中世趣味とブックデザイン2018年05月02日 06時57分31秒

そういえば、ヴィクトリア時代の本の装丁って、その前にもその後にも見られない、独特のデザイン感覚がありますよね。工芸品のような…というか、よく言えば繊細華麗、悪く言えば装飾過多。あれもまた、19世紀人の「中世趣味」の発露かもしれんなあ…と気づきました。

この青金の美しい本は、まさにその好例。


■Julia Goddard(著)、A.W. Cooper(挿絵)
 The Boy and the Constellations.
 Frederick Warne(London)、1866. 137p.


19世紀半ばに出た児童書です。
内容は、詩人の心を持った少年・フリドリンが、月の女神に導かれて星の世界を旅し、各星座からじかに「あのとき私は…」と、星座神話を聞かせてもらうというお話。


銀と真珠の色を帯びた美しい月の女神は、フリドリンに天界の寒さを防ぐマントを優しく掛け、有翼の獅子と豹が引くチャリオットに乗せると、はるか空の高みを目指して出発します。まず大熊と小熊を訪ねたあと、彼らは次々に星座キャラクターのところに赴きます。


すばらしい空の旅は、最後にフリドリンの家に戻ったところで終わります。
フリドリンは月と別れるのが悲しくて、何か言おうとするものの、言葉になりません。でも、彼が何を言いたかったのか、月にはちゃんと分かっています。そして、「きっとまた会いに来るわ、詩人君…(I will come again to thee, thou poet-child.)」と言い残して、遠くに去っていくのでした。

妙に甘ったるい話ですが、何となく「銀河鉄道999」の祖型みたいな感じもします。

   ★


それにしても、何とデコラティブな本なのでしょう。


天地と小口に金を施した「三方金」の造りが、また艶やかです。

   ★

ときに、この本で「おや?」と思ったのは、主人公のフリドリンが、ドイツの少年として設定されていることです。この本は、別にドイツ語の原作があるわけではなくて、純粋にゴダード女史の創作なのですが、作者によれば、“魔物や幽霊は、イングランドのような明るい南の土地よりも、ドイツのハルツ山脈や「黒い森」にこそ似つかわしい。そして、彼の地の子供は、イギリスの子供よりも、不思議な存在にいっそう心が開かれている”ので、ことさらドイツの少年を主人公にしたんだそうです。

ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』が出たのは、19世紀も末の1897年のことですが、あれも東欧ルーマニアこそ、ホラーの舞台にふさわしいという考えがあってのことでしょう。そして、ルーマニアほどではないにしろ、イギリス人にとって海の向こうのドイツは、怪奇と幻想により近く感じられた…というのが、ちょっと面白かったです。

まさに「神秘とは遠くにありて思うもの」ですね。


森と星2018年05月03日 06時58分27秒

一口にドイツといっても、東西南北でずいぶん気風は違うことでしょう。
でも、こんな絵葉書を見ると、昨日のイギリス人作家が語っていたことにも一理ある気がします。

(「星を愛することを学ぼう!」と呼びかける絵葉書。1930年)

黒くうねる森、その隙間から覗く澄んだ星空。
中央に白く輝くのはかんむり座です。


かんむり座の脇には、球状星団<M13>も載っていて、これが至極まじめな星図であることを示しています。にもかかわらず、こんなふうにわざわざ空を狭く区切って、木々のシルエットをことさら目立たせるのは、「森の民」でなければできない発想です。
…というのは言い過ぎで、単に主役のかんむり座を引き立てる工夫なのでしょうが、でも、この暗い森は、いかにもドイツ的です。

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今の季節、かんむり座が中天高く上るのは、深夜0時前後。
人々が寝静まるころ、森の奥では木々が黙って星を見上げています。

植物に「眼」はありませんが、光を感知する仕組みは備えているので、星の存在だってきっと知っているはずです。ただ、「知る」という言葉の意味合いが、人とはちょっと異なるだけです。

星降る夜2018年05月04日 21時56分58秒

早速の訂正ですが、昨日の絵葉書は、ドイツではなしに実はオーストリア産でした。
いい気になって記事を書いたので、いかにも間抜けな感じですが、オーストリアにも「ウィーンの森」というのがありますから、まあ、あれはあれで良しとしましょう。

