君の名は『雪華図説』(後編) ― 2018年01月30日 22時46分21秒
1968年に出た復刻版『雪華図説』の限定版。
全部が1冊にまとまった普及版とは異なり、こちらは夫婦箱(クラムシェルボックス)に、正編と続編の2冊が、それぞれ和本仕立てで収まっており、さらに小林禎作氏の『雪華図説考』が別冊で付属します。
当時400部作られ、私の手元にある本はNo.178。
限定版とはいえ、400部というのは決して少なくない数ですから、タイミングさえ合えば必ず入手できるとは思ったものの、そのタイミングが長いこと合いませんでした。
(『雪華図説』正編冒頭)
結局、最初の1982年版の購入から、足掛け9年かけて、ようやく昨年の暮れに限定版を入手できたのですが、そのきっかけがネットではなく、昔ながらの古書店のカタログを通じてだった…というのは、この本の雅趣に照らして、ちょっと嬉しかったです。
まあ、苦労自慢めいた話は脇に置いて、ここで『雪華図説』の世界を少し覗いてみます。
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「雪の殿様」、土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)――。
ひたすら雪の結晶観察に打ち込んだ殿様と聞けば、何となく浮世離れした好人物を連想します。しかし、歴史の文脈に彼を位置付けると、ちょっと違う相貌が見えてきます。
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小林禎作氏の解説にもありますが、雪の結晶観察は、傍から見て思うほど簡単なものではありません。チラッと見るだけならいいのですが、その細部をスケッチしようと思えば、当然、ある程度の時間、雪の結晶を眼前にとどめておく必要があります。でも、雪というのは人間の体温が伝われば一瞬で融けてしまうし、何もしなくても気化・蒸発して、繊細な結晶の形は、じきに失われてしまいます。
少しでもそれを防ぐためには、できるだけ低温下で、手早く作業をする必要があります。そのための工夫を十分こらした点に、利位の非凡な才はありました。
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でも、そもそも利位が関東平野のど真ん中、下総古河で、あるいはまた大阪城代や京都所司代務めをしながら、それができたということ、それは取りも直さず、江戸時代の日本が今よりもずっと寒冷だったことを意味しており、それは農作物の不作と直結していました。
(続編より。「於大阪城中所採」の記載が見えます)
当時、毎年のように飢饉や打ちこわしが起こったのは、農業技術が未発達だったというだけでなく、そもそもの気象環境が、今よりもずっと過酷だったのです。
そして、利位は幕閣として、飢饉や打ちこわしに現実的に対処する立場の人間でした。それだけでも、彼がマンガチックな「呑気な殿様」などではなく、こわもての面があったことを窺うに足ります。
彼は大阪城代時代、例の大塩平八郎の乱を鎮定した功績で、さらに出世を遂げることになりますが、私は大塩平八郎にはすこぶる同情的なので、「敵役」である土井利位に対する思いは一寸複雑です。
とはいえ、そんな劇務の中でも、雪を観察する時間を捻出して、顕微鏡をのぞき続けたこの人物を、私はたいそう興味深く思いますし、小林氏の視線もまさにそこに向けられています。
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普及版の方も、『雪華図説』の復刻パートは、小林氏の論考パートとは別の、ちょっとニュアンスのある紙が使われており、決して悪くない風情ですけれど、特装版の方は、さらに和の表情に富み、利位の時代に精神を飛ばすための恰好のツールとなってくれます。そして、上のような時代相と、当時の人々の心情を思う時、雪は真に美しく、同時に恐るべきものだ…ということが、冊子の向こうにしみじみと感じられます。
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今日は遠くの山の上に、冬の入道雲がむくむくと湧き、冷たく光っていました。
今週は再び雪が降ると、週間天気予報は告げています。
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