ハンミョウの教え ― 2018年02月19日 20時14分15秒
ほぼ半月ごとにやってくる「二十四節気」。
節分後の立春に続いて、今日は「雨水(うすい)」。このあとは「啓蟄」、「春分」…と続きます。そう聞けば、春寒のうちにも真の春が近づいたことを知ります。
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ふと思いついて、今日は昆虫の話題です。
ハンミョウは、「キキンデラ・ヤポニカ」の学名どおり、日本の固有種で、ハンミョウ科の中では日本最大の種でもあります。「ハンミョウ」という語は、ハンミョウ類の総称としても使われるので、特にこの種を指すときは、「ナミハンミョウ」という言い方もします(「アゲハ」と「ナミアゲハ」の関係と同じです)。
生きているときは、妖しいほどに美しい甲虫ですが、死後はすみやかに色が褪せてしまいます。この標本も、これだけ見ると美麗な感じですが、宝石のような生体とは比ぶべくもありません。何となく「落魄(らくはく)」という言葉を思い浮かべます。
(ウィキペディアより)
ハンミョウの美しい色彩は、命の輝きそのものです。
そして、ハンミョウのような目に見える華麗さはないにしろ、人間だって、他の生物だって、生きている限りはこんな輝きを放っているに違いないと思うのです。
ここで私の心には、さらに二つの思いが去来します。
「どんなに立派な輝きを放っても、死んでしまえば終わりじゃないか」という思いと、「だからこそ、その輝きが大切なんだよ」という思い。もちろん、どちらが本当で、どちらが嘘ということはなくて、いずれも真実です。
個人的な実感を述べると、人生が長く感じられた若い頃には、前者の思いが強く、余生が乏しくなった現在は、後者の思いに、よりリアリティを感じます(若い頃は、何となく後者を建前のように感じていました)。身近な人のことを考えるとき、一層その思いは強く、今を精いっぱい輝いて欲しいと願うばかりです。
ハンミョウの命の輝きを奪った当の本人に、果たしてこんな述懐が許されるのか、疑問なしとしません。でも、死せるハンミョウは、蓮如上人の「白骨の御文」よりも、腐朽する屍に生の無常を観ずる「九相図」よりも、さらに鮮やかに生と死の意味合いを、私に告げてくれている気がします。
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