足穂氏、フランスで歓喜す(1)2018年01月16日 06時44分27秒

引き続き天文の話から逸れますが、「タルホチックなもの」として、ここでどうしても紹介しておきたい品があります。それは、1928年にフランスで撮影された、ステレオ写真のガラス乾板です。


ガラス乾板は、銀塩フィルムと同様、そこで得られるのは多くの場合ネガ像ですが、ここでは「白黒リバーサル現像」を行うことで、直接ポジ像を得ています(…ということらしいんですが、例によって聞きかじりです)。


乾板の判型は、ステレオ写真用の4.5×10.7cm判。
それぞれT字型の金属フレームで補強されています。

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さて、これらのステレオ写真のどこがタルホチックなのか?
それは、ずばり被写体です。

これらは、フランス中部の町・ディジョンで開催されたモーターレースと、同市から飛び立つ複葉機を撮影したもので、自動車と飛行機とくれば、これは文句なしにタルホチックな存在。

今やすっかりセピアに沈む、90年前の晴れやかな光景。
手元には自動車レースのステレオ写真が6点、飛行機のそれが5点あります。
その画面の向こうに、足穂氏の気配を感じ取ってみます。


(この項つづく)

足穂氏、フランスで歓喜す(2)…オートレース観戦2018年01月17日 07時11分06秒

タルホといえば何といっても飛行機ですが、自動車との関わりも、古くかつ深いものがあります。

彼の「パテェの赤い雄鶏を求めて」(『タルホ大阪・明石年代記』、人間と歴史社、1991所収)を読むと、特に「オートモービル」の章が設けてあって、幼時に刷り込まれた自動車の思い出が懐かしく綴られています。

それは、物心ついたころに見た、乗合自動車のコバルトブルーの車体に描かれた金の星であったり、西洋人の自動車から聞こえるラッパの音階であったり、車の正面にある「蜂の巣」(ラジエーター)の奥から噴き出す、生暖かい風であったりするのですが、足穂はその最後をこんなふうに結んでいます。(原文傍点は太字で表記)

 「フランシス=ピカビア編集の“Cannibale”第二号に、『自動車濫用に中毒した二人の露出狂』と題して、ピカビアとツアーラ御両所のフォートコラージュが載っている。私はこれを見て、昔の自動車の世紀末的なエグゾーストの匂いを思い合わした。もはや今日では自動車は(オートバイ、飛行機も合わして)香りなきものに成り果てているが、曾ての日の排気ガスは自分には「ベルグソンの薔薇」であった。バラの匂いが幼年時代を喚び起すわけではない。人には常に薔薇そのものの上に彼の「取戻せない日々」を嗅ぐのである。私もまた雨降る秋の夕べの自動車のエグゾーストに、我が失われし時を嗅いでいる。」

足穂にとっては自動車のエグゾーストの匂いこそ、プルーストの「紅茶とマドレーヌ」であり、甘美な魂の故郷を象徴するものだったのです。

派手にエグゾーストを振りまきながら、颯爽と駆ける自動車の群れ―。
足穂氏とともに、ステレオ写真で「あの日、あの場所」に立ち返ってみます。

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ときは1928年5月17日。ところはフランス、パリ南東に位置するディジョンの町。
この日開催されたレースのことは、以下のページに詳細が出ています。

the BUGATTI revue
それによると、ディジョンの町では、前年の1927年にモーターレースが始まり、この1928年には、レーシングカー部門とスポーツカー部門に分かれて、4時間耐久レース(と2時間耐久のオートバイレース)が開催されたそうです。