   ★

お詫びと言っては何ですが、本物の「星降るドイツの森」を載せます。


左下に注目。直径55ミリほどの小さな銀色の枠にガラス蓋がはめ込まれています。
その奥の丸い画面には…


森があり、星があり、月が浮かび、少女が立っています。

少女のそばに開いた穴に、仁丹粒のような小球を転がしてはめ込むという、ドイツ製のミニゲームです。時代は1950年前後でしょう。
小球の形がちょっといびつな上、底面も微妙に湾曲しているので、「完全クリア」は結構大変です。


この小球はもちろん「星」を表しており、空から降ってきた星を、少女がスカートで受け止めている場面だ…ということは分かります。でも、一体全体何でそんなことをしているのかが謎。

そこで、ネットに相談したら、これは『星の銀貨』というグリム童話を題材にしていることが判明。<両親を亡くした貧しい少女が、道で困っている人に出会う度に、手にしたわずかなパンを与え、服を与え、何もかもあげてしまって、森の中で寒さに震えていると、やがて空から星が降り注ぎ、それがたちまち銀貨に変わって、少女は幸せに暮らしましたとさ>…というお話です。

ひょっとしたら、<少女は星でいっぱいの天に召され、永遠の救いを得ました>というのが原話で、グリム兄弟の頃(19世紀初め)には、それが近代的に変質していたのかもしれません。美しい星が銀貨に変わるところが、ちょっと俗っぽい感じです。
(でも、お金の有難味を知り抜いている少女が、それでも気前よく施しをしたところが、一層尊いのだ…というふうに、グリムの同時代人は解釈したかもしれません。)

ともあれ、このゲームもまた、森と星を取り合わせた「ドイツ的光景」の好例です。
星をモチーフにしたゲームとしても魅力的だし、その「夜の色」がまたいいですね。


ちなみこのゲーム、ピカピカの銀貨よろしく、裏面は手鏡になっています。

星の少女、月の坊や2018年05月07日 06時29分45秒

連休も終わり、今日は雨。
さらに連想しりとりで話を続けます。

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「星の銀貨」のモチーフは、ドイツでは至極ポピュラーらしく、いろいろなところに顔を出します。そして、下の品を見ると「星の銀貨もいいけれど、星が星のまま降ってきたら、いっそう素敵じゃない?」…と考える人もいたのでしょう。

(高さは約22cm)

この可愛い板絵、元の商品ページではドイツ語と英語を併記して、「Holz-Wandfigur」、「German Wall Figure」と表現されていました。要は、子ども部屋を飾る「壁飾り」です。

童話の主人公をモチーフにした、こうした壁飾りがドイツで流行ったのは、1930~70年代のことだそうです。――いや、「流行った」と言えるのかどうか、売り手からのメッセージには、こんな風に書かれていました。

 「ドイツの古い壁飾りに対する私の愛情を、世界中の人が共有してくれたら、どんなに素晴らしいことでしょう。それはドイツ国内でさえ、ほとんど知られていません。私自身、2、3年前まで知らずにいました。でも、それはもっと知られて良い宝です。」

いずれにしても、コレクターズアイテムとなったのは、ごく最近でしょう。


その面貌は、全て手描きされていて、実に繊細な作り。
ひょっとしたら、絵心のある人が我が子のために手作りしたんじゃないか…とも思いましたが、裏面にはメーカーの焼き印があって、やっぱり商品として流通していたことが分かります。


これは1930年代のヘラークンスト(Hellerkunst)社の製品で、この手の品としては、古い時期に属するもののようです。

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この星の銀貨の少女は、月の坊やの壁飾りとセットで購入しました。

(高さは約21cm)

こちらはメルテンスクンスト(Mertenskunst)社製で、売り手によれば1950年代のものだそうです。


メーカーの違いなのか、時代差によるのか、こちらはステンシルを用いたらしい、均一な描写・彩色になっています(これはこれで可愛いです)。


裏面を見ると、少女の方はすでに痕跡だけになっていますが、坊やの方にはまだ引っ掛け金具が残っていて、これで子ども部屋の壁にぶら下げたようです。

   ★

前回のミニゲームもそうですが、これらの品は、もちろん理科趣味ではないし、まっとうな天文趣味とも言えないと思います。でも、星の世界に対する人々の憧れが、そこに表現されているという意味で、「天文趣味史」の素材ではあると思って購入しました。

