鉱物学のあけぼの…『金石学教授法』を読む(3)2018年02月25日 09時57分20秒

(続き物のはずなのに、1本目はタイトルが「鉱物学のあけぼの」、2本目は「鉱物学の黎明」と不統一でした。改めて「あけぼの」で統一します。)

今日は純粋なおまけです。すなわち本の中身ではなく、印刷の話。
この本を読んでいて、この本はどうやって刷られたのかな…というのが気になりました。


この文字は木版で間違いないですが、線によって西洋風の陰影表現を施した一連の挿絵も木版なのでしょうか?


でも、タイトルページの、この繊細な装飾模様を木版で生み出すなんて、到底不可能に思えます。まあ、浮世絵美人の髪の生え際の極細の彫りを見れば、絶対に不可能とも言えませんが、そんな超絶的な技巧を駆使してまで出版する必然性はないので(これはあくまでも一般向けの本です)、それは考えにくいです。

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次に思ったのは、これは同じ木版でも、旧来の木版本のような柔らかい版木ではなく、緻密で堅い樹種を選び、しかも幹を胴切りにした「木口(こぐち)」に版を彫る、「木口木版」で刷られたのではないか…ということです。(これに対し、旧来のものは「板目木版」と呼ばれます。)

木口木版は18世紀末にイギリスで生まれ、そのため「西洋木版」の称もありますが、銅版と見まごうほどの細密表現が可能なことや、銅版と違って凸版なので、本文活字と一緒に版を組んで、まとめて刷れる便利さから、19世紀の出版物では、挿絵の主流となりました。当時の天文古書でも、本文中に挿入された図は、ほぼすべて木口木版です。(本文とは別に、挿絵だけが独立したページになっている場合は、やっぱり木口木版の場合もありますが、銅版だったり石版だったりのことが多いです。)

(木口木版による挿絵の例。1881年にロンドンで出た、著者不明の『Half Hours in Air and Sky』より)

しかし、よく話を聞いてみると、日本における木口木版のスタートは、明治20年(1887)で、最初は教科書の口絵から始まり、その後一般の出版物にも普及したそうですから、明治17年に出たこの本に、それが登場するのは一寸時代が合いません。(板目木版と木口木版は材の違いだけでなく、使う道具も、彫り方もまるで違うので、その技法は一から学ばねばなりません。洋行してそれを学んだ彫り師が帰国したのが、明治20年の由。 → 参考文献(2) 参照)

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そこで、何かヒントはないかと思い、先ほどの表題ページをさらにじっと見てみます。


すると、この堂々たる隷書体のタイトルは、文字の内部が黒一色ではなくて、細い線をびっしり彫って黒っぽく見せていることが分かります。これは本文中の挿絵にも共通する特徴で、いずれも凹版の線で、広い面積を黒く見せる工夫ですから、結局、これは銅版印刷だと分かります。

もし、これが木版だったら、陽刻した凸版の絵柄や文字に、そのまま墨やインクを載せて刷ればいいので、こんな工夫をする必要はありません。


例えば、この明治4年(1871)出版の『博物新編』の挿絵は、全体の雰囲気は『金石学教授法』と似ていますが、黒い部分は墨のベタ刷りで、さらにそこに木目が見えることから、これが旧来の板目木版を用いていることが明瞭です。

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すると今度は、日本における銅版挿絵の歴史は…という点に関心が向きますが、この点は今後の自分の宿題として残しておきます。

今は 参考文献(3) にある、「司馬江漢や亜欧堂田善が学んだ銅版印刷は、残念ながら日本ではあまり普及しませんでした。眼鏡絵や人体解剖図以外では、観光名所絵、地図、博物書の扉絵などごく限られた分野で利用されたに過ぎません。」という程度の記述で我慢しなければなりません。

