季節外れのイースター ― 2018年07月01日 15時37分52秒
今日から7月ですね。
いよいよ夏本番。今年は梅雨明けも早いし、月半ばの16日が海の日ですから、例年よりも夏に余裕が感じられます。まあ、暑さには閉口ですが、せいぜい西瓜をシャクシャク齧り、カルピスを飲み、蚊取り線香をくゆらせながら昼寝を楽しむことにします。
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ときに、先日こんな絵葉書を目にしました。
(裏には1906年、ニューヨーク州バッファローの消印があります)
キリストの復活を祝うイースター(復活祭)のグリーティングカードです。
月や星を描いた絵葉書を探していて見つけたのですが、可愛らしいと思うと同時に、そこに何かただならぬものを感じました。そのただならぬ感じを無理に言葉にすれば、こういうことです。
ひな鳥にとっては、卵の中こそが世界だった。
それは大地であり、海であり、空であり、それらすべてであった。
彼はこの世界の中で目ざめ、多くの変容を重ね、長い長い旅を続けた。
しかし、彼のすべてであった世界は、今や終末を迎えようとしている。
音とともに世界の果てにひびが入り、冷たい何かが押し寄せた瞬間―。
それは大地であり、海であり、空であり、それらすべてであった。
彼はこの世界の中で目ざめ、多くの変容を重ね、長い長い旅を続けた。
しかし、彼のすべてであった世界は、今や終末を迎えようとしている。
音とともに世界の果てにひびが入り、冷たい何かが押し寄せた瞬間―。
すっくと新たな大地に立ち、
はるかな蒼穹と、そこに光り輝く月と星を見上げたとき、
彼が何を感じたかは、想像するほかないが、
彼の内で一片の世界の真理が閃いたことは確かだろう。
はるかな蒼穹と、そこに光り輝く月と星を見上げたとき、
彼が何を感じたかは、想像するほかないが、
彼の内で一片の世界の真理が閃いたことは確かだろう。
…とか何とか。
(砕け散った小世界と月影)
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イースターの卵は、生命と復活の象徴と言われます。
しかし、この絵が表現しているのは、何かもっと東洋風の瞑想的な性質のものであり、そのことに私ははっとさせられたのでした。
イースターは、クリスマスと違って、毎年日にちが前後する「移動祝祭日」ですが、たいていは4月のうちに祝われます。ちなみに今年のイースターは、西方教会では4月1日、東方教会では4月8日でした。4月8日といえばお釈迦様の誕生日ですから、そのことも私の中で何となく連想の糸を引いています。
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この頃の屈託した心境は、こんなふうに一枚の絵葉書にもはっとさせられ、鳥にも心を驚かすような有様です。少なからず疲れているのかもしれません。
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