固唾をのんで見守る町の人々。警官らしき人も、もはや警備そっちのけです。


町の外周にも人が群れ、未舗装の道路を疾走する車に声援を送っています。


三脚を据える暇もなかったのでしょう。猛スピードで走る車を追って手ぶれした画面に、リアルな臨場感が漂います。


上と同じ場面を写した写真。こちらはマシントラブルでしょうか。車を降りたドライバーが、渋い顔をして歩いています。


白いエグゾーストを残し、古風なレーシングカーは次々に街路を走り抜け、熱戦はまだまだ続きます。

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ときに、上にリンクしたページで、このレースには女性ドライバーも参加していたと知って、無性にカッコいいなあ…と思いました。しかも驚くべきことに、レースを制したのも女性でした。優勝したマダム・ジェンキーことジャニーヌ・ジェンキー(Jannine Jennky)は、愛車ブガッティを駆って、平均時速137キロオーバーを叩き出した…というのですから、これにはさすがの足穂氏も口あんぐりでしょう。

この件、ちょっとジブリっぽいエピソードですけど、この1928年は、アドリア海でポルコ・ロッソが、空賊相手に派手な空中戦を演じていた頃(正確な時代設定は1929年)と聞けば、なるほどと深くうなずけるものがあります。そして、極東の島国では、若き日の足穂氏が、『天体嗜好症』を上梓した年でもあります。

むせ返るようなハイカラさに酔いつつ、次は複葉機の雄姿を眺めに行きます。

(この項つづく)

足穂氏、フランスで歓喜す(3)…空へ、高く。2018年01月18日 07時09分10秒

夕べは雨上がりの町を、夜遅く歩いていました。
雨に洗われた空の透明度がすごくて、鮮やかに輝く星たちの姿に、一瞬昔の視力が戻ったような錯覚すら覚えました。そして、星の配置に春の気配を感じました。

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さて、自動車レースで、マダム・ジェンキーが優勝を決めた2日前の1928年5月15日。
この日、ステレオカメラの持ち主は、ディジョンの飛行場で、複葉機の前に立っていました(何だかやたら活動的な人ですね)。

(うっすら見える細かい縦じまは、スキャン時についたもの)

そのカメラが捉えた複葉機と関係者たちの横顔。
垂直尾翼に見える「BRE.19 No.60」の文字は、「ブレゲー(Breguet)19型 60番機」の意でしょう。ネット情報によれば、ブレゲー19は、1924年に開発され、軽爆撃機や偵察機として活躍したフランスの軍用機です。

ディジョンと軍用機の取り合わせはごく自然で、ディジョンには、フランス空軍の大規模な基地がありました(ディジョン=ロンビック空軍基地。ロンビックはディジョンの隣町の名です)。

画面右手、飛行服に身を包んだ人が、ブレゲー19を操ったパイロットでしょう。画面を引っ掻いて書いたキャプションには「Wizen」という名が見えます。ドイツ系っぽい名前ですが、当時はれっきとしたフランスの空の勇士。

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さて、この写真を撮った無名氏。飛行機をカメラに収めただけでは終わらず、何と自ら飛行機に乗り込んで、機上からステレオ写真撮影に挑戦しています。


機上から見るロンビックの町。


操縦かんを握る、精悍なウィーゼン飛行士。
では、その後ろに座って、盛んにシャッターを押していたのは誰かといえば…


ウィーゼン氏の隣で、これまた飛行服を着込んでにこやかに笑っている男性がそれに違いありません。この1枚だけは、他の人にシャッターを押してもらったのでしょう。

では、軍用機に乗り込んだ、この無名氏もまた軍人だったのか?
最初はそう思いました。でも、軍人がカメラを機内に持ち込み、遊山気分でパシャパシャやるのは不自然なので、彼は何らかの伝手で、たまたま同乗の機会を得た民間人、おそらく報道関係者では…というのが、私の推測です。


眼下に見下ろす遥かな大地
ゆっくりと蛇行する河
機械的なプロペラ音
冷たい風を切る翼の音――

それにしても、これらの写真乾板は、いずれも世界に1枚きりの原板ですから、まさに無名氏とともに空を飛び、その光景を目にした「生き証人」に他なりません。そのことを思いつつビュアーを覗いていると、「自分は今まさに90年前の空を飛んでいるのだ…」という奇妙な感覚に襲われます。

(レンズの向こうに見えるのは、昨日見たレースの光景)

