エジプトの星(1)2018年03月05日 07時02分09秒

前回の記事につづいて土産物の話。
エジプトに行ったことはないですが、現地の土産物屋に行くと、こういうものを売っているらしいです。

(みずがめ座とうお座)

ハガキよりもひと回り大きいパピルス片に12星座をプリントしたものです。12星座なので、当然全部で12枚あります。これをパッと見せられたとき、西洋風の12星座をエジプトっぽく描いただけの、京都で言えば新京極あたりで売っている、キッチュな観光土産の類かと思いました。


まあ、安手のお土産であることは間違いないんですが、ただ絵柄に関しては、いい加減な創作ではなくて、本当にエジプトの遺跡に描かれた星座絵を元にしていることを知りました。(だから興味を惹かれて買う気になったのです。)

ちょうど良い折りなので、ここでエジプトと12星座の関係を整理してみます。
(以下は、ほぼ近藤二郎氏『わかってきた星座神話の起源―エジプト・ナイルの星座』(誠文堂新光社、2010)の受け売りです。この本は以前も読んだはずですが、内容が頭から抜けていたので、改めて自分用にメモしておきます。)

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自分の無知を告白すると、エジプト史の基本が頭に入っていないので、私のエジプト理解はかなり頓珍漢です。平均的日本人は、おしなべてそうかもしれませんが、私のエジプトイメージも、ピラミッドとスフィンクスとツタンカーメンの「3点セット」、あるいはそれにクレオパトラを加えた「4点セット」の域を出るものではありません。(言うなれば、「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ」的日本イメージのエジプト版です。)

しかし、5000年前のエジプト初期王朝の成立、4500年前、古王国時代における巨大ピラミッドとギザの大スフィンクスの建造、3300年前、新王国時代のツタンカーメン王の治世、そして2000年前、プトレマイオス朝時代を生きたクレオパトラに至るまで、紀元前の世界に限っても、ずいぶん長い時間経過がそこにはあります。

もしクレオパトラが現代に生きていたら、ツタンカーメンは奈良時代の人だし、ピラミッドは縄文晩期の遺跡に相当するぐらいの時を隔てていることになります。(でも、そこにはエジプト独自の文化的アイデンティティがあったように思うので、日本の例を持ち出すよりは、清朝末期の人が隋の時代を思い浮かべたり、いにしえの周の時代をイメージするときの感じに、より近いかもしれません。)

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で、この土産物に登場する星座絵は何かということなんですが、これらは古代エジプトの掉尾を飾るプトレマイオス朝時代に描かれた12星座図がもとになっています。

(デンデラ神殿の天井にレリーフされた天体図。現在はパリのルーブル美術館蔵。

(デンデラ神殿の星座絵の例。近藤二郎氏前掲書に掲げられた線画)

(お土産のパピルスに描かれたおとめ座としし座)

プトレマイオス朝は、エジプトの王朝であると同時に、地中海世界からさらに西アジアへと拡大した、ギリシャ=ローマ文化圏に包摂された王朝だったので、当然ギリシャ由来の(さらに古くはメソポタミア由来の)黄道12星座の考えも採り入れて、それをエジプトチックにアレンジした、こういう星座絵が生まれたわけです。

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「でも、エジプトだって古代天文学が発達した土地で、独自の星座を使っていたわけだよね。それはいったいどうなったの?プトレマイオス朝になって、忽然と消えちゃったの?それに、そもそもメソポタミアって、エジプトのすぐ隣じゃない。ギリシャ経由で黄道12星座のアイデアが入ってくる前に、直接メソポタミアから伝わらなかったの?」

…というように、素朴な疑問がここでいろいろ浮かびます。
そうしたことも、この機会にちょっとメモ書きしておきます。


(この項つづく)

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▼閑語(ブログ内ブログ)

一大疑獄事件にからんで行政府による公文書の改ざん、いや偽造が公然と行われ、さらにそれを「よくあること」と官邸関係者が言い放つ―。恐るべきことです。もはやまともな神経ではありません。およそ世の中に100%の善、100%の悪というのは少ないでしょうが、これは徹頭徹尾不埒な行いで、右も左も関係なしに、怒らないといけません。

というわけで私は相当怒っていますが、事態がこれからどんな推移をたどるか、しっかり見定めようと思います。