう。
下は「1908年12月23日」の消印が押された年始カード。
月男が手にした灯りに照らされて、時の流れを司る天使たちが、土星の輪っか?をクルクル回して遊んでいます。時刻はただいま午後11時55分。鐘の音とともに、新年が訪れるのももうじきです。
「どうか実り多き良き年を!」
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…というような、通り一遍の記事で年を締めくくってもよかったのですが、その後、上の絵葉書の「続編」を見つけて、また少し気分が変わりました。
時刻は移って、新年を迎えた午前0時5分です。
今度はラッパを手にした、まん丸の月がやってきて、天使たちにご挨拶です。
「新年おめでとう!」
この絵葉書が投函されたのは、1910年3月15日。別に年末でも年始でもないのですが、それでもこの送り主はどうしても、この年始カードを知人に贈りたい思いに駆られました。
「このカードは母が永遠の世界に旅立ったとき、彼女の手元に残されたものです。」
元の持ち主によって、決して出されることのなかった形見のカード。
そのふくよかな笑顔に、送り主は亡き人の面影を見ました。
("Mother")
なんだか粛然とします。
時の歩みは、人々の一生をも飲み込んで、容赦がありません。
それでも、そこに永遠の憩いと安らぎがあるならば…。
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年末にあたり、多くの人への思い出にこの記事を捧げます。
3-D宇宙…序章 ― 2017年12月30日 15時14分47秒
先日、ちらっと口にした「宇宙を立体視する」という話。
まあ、今では最新のデータと連動した、それっぽいアプリがいろいろ出ているかもしれませんが、ここでは紙媒体に話を限定します。
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このテーマを思いついたのは、昔、それこそ10年も前に、福音館の『立体で見る星の本』を取り上げたときにさかのぼります。
『立体で見る [ 星の本 ] 』
杉浦康平・北村正和(著)のこの本は、1986年に福音館から出ました。
以前の自分の記事をそのまま書き抜くと、
(引用ここから)------------------------------
薄紫の紙に、赤と青で星が印刷されていて、赤青のセロハン眼鏡で覗くと、星座が見事に浮き上がって見える仕組み。
載っているのは、「5等星までの全天の星と球状星団、銀河系外星雲、やく2600個」で、それを 50光年以下、51~100光年、101~200光年、201~500光年、501~1,000光年、1001光年以上 の6段階に分けてプロットしてあります。
〔…〕この本は単なる思いつきだけで出来たわけではなく、地道な計算と、気の遠くなるような作図と製版作業を経て、最初のプロトタイプの出現(1973)から最終的な完成まで、実に13年間を要した…と解説文にはあります。
載っているのは、「5等星までの全天の星と球状星団、銀河系外星雲、やく2600個」で、それを 50光年以下、51~100光年、101~200光年、201~500光年、501~1,000光年、1001光年以上 の6段階に分けてプロットしてあります。
〔…〕この本は単なる思いつきだけで出来たわけではなく、地道な計算と、気の遠くなるような作図と製版作業を経て、最初のプロトタイプの出現(1973)から最終的な完成まで、実に13年間を要した…と解説文にはあります。
-----------------------------(引用ここまで)
この本は、杉浦康平氏のグラフィックデザインの才なかりせば、決して日の目を見なかったであろう快著で、表紙には、「赤と青のメガネを使って、宇宙の星を立体で見る世界ではじめての本」と書かれています。
ただ、この一文は文意がちょっと曖昧です。
これは取り様によっては、「これまでも宇宙の星を立体で見る本はあったけれど、赤と青のメガネを使ったのは、これが世界最初だ」という意味にもとれるし、「宇宙の星を立体で見る本はこれが世界最初で、本書ではその手段として、赤と青のメガネを使っているよ」という意味にもとれます。
前者の主張はおそらく正しいです。
しかし、その後、後者の主張は成り立ちがたいことが、徐々に分かってきました。
19世紀以降、まずは年周視差によって近距離の恒星までの距離が判明しだすと、「宇宙の奥行」ということが徐々に、そして急速に人々の意識に上るようになってきた…と想像します。その中で、「宇宙を立体視したい」すなわち「神の視点を獲得したい」という願望も強まったのでしょう。その種の試みは、既に100年以上の歴史があります。
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まずは『立体で見る星の本』に直接先行する、1970年代の作例から。
David Chandler(著)
『DEEP SPACE 3-D: A Stereo Atlas of the Stars』
David Chandler〔現David Chandler Company, Inc.〕、1977
『DEEP SPACE 3-D: A Stereo Atlas of the Stars』
David Chandler〔現David Chandler Company, Inc.〕、1977
(詳細は次回。この項続く)
3-D宇宙…『DEEP SPACE 3-D』(1977) ― 2017年12月31日 09時43分47秒
(昨日のつづき)
アメリカで出た立体星図の中身を見てみます。
作者のDavid Chandler氏については、何も知るところがありませんが、この星図が出た前の年、1976年に天文教具の制作・販売を手掛ける小さな会社(David Chandler Company, Inc.)をカリフォルニアで起こした人です。1992年にはビリー・チャンドラーさん(夫人?)が同社の経営者になっているので、既に故人かもしれません。
昨日の写真は外箱で、内容は星図カード+解説カード+3-Dビュアーから成ります。
20.5×12.5cmの縦長のカードの上部に星図が、下部にその立体図が印刷されています。表現されている恒星は4.5等級まで。星図カードは全部で14枚あり、これで南北全天をカバーしています
元となったのは、アメリカでは1964年に出版された、チェコの『ベクバル星図』(1950年分点)で、星々の遠近感が出るよう、コンピューターで計算して作図しています。説明がないので、その詳細は不明ですが、実際の見え方と星図を突き合わせて考えると、どうやら肉眼で見える、距離100光年未満の恒星に注目して、それらが背景から手前に浮き出るように、視差を付けているようです(したがって100光年より遠い星は、すべて黒い背景にべたっと一様に張り付いているように見えます)。
日本の『立体で見る星の本』では、1000光年までの恒星を距離別に5つのグループに分けて、その相対的遠近を表現していましたから、両者のコンセプト(や見え方)はかなり違います。まあ、それぞれ一長一短あるでしょうが、チャンドラー氏のこの作品は、同じ「神の視点」にしても、親しみやすい「ご近所の神様の視点」といった感じでしょうか。
(発売当時は、こんな風に外箱に直接切手を貼って発送していたようです。)
(この項、間を置きながら続く)
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年末ですが、スペシャルなことは何もなく、こんな風に通常運転で1年を終えます。
むしろ、だからこそ良いのであって、来年もごく自然体で臨みますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは皆様、どうぞ良いお年を!
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