「空中飛行はたしかに人生最高のほまれにぞくするもの」とまで語った足穂氏とともに、今しばらくその余韻を味わうことにします。

信じる者は…2018年01月20日 14時59分43秒

どうしても1回だけクダラナイことを書かせてください。
(まあ、毎回かもしれませんが、いつにも増してクダラナイことです。)

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火星の人面岩というのが、以前、話題になりました。
手っ取り早くウィキペディアから、「火星の人面岩」の記載をそのまま書き写します。

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1976年7月25日、NASAのバイキング1号が撮影した火星表面の写真の中に奇妙なものが発見された。

それは、火星のサイドニア(シドニア)地域を撮影したものの中に長さ3km、幅1.5kmに及ぶ巨大な人の顔のような岩が写っているというものだった。NASAは「光と影の具合で、岩山が偶然人の顔のように見えるだけ」と発表したが、NASAの見解に納得しない者たちは独自に画像の分析をして「人面岩には眼球や歯のような物がある」「涙を流した跡がある」「人面岩の付近にはピラミッドのような建造物がある」「口が動き、何らかの言葉を発している」等といった見解を発表し、その度に世界中で話題になった。

〔…〕その結果、「人面岩は古代火星人の遺跡だ」「地球人が火星に建造した人工物だ」等の憶測を呼び、SF映画『ミッション・トゥ・マーズ』、ビデオゲームなどフィクションの題材となり、テレビ番組や音楽の分野でも取り上げられた。

(バイキング1号が撮影した人面岩の写真。出典同)

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ここにキリストは登場しませんが、あれをキリストの顔に見立てて、無性に有り難がる人まで現れて、一時はかなり喧(かまびす)しい状況でした。

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(庶民のたくましい生活力を感じる光景)

このことをふと思い出したのは、今朝洗面台の前に立とうとして、ふと洗濯機の上を見たら、そこにキリストがいたからです。


どうでしょう、その御姿が見えますか?
救い主が、民家の洗濯機上のビニール袋に顕現されるとは、まったく予想していなかったので、大いにうろたえ、かつ畏れ多く思いました。

…と、軽口を叩くと、それこそイエス・キリストに対して畏れ多いことになりますが、でも火星の表面の凸凹に妙な解釈を施したり、ビニール袋のしわを伏して拝んだりするのは、キリストその人だって、「そんなクダラナイことはやめておけ」と言うに違いありません。

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いずれにしても、人面岩騒動は人の愚かさのみならず、ヒトの外界認識の基本特性について、多くのことを教えてくれるエピソードでした。

飛行機から見た星(前編)2018年01月21日 08時47分40秒

星座早見盤は、もちろん天文趣味人が星見の友に使うものですが、昔の早見盤を探していると、それとはちょっと違う性格のものに頻繁に出会います。

それは飛行機乗りのための星図盤です。
その方面にうといのですが、おそらく1950年代、朝鮮戦争のころから、飛行機の世界では電波航法が主流となり、天文航法はすたれたように思います。でも、それ以前は、夜間飛行の際、星を手掛かりに方位を見定めたので、飛行機乗りには星の知識と専用の星図盤が不可欠でした。

eBayによく出品されているのは、主要な星を印刷した円盤と、緯度に応じた方位グリッドを印刷したプラ板を重ねて用いるタイプの品です。

(eBayの商品写真を寸借)

星と飛行機に縁のあるもの…という点では、一寸気になりましたが、さすがに本来の蒐集フィールドとは遠いし、プラスチックの質感も気に入らないので、これまで手にすることはありませんでした。

でも、先日こんな素朴な紙製の星図盤を見つけました。


■Francis Chichester
 The Observer’s Planisphere of Air Navigation Stars
 George Allen & Unwill Ltd. (London), 1942.