…というのは少なからず後付けで、やっぱり可愛いから買ったというのが、いちばんの理由でしょう。心がささくれ立つような出来事がやたらと多いので、その反動もあります。

   ★

現実は常に過酷です。
でも、一方には美しいものを愛し、それを子どもに与えたいと願う心があります。どうか、そうした<良き心>が、すべての子供たちに行きわたる世界でありますように―。

人間が人間である以上、その悪心をなくすことはできないでしょうが、カウンターバランスは常に必要です。

『ペーター坊や月への旅』(1)2018年05月09日 07時05分07秒

さらに連想しりとりは続きます。

前回紹介したドイツの愛らしい壁飾りは、童話のキャラクターがモチーフになっていると書きました。例えば、「星の少女」ならば、グリム童話の『星の銀貨』が元ネタです。

では、「月の坊や」はどうかといえば、こちらはゲルト・フォン・バッセヴィッツ(Gerdt von Bassewitz、1878-1923)が著した創作童話、『ペーター坊や月への旅(Peterchens Mondfahrt)』というお話が元になっています。最初は芝居として上演され(1912年初演)、本として出版されたのは1915年のことです。

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日本には宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』という名作があって、題名だけなら誰でも知っているし、あのリリシズムは我が国の天文趣味の在り方にも、少なからず影響を及ぼしているように感じます。

では他の国ではどうか? あんな風に、不思議な星の世界へと人々をいざない、国民の共有財産といえるまでに広く親しまれている作品があるのだろうか?
…というのが、私の長年の疑問でしたが、少なくともドイツにおける『ペーター坊や月への旅』は、そう呼ばれる資格が十分あります。

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この作品で星の世界を旅するのは、ペーターとアンネリの兄妹です。

この本はたいそう売れたので、英訳本も出ています。昔は原題そのまま『Little Peter's Journey to the Moon』となっていましたが、お兄ちゃんだけ取り上げるのは差別的と思われたのか、最近出た版では、『Peter and Anneli's Journey to the Moon』と改題されています。

(Marianne H. Luedeking 訳、Bell Pond Books 刊、2007年。挿絵はHans Baluschek による原作初版のまま)

以下、この英訳本に基づいて、そのファンタジックな内容を見ていきます。

(この項つづく)

『ペーター坊や月への旅』(2)2018年05月11日 07時01分25秒

思えば、『銀河鉄道の夜』もずいぶん変てこりんな作品ですが、『ペーター坊や』の話もそれに負けず劣らず奇妙な作品です。その奇妙さこそが、間違いなく人気の秘密でしょう。(ちなみに、作者のフォン・バッセヴィッツは、プロイセンの軍人(中尉)あがりの劇作家・俳優で、その文名は、ほぼこの『ペーター坊や月への旅』一冊に限られるそうです。)

   ★

最初に登場するのは、コガネムシのズームズマン氏(Mr. Zoomzeman)です。
そして、ズームズマン氏が、失われた6本目の脚を求めて月へと向かうというのが、物語の大筋です…と聞かされても、何のことやらわけが分からないでしょう。

いったい何でそんなことになったのか?
その背景はなかなか壮大です。

コフキコガネの一族、ズームズマン家は、先祖代々奇怪な運命を負っていました。それは昆虫なら皆持っているはずの、6本目の脚がないというものです。そこには深い因縁があって、何百年も昔の初代ズームズマン氏が、森盗人すなわち樹木の盗伐者の斧の刃先にかかって、6本目の脚を失って以来、その禍が子孫に及んだというのです。

まあ、先祖にも、当代のズームズマン氏にも、本来何の罪もないのですが(初代がその場に居合わせたのは偶然です)、「夜の精(Night Fairy)」が、罰として森盗人を月に放逐する際、彼が伐った木とともに、初代ズームズマン氏の脚も月へと飛ばされてしまい、いったんそうなった以上、もうどうしようもないのでした。

とはいえ、それではあまりにもズームズマン氏がかわいそうなので、夜の精は彼にこう告げました。「もしあなたが、決して動物を傷つけない、優しい心を持った子供を二人見つけられたら、ともに月に行って、失われた脚を取り戻すことができるでしょう。」

(悲しみに暮れる初代ズームズマン夫妻と夜の精)

この伝承とともに、ズームズマン一族は長い時を過ごしました。動物を傷つけない子供は少なく、その子供に近づくことは一層難しかったからです(部屋に入っただけで、大人にはたかれて絶命する者が後を絶ちませんでした)。