ともあれ、この『金石学教授法』は、銅版と木版を二度刷りして仕上げた、なかなか凝った本で、明治前半の出版事情の一端が窺える点でも、興味深く思いました。


【参考文献】

(1)東書文庫:教科書の印刷(1)木版
(2)東書文庫:教科書の印刷(2)木口(こぐち)木版
(3)日本における腐食銅版印刷の曙

驚異の象牙人形(1)2018年02月27日 07時00分42秒

昨夕、机の上を片付けて早々と職場を出たら、空はまだほんのりと明るく、西の方は薄紅色に染まっていました。寒い寒いと言っているうちに、日脚がいつの間にか伸びて、確かな春がそこに来ているのを感じました。

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さて、さらにヴンダーな話題に分け入ります。まずは下の写真をご覧ください。


実際のところは分かりませんが、イメージ的には、ヴンダーカンマーを名乗るなら、是非あってほしいのが、こうした象牙製のミニチュア解剖模型です。

以前、子羊舎のまちださんに、その存在を教えていただき、見た瞬間、「いったいこれは何だ!」という驚異の念と、「うーむ、これはちょっと欲しいかも…」という欲心が、同時に動いたのでした。

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しかし、調べてみるとこれがなかなか大変なもので、その価格たるや、ボーナム社(ロンドン)のオークション・プライスが4,000ポンド(約60万円)…というのは、まだかわいい方で、ドロテウム社(ウィーン)のオークションでは、実に41,500ユーロ(約546万円)で落札されています。まさにお値段もヴンダー。象牙製品の取引規制の問題を脇に置いても、これを個人で手元に置くのは、相当大変です。

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でも、今回いろいろ調べて、この手の人形のことに少し詳しくなりました。
例えば、以下の記事。

K. F. Russell、「IVORY ANATOMICAL MANIKINS」
 Medical History. 1972 Apr; 16(2): 131–142.
 
ラッセル氏によると、こうした象牙人形は、いずれも作者の銘がなく、時代や国を特定する手がかりが至極乏しいのだそうです。ただし、各種の情報を総合すると、制作年代は17世紀から18世紀、主産地はドイツで、次いでイタリアとフランス。この3国以外は、イギリスも含めて、おそらく作られなかったろうと推測されています。

現時点における推定残存数は、約100体。その主な所蔵先は、ロンドンのウェルカム医学史研究所や、米ノースカロライナのデューク大学、あるいはオハイオ州クリーブランドのディットリック医学史博物館などで、まあお値段もお値段ですし、基本的には貴重なミュージアム・ピースという位置づけでしょう。

ラッセル氏は、それらの人形を丁寧に比較検討して、髪型とか、枕の形とか、内臓表現といった外形的な特徴に基づいて、8つの系統に分類しています。当然、それは作者や工房の違いによるものと考えられます。

(上記論文より。下からラッセル氏の分類によるグループⅢ、グループⅣ、グループⅤに該当する各種の人形)

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では、そもそもこうした解剖模型は、何のために作られたのか?

残された人形には、男性像も女性像もありますが、圧倒的に多いのは女性、しかも妊婦の像です。ラッセル氏によれば、これらの妊婦像は、一般の人に生理学の基礎――特に妊娠にまつわる事実を教えることを目的としたもので、1865年頃になっても、なお象牙人形で花嫁教育を受ける女性がいたエピソードを紹介しています。

一方下のリンク先(上述のディットリック博物館のブログ)には、また別の見解が示されています。



筆者のカリ・バックレイ氏は、上のような通説に対して、これらの妊婦像は、男性医師が自らの部屋に飾ることで、訪れた患者たちに、自分が産科に熟達していることを、問わず語りにアピールするためのものだ…と述べています。

まあ、正解は不明ですが、いずれにしても、こんな簡略なモデルでは、解剖学の実用レベルの知識を伝えることはできないので、むしろそれっぽいイメージや雰囲気を伝えることに主眼があったのだ…というバックレイ氏の主張には、説得力があります。

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さて、この珍奇な品をめぐっては、まだ書くべきことがあります。