著者のフランシス・チチェスター(1901-1972)は、手練れのパイロットにして天文航法の専門家。星図出版当時は、英国空軍志願予備軍(Royal Air Force Volunteer Reserve)に所属する空軍大尉でしたが、年齢と視力の関係で、大戦中、実戦に就くことはありませんでした。そして、戦後は空から海に転身し、ヨットマンとして後半生を送った人です。(英語版Wikipedia「Francis Chichester」の項を参照)

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で、この飛行機乗り向けの簡便な星図盤を眺めていて、大いに感ずるところがあったので、以下そのことを書きます。

(この項つづく)

飛行機から見た星(後編)2018年01月23日 21時30分39秒

この星座盤は、4層(4ページ)から成っています。

まずは星座盤のページ。丸い星座盤本体は、普通の星座早見同様、日にちと時刻を合わせられるよう、真ん中の鋲留めを中心にぐるぐると回転します。

(北天用星図)

その次に、星の見える範囲をぐるっと切り抜いたマスクページが来ます。
日にちと時刻をセットした星座盤に、マスクページをかぶせれば、その日・その時、空に見える星たちが、そこに表示されます。


マスクページと星座盤は、さらに南天用のものが1セットあるので、合計4ページというわけです。


ちなみに、この星座盤が表現しているのは、北緯50度(ヨーロッパ北部とアメリカ中北部)と、南緯35度(オーストラリア南部、ニュージーランド、南アフリカ、アルゼンチン)から見た空です。厳密には、そこから外れるとマスク盤の「窓」の形状を変えないといけないのですが、著者のチチェスターは、「南緯35度~北緯70度の範囲ならば実用に差し支えない」と書いています。

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ところで、前回、この星座盤を見て大いに感ずるところがあった…と書きました。
それは、星座盤の裏面解説で「星の覚え方」という解説を読んだときのことです。


チチェスター大尉は、こんな手順を推奨しています(以下要旨)。

(1)まず南北両天の「マスターグループ(MASTER GROUP)」を覚えなさい。
(2)次いでマスターグループに付随する「キーグループ(Key Groups)」を覚えなさい。
(3)次いでそれらに属する航行指示星(navigation stars)を覚えなさい。
(4)さらに、それ以外の航行指示星を、最寄りのキーグループとの位置関係で覚えなさい。

ここでいう「マスターグループ」や「キーグループ」というのは、通常の星座とはちょっと違います。

北天でいうと、「北斗グループ(The Plough Group)」がマスターグループになります。北を見定める一番の手掛かりというわけでしょう。この北斗グループには、北斗七星と、ひしゃくの柄を伸ばした先にあるアークトゥルス(うしかい座)やスピカ(おとめ座)が含まれます。

さらにキーグループに挙がっているのは、「大鎌グループ(The Sickle Group、しし座のいわゆる「獅子の大鎌」の星々)」、「ペガススグループ(The Pegasus Group)」、「オリオングループ(The Orion Group)」、「北十字グループ(The Northern Cross Group、はくちょう座の「北十字」を中心とした星々」といった区分けです。

例えば「ペガススグループ」は、星座のペガスス座に限らず、その周辺に広がる一大グループで、ペガスス座の大四辺形と、その上底を伸ばした先にあるミラク(アンドロメダ座)、ミルファク(ペルセウス座)、その近傍に光るハマル(おひつじ座)、アルゴル(ペルセウス座)、四辺形の向って右辺を南に延長したフォーマルハウト(みなみのうお座))、さらにペガススの北に固まるカシオペヤ座のWを含んでいます。

ここでもう一度同じ星図を掲げます。


チチェスター大尉の説明を読み、この星図を眺めているうちに、「うーむ、これこそ現代の我々に必要な星座早見盤ではあるまいか…」と思ったのが、今回私が深く感じたことです。

(星座盤の星名一覧)

通常の星座早見盤に比べて、1等星と2等星の一部しか載っていないこの星図は、いかにもスカスカです。でも、最近の都会地で見上げる空は、ひょっとしたら、これよりもっとスカスカです。街中で暮らす子供たち(大人も)に必要なのは、実はこういう星座早見であり、そして大尉が推奨する星の覚え方なんじゃないかなあ…と思ったわけです。

そしてまた、星の乏しい環境では、星座名を覚えるよりも先に、恒星の固有名を覚える方が簡単だ――少なくともリアリティがある――ということも同時に感じました。「本当はあそこに星があって、あっちの星と線で結ぶとこんな形になって…」と、見えない星座のことをあれこれ考えるのは侘しいものです。だったら、いっそありありと目に見える恒星の名を先に覚えてしまえ…という、これはちょっとしたコロンブスの卵。

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結論として、この星座盤は昔の飛行機乗りだけではなく、現代を生きる我々にピッタリの、チチェスター大尉からの素敵な贈り物じゃないでしょうか?