しかし、今やズームズマン一族の最後の一匹となった、当代のズームズマン氏は、ついにその候補を見つけました。それがペーターとアンネリの兄妹です。二人は真に優しく、勇敢な子供たちでした。ズームズマン氏の話を聞いた二人は、ただちに協力を約束し、これまたズームズマン一族に古くから伝わる飛行術を氏から学ぶと、寝室から寝間着姿のまま飛び立ちました。


遠い月を目指す二人と一匹の眼下で、町や森や山がグングン小さくなっていきます。
その旅の途中、第一の通過点が「星の原っぱ(Star Meadow)」です。
果たして、彼らがそこで出会ったものとは?

   ★

…どうです、変てこだけれど、ちょっと面白そうでしょう?
前回書いたように、このお話は舞台上演が先だったので、本の方もストーリーを追いながら、何だかお芝居を見ているような気分になります。

こうして二人と一匹の、不思議な冒険は続きますが、あまりストーリー紹介に時間をかけてもいけないので、以下手短に紹介します。

(この項つづく)

『ペーター坊や月への旅』(3)2018年05月13日 07時42分31秒

二人と一匹――めんどくさいので、以下「三人」とします――が降り立った「星の原っぱ(Star Meadow)」は、星の子どもたちの学校であり、彼女ら(星の子どもはすべて少女の姿をとっています)が、ピカピカの光を取り戻す大切な場所です。

そして、星の子どもたちの世話一切を引き受けているのが、昔の天文学者のような風体をした「サンドマン」。その名は、地上の子供たちに安眠をもたらす銀色の砂を、夜ごと空一面にまく仕事も負っていることに由来します。

(サンドマンと星の子どもたち)

最初は三人に疑いの目を向けたサンドマンですが、兄妹が真に優しい子どもだと知って、喜んで三人に協力することを申し出ます。

そして、サンドマンは、「夜の精」が今宵、その壮麗な宮殿で、自然界の諸力を司る存在――雷のサンダーマン、雲のクラウドレディ、雨のレインフレッド、嵐のストームジャイアント氷の三兄弟、水のウォーターマン、銀河を預かるミルキーウェイマン、等々――を招いてパーティーを開くことを思い出し、そこで三人を夜の精に引き合わせることにします。

(宮殿に到着した昼の女王を迎える夜の精)

一癖ある客人たちが集うパーティーの席でも、いろいろすったもんだがありましたが、最後に到着した三人を、夜の精は大いに歓迎し、月への長旅の伴として、天界のビッグベアー(おおぐま座のことでしょう)を貸し与え、さらにサンダーマン、ストームジャイアント、ウォーターマンに、三人を守護するよう依頼します。


ビッグベアーにまたがった一行四人(三人+サンドマン)は、途中、彗星の邪魔をものともせず、無事月へとやってきます。

そこでクリスマスの準備に余念のないサンタクロースに出会い、復活祭に向けてイースターエッグを生み落とす牝鶏たちの脇を通り、ついに月一番の高峰のふもとまでたどり着きます。目指すズームズマン氏の失われた六番目の脚は、その頂上にあるのです。

月の山の頂上には、ふもとに据え付けられた巨大な大砲を使って、その身を発射する以外に行く方法がありません。サンドマンが狙いすまして、三人を次々に発射。三人は大きく弧を描いて、月の山の頂上に到達しました。

(ズームズマン氏の発射を見守るペーターとアンネリ)

木の枝に引っかかったズームズマン氏の脚は、やがて見つかりました。
しかし、月の山には、かつて夜の精によって地上から放逐された森盗人が、恐ろしい「月の男(Man-on-the-Moon)」に身を変えて潜んでいました。

三人に襲いかかる月の男を前に、ペーターは果敢におもちゃの木剣を構えます。
その勇気に感応したのか、サンダーマン、ストームジャイアント、ウォーターマンが次々と現れ、月の男に攻撃を加えます。それでも月の男はひるまず向かってきます。

(月の男を打ち倒すストームジャイアント)

絶体絶命のピンチの中、アンネリが星の子どもに救いを求めると、二人の星の子どもが天から下りてきて、月の男に向けて光線を放ちます。にわかに視力を失った月の男は、見当違いの方向によろよろと歩み去り、三人はようやく危機を脱したのでした。

