レンズの向こうには星があり、夢があった2018年06月18日 11時45分28秒

日本はまさに地震列島。雨の降り注ぐ本州がまた大きく揺れました。
何はさておき地震お見舞い申し上げます。
ヘンリ・ライクロフトの植物記は、1回お休みです。

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この土日は関東に下向し(と、京都中心主義を振りかざす必要もありませんが、東京中心主義も良くないので、バランスを取ってあえてこう書きましょう)、横浜で野尻抱影の愛機「ロングトム」を実見し、さらに「日本望遠鏡史を語る夕べ」といった趣旨の会合に参加してきました。これが何と男性限定、R50の会合で…と、別にそんな制限があったわけではありませんが、趣旨が趣旨なので、どうしてもそういう渋い顔ぶれになるわけです。

ごく私的な会合なので、詳細はぼかしますが、そこでいただいたお土産が下のシールだと申せば、どんな雰囲気だったか、お察しいただけるでしょう。


…と言っても伝わりにくいので、注釈をつけると、「ダウエル」という望遠鏡メーカーがかつてあったのです(「成東商会」という別名義もありました)。かつての天文少年は、その名を科学雑誌の広告欄で目にするたびに、激しく心を揺さぶられました。

それはなぜか? ダウエル望遠鏡は、同スペックの他社製品に比べて、お値段が格段に安かったからです。そして安くて高性能なら万々歳ですが、世の中そう上手くは行かないわけで、ダウエルに手を出した少年たちは、その名に微妙な感じを終生抱き続け、先日の会合でも一同シールを見るなり、破顔一笑したのです。

ダウエル――。それは望遠鏡ではなく、夢を売る会社であった…と、ここでは美しくまとめておきましょう。

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ロングトムのこともここに書いておきます。(「ロング・トム」と中黒を入れることもあります。抱影自身は「ロングトム」、「ロング・トム」両方の書き方をしています。)

ロングトムは、野尻抱影(1885-1977)が愛用した望遠鏡。
昭和3年(1928)、当時の円本ブームに乗って訳出したスチーブンソンの『宝島』が売れに売れ、抱影はその印税で、当時はなはだ高価だった、日本光学(ニコン)製、口径10センチの屈折望遠鏡を買い入れました。

「ロングトム」は、抱影自らが名付けたその愛称です。現在は、抱影の実弟である作家・大仏次郎(おさらぎじろう〔本名・野尻清彦〕、1897-1973)の記念館に保管されています。ロングトムは有名なので、画像では何度も目にしましたが、やはり実物を見るにしくはなしです。


港の見える丘公園から見下ろす曇天の横浜。


その公園の一角、イングリッシュガーデンの向こうに、瀟洒な「大仏次郎記念館」はあります。


2階展示サロンの隅に、ロングトムが立っていました。




丁寧に作られた木箱の表情がいいですね。


蓋の裏に書かれた抱影自筆の覚え書き。


架台に貼られた銘板。ピンぼけですが、「日本光学工業株式会社/第101号/昭和3年」の銘が見えます。


世田谷の自宅で観望会を開く抱影の写真パネル。


この接眼部を、抱影が繰り返し覗いたのか…と思うと、感慨深いです。


その視野を支えた三脚の石突き。


仰ぎ見る雄姿。抱影もこのシルエットをほれぼれと眺めたことでしょう。

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日本光学が入念に仕上げたロングトム。
少年たちがなけなしのお小遣いで手に入れたダウエル望遠鏡。

モノとしての在り様はずいぶん違うし、その見え味にも大きな差があったと思いますが、共通するのは、どちらもレンズの向こうに輝く夢があったということです。そして、夢がなければ、どんな望遠鏡も覗く価値はない…というと言い過ぎかもしれませんが、それも半ば真実じゃないでしょうか。