「ヘンリ・ライクロフトの植物記」(4) ― 2018年06月19日 06時48分59秒
ライクロフト氏の植物趣味の実践を活写した章があります。
<秋 第1章>
今年は天気続きの年だった。不愉快な空模様とてもほとんどなく、くる月もくる月もいつのまにかすぎていった。いつ七月が八月になったのか、八月が九月になったのか、ほとんど私には見当もつかなかった。野原の小径が秋の花々で黄色くふち取られているのを見なかったならば、今でもなお夏だと私は思うかもしれない。
「やなぎたんぽぽ」属のことで私は多忙をきわめている。つまり、できるだけ多くの「やなぎたんぽぼ」の類を区別し、名前を覚えることを勉強中なのだ。科学的な分類ということには、私はあまり関心はない。そんなことは、私のものの考え方と性が合わないのだ。だが、私は散歩の途中出会うすべての花を一つ一つ名ざして呼べるようになりたい。それも特にそのもの固有の名前で呼んでやりたいのだ。「ああ、これは『やなぎたんぽぽ』だ」というような言葉で満足しなければならぬいわれはない。それは、すべての黄色い舌状花の草花を「たんぽぽ」一点張りで片づけてしまうことがひどいのと、ほとんど変わりはなかろう。花もその個性を認めてもらうと喜ぶように私には感じられるのだ。ひとつびとつの花にどれほど多くの恩恵を私が負うているかを考えると、せめて私にできることは、一つ一つの花に挨拶するということである。同じ理由から私は「ヒエラキウム」という学名よりも「やなぎたんぽぼ」という名で呼びたい。平凡な呼び名の方が親しみをより多くもっているものだ。
今年は天気続きの年だった。不愉快な空模様とてもほとんどなく、くる月もくる月もいつのまにかすぎていった。いつ七月が八月になったのか、八月が九月になったのか、ほとんど私には見当もつかなかった。野原の小径が秋の花々で黄色くふち取られているのを見なかったならば、今でもなお夏だと私は思うかもしれない。
「やなぎたんぽぽ」属のことで私は多忙をきわめている。つまり、できるだけ多くの「やなぎたんぽぼ」の類を区別し、名前を覚えることを勉強中なのだ。科学的な分類ということには、私はあまり関心はない。そんなことは、私のものの考え方と性が合わないのだ。だが、私は散歩の途中出会うすべての花を一つ一つ名ざして呼べるようになりたい。それも特にそのもの固有の名前で呼んでやりたいのだ。「ああ、これは『やなぎたんぽぽ』だ」というような言葉で満足しなければならぬいわれはない。それは、すべての黄色い舌状花の草花を「たんぽぽ」一点張りで片づけてしまうことがひどいのと、ほとんど変わりはなかろう。花もその個性を認めてもらうと喜ぶように私には感じられるのだ。ひとつびとつの花にどれほど多くの恩恵を私が負うているかを考えると、せめて私にできることは、一つ一つの花に挨拶するということである。同じ理由から私は「ヒエラキウム」という学名よりも「やなぎたんぽぼ」という名で呼びたい。平凡な呼び名の方が親しみをより多くもっているものだ。
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「やなぎたんぽぽ」 Hawkweed (そのラテン語の学名が「ヒエラキウム」Hieracium)
(Hieracium caespitosum)
「たんぽぽ」 Dandelion
Dandelionは、日本でいうところのタンポポ(キク科タンポポ属)と同じものですが、ここではタンポポ以外のキク科植物もひっくるめて、黄色ければ何でも「タンポポ」と呼んでしまう無神経な態度を非難しているようです。
(多様なキク科植物の花々。https://en.wikipedia.org/wiki/Asteraceae)
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前回引用したライクロフト氏の文章もそうですが、これこそ人として真に豊かな生活だ…と一途に思い込んだ私は、さっそく書店に行き、植物図鑑を買い込みました。
(開いているのは、保育社の『原色日本植物図鑑・草本編Ⅱ』(昭和57年・改訂51刷)。この図鑑は草本編2巻と木本編2巻の全5巻から成ります。奮発して『原色野草観察検索図鑑』も買いました。)
当時、私が学んでいた大学は、大きな植物園がキャンパスに隣接しており、伊達政宗の頃から斧が入ったためしがないという深い森へと通じていました。その園内をめぐる小道沿いのベンチに寝そべって、私はライクロフト氏の文章を読み、植物図鑑を開いて、講義にも出ずに、夕暮れまでぼんやりしていたのを覚えています。
…何だか、我ながらおセンチなことを書いていますが、実際、あれは感傷にふけるに足る時代でした。何せ時は昭和、所はみちのく杜の都、大学には教養主義の残り香が漂い、若い私はそんな中でいろいろ薄ら生意気なことを考えて暮らしていたのです。その後の世相の移り変わりを思えば、いっときおセンチにならざるを得ません。そしてまた、実際良き時代には違いなかったのです。
(この項つづく)
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