雪の便り2018年01月25日 22時37分15秒

春の気配を星に感じたと思ったら、関東に続いて中部も雪。
それもほどろな春の雪なんかでなくて、妙に雪質のいい、パウダースノーが、さっきまで晴れていた空をあっというまに覆い尽くし、一時は何かただならぬ感じがしました。

こんなふうに太平洋側の人間は、1年に何べんもない降雪にオロオロしますが、今回は1年に1回だけ舞い降りる雪片の話題。

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雪の写真師、ウィルソン・A.ベントレー(1865-1931)が撮影した雪の結晶写真をもとに、彼の故郷の記念館が、毎年新たにデザインするグッズ類のことは、1年前も記事にしました。

■白銀の雪

今シーズン(2017年)の新デザインのテーマは、下の結晶です。


ピューター製の美しい樹枝六花。
炎に投じぬ限り、永遠に融けない雪。

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雪は美しいものですが、人間生活と軋轢を生じると、恐ろしい顔を見せます。
そしてまた、普段心の奥にしまってある思いを、ゆくりなく引き出すものでもあります。

 犬棄てし子 心に雪ひそと積む       三汀
 昔 雪夜のラムプのやうな ちひさな恋  鷹女
 酒のめば いとゞ寐られぬ 夜の雪     芭蕉

人の心が様々であるように、心の中の雪景色もまた様々ですね。


透過式オーラリー2018年01月28日 11時55分04秒

今更ですが、私はこれまで天文にちなむ古物を、随分買ったり眺めたりしてきました。
それでも、天文古玩界はまことに広く、「もはや日の下に新しきものなし」…なんて、チラとでも思ったら、それは慢心以外の何物でもありません。

今日も今日とて、「ウワー!コレハタマランナー!!」という品を見ました。
(これだから、天文古玩の世界から離れられないのです。)



1817年頃、イギリスのEltonというメーカー(伝未詳)が売り出した、一種の天文教具です。マホガニーのケースに仕組まれたカラフルな天文図が、ハンドルを回すとくるくるスクロールするようになっていて、それだけでも面白い工夫ですが、さらに背後から灯りで照らすと、星たちの姿が灯籠絵のように、一層あざやかに浮かび上がるという、まことに艶麗な「天文紙芝居」が楽しめる装置です。

そこに展開するのは、
①地球とその大気、②地球の二重運動(自転と公転のこと?)、③黄道12星座の記号、④オリオン座、⑤月とその見え方、⑥日食、⑦月食、⑧太陽系
の8つの光景です。

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太陽系の惑星の動きをシミュレートする器械装置である「オーラリー」とは、その構造も目的も少なからず異なりますが、この種の教具を「透過式オーラリー(Transparent Orrery)」と称するそうです。

商品紹介文には、当時、ロンドンで天文学講演家として活躍した、アダムとディーンのウォーカー父子の名前が挙がっていて、彼らが透過式オーラリー、別名「エイドウラニオン(Eidouranion)」という装置を用いたことに触れて、上の品もその類品であると解説しています。

ここで「Eidouranion」を検索すると、Wikipediaにその項目がありました。
それによれば、父親であるアダム・ウォーカーは、1780年代に、直径27フィート(8.3メートル)の巨大な像を、背面投影でスクリーンに映写し、さらにその像を機械仕掛けで動かすという装置を発明して、ロンドンの大劇場で公演したそうです。(ちなみにその名称は、ギリシャ語のエイドス(形、姿)とウラノス(天空神)を組み合わせた造語です。)

(Wikipediaの上記リンク先より)