(光を放つ星の子どもたち)

こうして手に入れた六番目の脚は、ズームズマン氏の胴体にピタリとはまり、まずはメデタシ、メデタシ。


ズームズマン氏の呪文で、月から我が家に帰った兄妹は、朝の光の中で目覚めます。


部屋の隅にいた六本脚のコガネムシを窓から逃がしてやり、その後姿を見送る二人。

そのとき、お母さんが部屋に入ってきて、「サンタさんからよ」とジンジャーブレッドを手渡します。月で出会ったサンタクロースを思い出して、二人は喜びでいっぱいになり、優しいお母さんに抱き着くのでした…。

   ★

うーむ、なかなかキャラが立ってますね。
その点では、『不思議の国のアリス』にも似た味わいがあります。

たしかに、『ペーター坊や月への旅』は、正当な天文学の知識とは程遠い、荒唐無稽なお話に過ぎません。でも、それを言ったら『銀河鉄道の夜』だって似たようなものです。ここで大事なのは、子供時代に『ペーター坊や』や『銀河鉄道』を読んだ人は、その後の人生において、(半ば無意識裡に)星の世界に対して、ある種の詩情を重ねるだろうということです。

客観的存在である宇宙に対して、変に擬人化された色を付けるのは、よろしくないかもしれません。弊害もないとは言えません。ただ、詩情はすなわち魅力でもあって、おそらく人間は一切詩情を感じない相手には、探求心も抱かないと思います。

宇宙への夢と憧れを掻き立てるような、幼い日の読書体験は、子どもたちがその後どのようなライフコースを歩むにせよ、その人生を大いに豊かにするでしょう。それは決して悪いことじゃありません。


(この項おわり)

思い内にあれば色外に現る2018年05月13日 08時02分30秒

▼閑語(ブログ内ブログ)

いまいましい事柄を、可憐なペーター坊やの話とごっちゃに語るのは気が進まないので、今日は別立てにします。

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毎日新聞の一面コラム、朝日新聞なら「天声人語」に当たるのが、「余録」欄です。

加計問題をめぐって参考人招致された、柳瀬元首相秘書官の答弁について、5月11日の余録欄が、「人を小ばかにしたような記憶のつじつまあわせはほどほどにした方がいい。」と断じましたが、「人を小ばかにしたような」というのは、まさに今の時代を覆う「厭な感じ」の核心を突いた表現だと感じ入りました。

政府関係者の国会答弁や、記者会見での発言を思い起こすと、「人を小ばかにしたような」態度が、どれほどあふれかえっていたことでしょう。

ウィットにとんだシニシズムは、私は別に嫌いじゃありません。むしろ積極的に面白がる方です。でも、あんなふうに人を馬鹿にすること自体を目的にしたような、知性や品性のかけらもない物言いには、「馬鹿に馬鹿にされるいわれはない」と、腹の底から怒りを覚えます。小ばかにされて喜ぶ人はいませんから、おそらく多くの人も同じ気分でいるんじゃないでしょうか。

「誠実さ」は、別に高邁な理想でもなんでもなくて、世間一般では今もふつうに尊重されているし、それを旨とする人も多いのですから、それを政治家や官僚に求め難いとしたら、それは永田町や霞が関の方がおかしいのです。「小ばか政治」はいい加減やめて、早くまともな会話のできる政治と行政を回復してほしいと、心底願います。

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…というようなことを書くと、「天文古玩も、畑違いの政治のことなんてほっときゃいいのに」と思われる方もいるでしょうね。

しかし、『ペーター坊や月への旅』の英訳本の裏表紙を見たら、挿絵を描いたハンス・バルシェック(Hans Baluschek、1870-1935)について、こんなふうに紹介されていました。

「画家・グラフィックアーティスト。マックス・リーバーマンやケーテ・コルヴィッツとともに、ベルリン分離派運動〔旧来の伝統美術からの脱却を唱えた芸術革新運動〕の一員。名声のある画家であると同時に、社会主義者として、多くのポスターや絵葉書のデザインも手掛けた。ナチスによって『退廃芸術家』の烙印を押され、1935年に没した。」

戦後になって、共産党政権下の東ドイツでは大いに英雄視され、盛んに作品展が行われたとも聞きます。まあ、芸術家の政治利用という点では、これはナチスの振る舞いとネガとポジの関係にあるもので、泉下のバルシェックがそれを喜んだかどうかは疑問です。