(この項つづく)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

現在進行中の「裁量労働制」をめぐる論戦。
制度の導入を待望しているのが、労働者側ではなく、経営者側だ…という時点で、その意味するところは明白で、別に悪意のこもったレッテル貼りでも何でもなしに、あれは「働かせ放題、残業代ゼロ」のための法案だということは、誰の目にも明らかでしょう。(何となく「滅私奉公」という言葉を連想します。)

まあ、非常に分かりやすい話ではあるのですが、企業家にせよ、政権周辺にせよ、そうやって労働力の収奪に血眼になる人たちは、現代の日本社会が、戦前のように人的資源を安易に浪費しうる状況だと思っている時点で、相当イカレテいるし、まさに亡国の徒という気がします。

子どもの貧困、奨学金破産、そして過労死。これらは一連のものとして、私の目には映っています。この人口減少社会において、子供たち・若者たちは、「金の卵」どころか「プラチナの卵」「レアメタルの卵」のはずなのに、なぜこうも若い世代を虐げるようなことばかり続けるのか。いいかげん弱い者いじめはやめろと、私は何度でも机を叩きたいです。

個人の権利をないがしろにする人が、同時に「自己責任」論者でもあるというのは、まことにたちの悪い冗談だと思います。

驚異の象牙人形(2)2018年02月28日 18時57分29秒

(昨日のつづき)

象牙の解剖模型に関連して特筆すべきこと。
それは他でもありません、わが家にもそれが一体眠っていることです。


頭のてっぺんからつま先まで、およそ16cm。この種のものとしては、標準的な大きさです。そして、これまたスタンダードな妊婦像。

ちょっと失礼して、おなかの中を見せてもらうと、


デフォルメされた腸やら何やらが造形されていて、順々に取り外すことができます。




右下のちっちゃいのが、子宮の中で眠る胎児。

昨日引用したラッセル氏の論文を参照すると、その特徴は「グループⅢ」と一致し、額の中央部でとがった髪の生え際や、微笑みを浮かべた面相は、論文中の図6に示された人形とよく似ています。

(左はラッセル氏の論文の図6(部分))

ラッセル氏は、先行研究を元に、このグループⅢはイタリア起源である可能性が高いと述べています。

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どうです、スゴイでしょう?
ただし、スゴイと言えるのは、これが本物であるとすれば…の話です。
もちろん、わが家にウン十万も、ウン百万もする本物があるわけはなくて、これはプラスチック製のレプリカです。

(枕に残るプラスチックの成型痕)

下は同封されていた説明書。


“SEX EDUCATION”― 16th Century”…と、ことさらに大文字で強調しているところが、何だか隠微な感じです。
(この16世紀云々はちょっと誇大で、たぶんオリジナルは17世紀のものでしょう。)

下の説明文を読むと、「ヴェサリウスは、解剖の重要性を実証したことによって、一般に近代解剖学の父と見なされている」…云々と、もっともらしいことが書かれていますが、全体の雰囲気からして、この品がどこかの観光地で、ヌード写真の飛び出すボールペンとか、エロティックなトランプなんかと並んで、「いかがわしいお土産品」として売られていたのではないか?という疑念を、捨て去ることができません。


そう思ってみると、この食い倒れ太郎の服のような薄汚れた紙箱も、


寝台の裏の「MADE IN HONG KONG」の文字も、すべてが怪しげです。そして、かつてヴンダーカンマーに秘蔵された象牙人形と同様――この部分だけはオリジナルと同じです――この品も、メーカー名の記載がどこにもありません。

この品に少なからぬお金(ええ、決して少なくありませんでした)を投じた私としては、こうした事実をどう受け止めればよいのか?

もちろん、これはレプリカと明記されていたし、私はそれを納得ずくで買ったのですから、そこに何の問題もありません(届くまで香港製とは知りませんでしたが)。だが、しかし…。

まあ、その正体不明のいかがわしさには、ちょっと乱歩チックな味わいがあるし、これこそ私のささやかな「驚異の小部屋」にはお似合いだ…というふうに興がるのが、この場合一等スマートかもしれませんね。