上の品は、ここに登場するエイドウラニオンともまた違いますが、現代のプラネタリウムと同様、透過式オーラリーにも、舞台用の大掛かりな装置から、家庭用の小型装置まで、大小さまざまな品が売られていたのでしょう。(書いているうちに思い出しましたが、天文古玩界の先達、トマス・サンドベリさんのサイトでも、フランス製の小型透過式オーラリーが紹介されていました。)

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件の品はすでに売却済みで、果たしていくらで売れたのかは不明です。
まあ、買える買えないは別として、こういういかにもミュージアムピース的な品が、時に「売り物」としてマーケットに登場するのは、何となく嬉しい事実です。

値段のついでに言うと、この品は1817年当時、定価15シリングだった由。
もののサイトで、今のお金に換算すると、物価ベースだと50ポンド、邦貨にして8,000円ぐらい。あるいは賃金ベースだと、その10倍ちょっとになります(昔は多くの人が貧しく、物は相対的に高かったのです)。間をとって4~5万円ぐらいと考えれば、まあそんなものかという気がします。

今もその値段で買えるといいのですが、200年という歳月に敬意を表して、そこに歳月代を上乗せすれば、やっぱり相当な値段になってしまうことは、やむをえません。

君の名は『雪華図説』(前編)2018年01月29日 20時52分21秒

昨日は底冷えのする日で、午後から再び白いものが舞いました。
季節柄、また雪にちなんだ話題です。

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NHKのラジオドラマが人気を博し、その後何度も映像化された「君の名は」。あれは戦中・戦後を舞台に、運命に翻弄され、何度もすれ違いを続けた男女の物語でした。
そして、新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」も、時空の奇妙なねじれによって、会えそうで会えない高校生カップルの、じれったいエピソードの連続が、ストーリーの縦糸になっていました。

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ああいうことって、確かにあるぞ…と思います。
私がすれ違いを続けたのは、『雪華図説』です。

『雪華図説』は、下総古河を領した土井家第11代当主にして、幕閣として老中首座にまで上りつめた、土井利位(どいとしつら、1789-1848)が、自ら観察した雪の結晶図を集めた、江戸時代を通じて最も精緻な雪の結晶図鑑。

結晶86種を収めた正編は、天保3年(1833)に、また同じく97種を収めた続編は、天保11年(1840)に出ました。ただ、『雪華図説』は正・続とも、この“雪の殿様”が私家版で出したものらしく、昔も今もとびきりの稀書ですから、古書市場に出れば、すぐに100万円以上の値がついてしまいます。

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もちろん私が欲しかったのは、本物ではありません。
昭和になって築地書館から出た復刻版の方です。この復刻版にも一寸とした歴史があって、築地書館からは1968年と1982年の2回にわたって復刻版が出ています。

奥付の表記に従えば、1968年版は、
○小林禎作(解説)、『正・続<雪華図説> 雪華図説・考』
というタイトルで、『雪華図説』の複製に、小林禎作氏による「雪華図説考」という書誌学的論考を付したもの。

一方、1982年版の方は、
○小林禎作(著)、『雪華図説 正+続 [復刻版] 雪華図説新考』
となっていて、小林氏が自らの「雪華図説考」に、旧版以降の新知見を盛り込んで、全面的に改稿した、「雪華図説新考」を併載したものです。

解説者/著者である小林禎作(1925-1987)は、中谷宇吉郎が創設した北大の低温科学研究所の教授(旧版時は助教授)を務めたプロの雪氷学者。その専門から派生して、土井利位の事績を追究し、その成果を問うたのが、新旧2つの復刻版でした。

(旧版の箱と本体。杉浦康平氏による和テイストの装丁)

(同。『雪華図説』を復刻したページの一部)

(新版。こちらも装丁は杉浦康平氏)

(同。「雪華図説新考」の冒頭)

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で、私は最初に1982年版を、次いで1968年版を手に入れ、ここまではごく順調でした。でも、よくよく話を聞いてみると、1968年版には、さらに正・続の『雪華図説』を和本仕立てで復刻した「限定版」というのがあると知って、オリジナルの雰囲気を味わうには、ぜひ限定版を手にしなければ…と思ったのです。

