この世をば…2018年04月21日 12時38分50秒

藤原道長のよく知られた歌、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」。この下の句は、「まさに満月のように、何一つ欠けたところがないじゃないか」と、自らの絶頂を得意満面に誇る歌なんだと教わりました。

でも、月の満ち欠け(月齢)は、24時間常に変化しており、同じ日に見上げる月でも、朝と夕方では、すでに微妙に形が違うものです。したがって、月本体が「真の満月」でいられるのはほんの一瞬で、次の瞬間には早くも月は欠け始め、やせ細っていきます。

それを思うと、道長が一門の繁栄を満月に喩えたことは、その栄華が一瞬のものであることを匂わせ、実は大いに不祥の歌ということになります。


でも、だからこそ道長は正しかったのです。

望月を「欠けたることもなし」と思ったり、この世を自分のものだと思ったりするのは、文字通り主観的な思い込みに過ぎません。実際には、望月はこの上なく欠けやすいものであり、権勢もまた衰えやすいことを、この歌は言外に教えてくれます。


-------------------------------------------------------------------
▼閑語(ブログ内ブログ)

セクハラというのは、タチの悪い醜怪な問題ですけれど、問題そのものの輪郭は明瞭で、いわば「シンプルな問題」です。にもかかわらず、身内のセクハラ問題すらスマートに捌けないとしたら、そんな政治家に外交問題が捌けるわけがない…と思うのが、健全な常識でしょう。足し算ができないのに、割り算ができるわけがないのと同じことです。

今や安倍政権は完全に死に体で、その退陣は不可避です。
もちろん、安倍氏が退陣すれば、世間の風通しも良くなるし、私もいっときのカタルシスを味わうと思いますが、気になるのは「その後」のことです。

安倍氏がぺったんぺったん搗いて丸めた、特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪法…これらの悪法に手を付けず、「座りしままに食うは徳川」とばかり、ちゃっかりそれに便乗しはせぬか、「その後」の某氏の行動には、よくよく注意せねばならんと思います。