いずれにしても、『ペーター坊や』の世界と、現実世界とは、やっぱりどこかでつながっていて、両者を切り離すことはできません。僭越ながら「天文古玩」もまた同じです。

離見の見(りけんのけん)2018年05月16日 20時44分07秒

最近、とみにブログが書きにくくなっていて、記事の更新もままなりません。
以前は、こんな理由でブログが書けなくなるとは、想像もしていなかったので、本当にビックリです。

それほどまでに自分を苦しめている、意外な伏兵とは何か?
――それは「老眼」です。

こうしてディスプレイの前でシャカシャカやっていますが、実はディスプレイ上の文字は、ボンヤリとしか見えていません。近視と老眼が同時に来ると、本当に厄介です。先日、眼鏡を作り替えたとき、「遠近両用はどうですか?」と店員さんに勧められたのですが、そのときはまだ普通に見えていたので、あっさり断わりました。でも、それから3か月も経たぬうちに、これほど症状が進行するとは、かえすがえすもビックリです。

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これは視力の低下という、自覚しやすい現象だから、自分でもはっきり分かりますけれど、それ以外にも、自分では気づかない衰えが、今もいろいろ同時進行しているのだろうなあ…と思うと、その先にある<生の終末>を、嫌でも意識しないわけにはいきません。

それにしても、歩行とか、記憶とか、思考とかも、こんな風にガクンとくるものなんでしょうか? 

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まあ、老眼ぐらいで、こんな風に死ぬの生きるのと騒ぎ立てるのも、みっともない話で、さっさと老眼鏡を買いに走ればいいのですが、それまでちょっと記事のほうは間遠になります。




人はいつだって星を見る2018年05月18日 06時31分44秒

■やあ、老眼だって?
●うん、最近本当に画面が見づらくって。早く老眼鏡を買わなきゃ。
■なるほど。まあ、老眼鏡やハズキルーペも結構だけどさ、それより画面の拡大率を変えたほうが早いんじゃないの?
●あ、そうか。そんな当たり前のことも気づかなかった。やっぱり年かなあ…。

――というわけで、記事の方は無事再開です。

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最近の買い物から。


ザラ紙に刷られ、茶色く変色した、みすぼらしい星図帳(全3分冊)。
その背後にあった人々の営みを想像すると、いろいろな思いが胸をよぎります。

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世界は常に動いています。今も昔も。

200年ちょっと前、激動の中心はフランスでした。
言うまでもなく、フランス革命とナポレオンの登場です。
あれは、その後の世界の枠組みを決定づけた、大きな出来事でした。

100年前の激動の中心はロシアです。
帝政に反旗を翻した労働者たちの咆哮もまた、世界史の流れを変えるものでした。
戦艦ポチョムキンの反乱で知られる、1905年の「第一革命」、帝政が倒れた1917年2月の「二月革命」、そして革命後の臨時政府が、さらにボリシェヴィキ(急進左派)によって打ち倒された、同年10月の「十月革命」

まさに激動です。そして多くの血が流れました。

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その激動の最中、1916年に当時の首都・ペトログラードで刊行されたのが、上の星図帳です。

(第1分冊タイトルページ・部分)

その体裁からすると、これは星図帳というよりも、毎月の空の見どころを紹介する「観望ガイド」といった方が適切かもしれません。

(6月1日 午後10時の空)

いずれにしても、これが美しいとも、その内容が格別優れているとも思われないですが、ただ興味深く思うのは、激動のロシア革命の最中に、首都でこういう本が出版されていた…という事実です。

(簡単な工作で、手製の星座早見ができるよう工夫されています)

100年前のロシアにも、星を愛する人は多かったことでしょう。
騒乱と無縁の人はもちろん、騒乱の渦中にいた人だって、白軍の陣地でも、赤軍の陣地でも、日が暮れれば、それぞれ空を見上げて、物思いにふける人はいたはずです。

人はいつだって星を見るのです。
それが地上の争闘に何らかの影響を及ぼしたのかどうか、ぜひ平和に寄与する方向で影響してくれたらと思いますが、これはもう少し熟考する必要がありそうです。

一つ言えるのは、争闘の最中でも星を見上げる生物はヒトだけであり、そこにこそヒトの人らしさはある…ということです。