しかし、勇んで探し始めたものの、どうもタイミングが合わず、逢えそうで逢えない状態が、結局その後何年も続いたのでした。

(この項つづく)

君の名は『雪華図説』(後編)2018年01月30日 22時46分21秒

1968年に出た復刻版『雪華図説』の限定版。



全部が1冊にまとまった普及版とは異なり、こちらは夫婦箱(クラムシェルボックス)に、正編と続編の2冊が、それぞれ和本仕立てで収まっており、さらに小林禎作氏の『雪華図説考』が別冊で付属します。


当時400部作られ、私の手元にある本はNo.178。
限定版とはいえ、400部というのは決して少なくない数ですから、タイミングさえ合えば必ず入手できるとは思ったものの、そのタイミングが長いこと合いませんでした。

(『雪華図説』正編冒頭)

結局、最初の1982年版の購入から、足掛け9年かけて、ようやく昨年の暮れに限定版を入手できたのですが、そのきっかけがネットではなく、昔ながらの古書店のカタログを通じてだった…というのは、この本の雅趣に照らして、ちょっと嬉しかったです。

まあ、苦労自慢めいた話は脇に置いて、ここで『雪華図説』の世界を少し覗いてみます。

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「雪の殿様」、土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)――。
ひたすら雪の結晶観察に打ち込んだ殿様と聞けば、何となく浮世離れした好人物を連想します。しかし、歴史の文脈に彼を位置付けると、ちょっと違う相貌が見えてきます。

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小林禎作氏の解説にもありますが、雪の結晶観察は、傍から見て思うほど簡単なものではありません。チラッと見るだけならいいのですが、その細部をスケッチしようと思えば、当然、ある程度の時間、雪の結晶を眼前にとどめておく必要があります。でも、雪というのは人間の体温が伝われば一瞬で融けてしまうし、何もしなくても気化・蒸発して、繊細な結晶の形は、じきに失われてしまいます。

少しでもそれを防ぐためには、できるだけ低温下で、手早く作業をする必要があります。そのための工夫を十分こらした点に、利位の非凡な才はありました。

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でも、そもそも利位が関東平野のど真ん中、下総古河で、あるいはまた大阪城代や京都所司代務めをしながら、それができたということ、それは取りも直さず、江戸時代の日本が今よりもずっと寒冷だったことを意味しており、それは農作物の不作と直結していました。

(続編より。「於大阪城中所採」の記載が見えます)

当時、毎年のように飢饉や打ちこわしが起こったのは、農業技術が未発達だったというだけでなく、そもそもの気象環境が、今よりもずっと過酷だったのです。

そして、利位は幕閣として、飢饉や打ちこわしに現実的に対処する立場の人間でした。それだけでも、彼がマンガチックな「呑気な殿様」などではなく、こわもての面があったことを窺うに足ります。

彼は大阪城代時代、例の大塩平八郎の乱を鎮定した功績で、さらに出世を遂げることになりますが、私は大塩平八郎にはすこぶる同情的なので、「敵役」である土井利位に対する思いは一寸複雑です。

とはいえ、そんな劇務の中でも、雪を観察する時間を捻出して、顕微鏡をのぞき続けたこの人物を、私はたいそう興味深く思いますし、小林氏の視線もまさにそこに向けられています。

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普及版の方も、『雪華図説』の復刻パートは、小林氏の論考パートとは別の、ちょっとニュアンスのある紙が使われており、決して悪くない風情ですけれど、特装版の方は、さらに和の表情に富み、利位の時代に精神を飛ばすための恰好のツールとなってくれます。そして、上のような時代相と、当時の人々の心情を思う時、雪は真に美しく、同時に恐るべきものだ…ということが、冊子の向こうにしみじみと感じられます。


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今日は遠くの山の上に、冬の入道雲がむくむくと湧き、冷たく光っていました。
今週は再び雪が降ると、週間天気予報は告げています。